田畑政治(読み)タバタマサジ

デジタル大辞泉 「田畑政治」の意味・読み・例文・類語

たばた‐まさじ〔‐まさヂ〕【田畑政治】

[1898~1984新聞記者・水泳指導者静岡の生まれ。新聞社に勤務するかたわら、第10回ロサンゼルスオリンピックなど多く大会監督や選手団団長を務める。日本水泳連盟理事長・会長として、第18回東京オリンピックの誘致活動にも尽力

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共同通信ニュース用語解説 「田畑政治」の解説

田畑政治

田畑政治たばた・まさじ 1898年、現在の浜松市生まれ。水泳選手だったが病気のため指導側に回り、旧制一高時代から日本水泳界の指導陣の中心に。1924年の朝日新聞社入社後も指導を続け、32年ロサンゼルス五輪で日本の水泳総監督として12個のメダル獲得に貢献戦後も日本水泳連盟を率いるなど活躍し、52年ヘルシンキ五輪と56年メルボルン五輪は日本選手団の団長として参加した。五輪の招致にも尽力。64年の東京五輪開催を勝ち取ると組織委員会事務総長となり、成功に導いた。

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20世紀日本人名事典 「田畑政治」の解説

田畑 政治
タバタ マサジ

大正・昭和期の水泳界指導者,新聞人 日本体育協会名誉副会長;日本水泳連盟名誉会長;元・朝日新聞社常務



生年
明治31(1898)年12月1日

没年
昭和59(1984)年8月25日

出生地
静岡県浜松市

学歴〔年〕
東京帝大法学部政治学科〔大正13年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲二等瑞宝章〔昭和44年〕,朝日賞〔昭和55年〕,IOC功労賞〔昭和52年〕

経歴
東京朝日新聞社に入り、昭和17年政治経済部長、20年編集局次長を経て、22年取締役東京代表、常務となり、26年退社。一方、一高時代から日本水泳界の指導陣となり、大正13年の日本水泳連盟の創設に参加。昭和7年のロサンゼルス五輪では水泳チーム総監督として“水泳ニッポン”の名をとどろかせた。戦後の21年から10年間は日本水泳連盟会長として古橋、橋爪選手らによる水泳日本の黄金時代を築き、この間、ヘルシンキ五輪、メルボルン五輪では選手団団長を務める。その後、東京五輪の招致に努め、組織委事務総長してその成功に貢献し、46年から日本体育協会副会長。48年JOC委員長に就任した後は中国のIOC復帰に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田畑政治」の解説

田畑政治 たばた-まさじ

1898-1984 大正-昭和時代の新聞記者,水泳界の指導者。
明治31年12月1日生まれ。大正13年東京朝日新聞社にはいり,政治経済部長などをへて昭和24年常務。この間,昭和7年のロス五輪をはじめおおくの大会の水泳総監督や選手団団長をつとめる。21年日本水泳連盟会長,34年東京五輪組織委員会事務総長,48年JOC委員長。昭和59年8月25日死去。85歳。静岡県出身。東京帝大卒。

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367日誕生日大事典 「田畑政治」の解説

田畑 政治 (たばた まさじ)

生年月日:1898年12月1日
大正時代;昭和時代の水泳界指導者;新聞人。日本水泳連盟会長
1984年没

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