長者原(読み)ちようじやばら

日本歴史地名大系 「長者原」の解説

長者原
ちようじやばら

[現在地名]望月町長者原

鹿曲かくま川と布施ふせ川に挟まれた標高一〇〇〇メートル前後の丘陵地。近世以来入布施いりぶせ(現望月町布施)片倉かたくら(現望月町片倉)山元とした牧布施まきぶせ式部しきぶ抜井ぬくい中居なかい(ともに現望月町布施)岩下いわした(現望月町岩下)矢島やしま五郎兵衛新田ごろべえしんでん八幡やわた桑山くわやま蓬田よもぎだ御馬寄みまよせ塩名田しおなだ(ともに現浅科村)岩尾いわお落合おちあい(現佐久市鳴瀬)一六ヵ村の入会地で、東南に隣接する四二ヵ村入会山と入会権に関する紛争が多かった(元禄二年・寛政五年・天保一五年など)


長者原
ちようじやばる

[現在地名]多久市北多久町小侍字長者原

小侍こざむらい村と牧瀬まきせ村(現東松浦郡厳木きゆうらぎ町)との境界を挟み双方に分れて長者原集落がある。松浦の伝説に著名な佐用姫はこの地に住む長者の娘で、その住居があったことから長者原と称するようになったと伝える(東松浦郡の→牧瀬村

肥前風土記」の「鏡渡」に、大伴狭手彦と松浦郡篠原しぬはら村の弟日姫子との「成婚」がみえる。「肥前旧事」の宣化天皇二年の項は、弟日姫子とは松浦佐用姫であるとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長者原」の意味・わかりやすい解説

長者原
ちょうじゃばる

大分県西部、九重(くじゅう)火山群北側の飯田高原(はんだこうげん)の中心部。阿蘇くじゅう国立公園(あそくじゅうこくりつこうえん)の一部をなし、標高1000メートル前後、軽石流による波状のスロープ草原が広がり、小松疎林を有し、小松ヶ台(こまつがだい)とよばれていた所。やまなみハイウェイが縦貫し、ホテル(温泉がある)、キャンプ場があり、久住(くじゅう)山、大船(たいせん)山などの登山口にあたる。地名は付近の千町無田(せんちょうむた)の朝日長者伝説による。

[兼子俊一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長者原の言及

【岸本[町]】より

…日野川両岸の台地では古墳群や奈良時代の大寺廃寺跡(史),石製鴟尾(しび)(重要文化財)が発見されている。西方台地上の長者原は吉持家7代によって江戸末期に開墾が完成し,1861年(文久1)佐野川用水の完成により水田化された。農業を町の基幹産業とし,米作を中心にスイカ,二十世紀梨などの栽培が営まれる。…

※「長者原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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