中世から近世にかけ,ヨーロッパでその実在が信じられ,特殊な能力をもち,しばしば社会に害をなす,と考えられた一群の女性をいう。ただし,〈魔男〉という日本語はないものの,魔女に対応する男性が存在しなかったわけではなく,これには魔術師,魔法使い(英語wizard,ドイツ語Hexer,フランス語sorcier)などの語が用いられる。しかし数の上からは圧倒的に女性が多いため,西欧語でも〈魔女〉で両性を代表させることが行われ,以下の記述においてもこのような用法に従うことにしたい。
今日ポピュラーになっている典型的な魔女像は次のようなものである。すなわち,彼女(彼)らは悪魔と契約し,さまざまな手段を用いて社会に混乱(疫病,悪天候,不作など)をもたらす。深夜,箒にまたがって森や野や山岳に集い,魔女集会(サバト)を開く。そこでは悪魔との性的なオージーが繰り広げられる。体には悪魔と通じたことを示す印がつけられており,その部分は痛覚を欠く,などなど。しかし,このような通念にもかかわらず魔女の表象は両義的であって一定せず,みにくい老婆とみなされることもあれば,〈美しい貴婦人(ベラドンナ)〉と呼ばれることもある。後者のベラドンナとは,植物名としては猛毒性のナス科多年生植物を指し,少量なら鎮痛薬としての薬効がある。古典的著作《魔女》(1862)の作者であるフランスの歴史家J.ミシュレによれば,〈美しい貴婦人〉と呼ばれた産婆や女呪医たちは,1000年にわたって人々の病気治療に当たっていたのだった。自然魔術magia naturalisに通じ,おそらく鎮痛薬としてのベラドンナの薬効をも知っていた女性たちが,薬石や野草,小動物などを採集して,ときには悪臭を発する大釜のなかでエキスの抽出のためにそれをぐつぐつ煮立てていたというのが,シェークスピア《マクベス》の魔女たちの正体だったのである。
キリスト教成立以前の異教時代では,彼女たちは魔女という総括的な名でよりは,むしろ女占い師や巫女,薬剤師といった個別的な職業名で呼ばれていたものと思われる。魔女の原義は例えばゲルマン語ではhag(垣根)とzussa(女)の合成語であるところから〈女庭師〉であり,またイギリスの歴史家M.マレーのように,古代エジプトの豊穣信仰の女祭司に魔女の起源を求める説もある(《西ヨーロッパにおける魔女信仰》1921)。グリム兄弟はアイルランドの妖精物語が魔女信仰の細部と符合することを指摘している。さらに,古代ローマの娼家の取持ち女はしばしば媚薬を調合する薬剤師でもあったとされ,魔女表象の一源泉となっていることが想定される。こうした主として形而下の肉体的下層を対象とする仕事に従事する実践医的存在が,キリスト教の形而上的観念の征覇によって疎外され,一括して魔女の名とともに〈外なる野〉に隔離されたものであろう。中世以降,魔女は,それゆえに秩序の外から禍いをもたらしにくるえたいの知れない存在と観念され,異教的古代における治療者としての役割は180度逆転して,生命力を枯らして病気や死をもたらし,胎児を死産または堕胎させるような,人間や家畜に対する危害の原因,また嵐や雹や荒天を呼びよせて大地の生産力を奪う荒天魔術の行使者としてあらわれたのである。前述した魔女像のステレオタイプにもうかがえるように,魔女には性的な攪乱者,魂を破滅に導く誘惑者のイメージも付与された。そして,インクブスincubus(睡眠中の婦女を犯す魔女と通じた悪魔)やスクブスsuccubus(睡眠中の男と情交する女の悪魔)をあやつって人間を悪魔と交わらせたり,よこしまな欲望につけこんで悪魔の契約書に署名させたり,魔女集会へといざないよせたりするのも魔女のしわざと考えられたのである。
ところで,悪名高い魔女の膏薬の成分を分析した現代ドイツの精神病理学者H.ロイナーは,先述したアトロパ・ベラドンナのアトロピンをも含む,およそ5種類のアルカロイドを抽出している。またゲッティンゲン大学の民俗学者W.E.ポイカートは,16世紀の魔女の膏薬を処方どおりに復元してみずから試みた結果を次のように報告している。〈私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは,無限の空間へのファンタスティックな飛翔,顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げたさまざまの生物に囲まれたグロテスクな祭り,太古的な地獄めぐり,底なしの失墜,悪魔の跳梁などであった〉。箒に乗った魔女の空中飛行の正体は,幻覚剤による〈旅(トリップ)〉だったのであろうか。
魔女の禍いからのがれるには,神の名を唱えながら十字を切ったり,扉に十字を描いたりするものから,鎌や斧のような金属製品,さかさまに立てた箒,パン,塩,火,土などを呪物とするものなど,魔女の魔法にまさるとも劣らぬ迷信的手段が用いられた。ちなみに魔女の力がもっとも強くなるのは,魔女たちがハルツ山地の最高峰ブロッケン山に集合するいわゆる〈ワルプルギスの夜〉(4月30日から5月1日にかけての夜),復活祭とバプテスマのヨハネの祝日(ヨハネ祭)の夜,十二夜,ゲオルギウスとアンデレの祝日で,反対にもっとも弱くなるのは聖金曜日であるといわれる。強くなる日が,いずれもキリスト教布教以前にさかのぼる祝日であることは重要であろう。
14世紀前後から17世紀にかけての魔女妄想は,実在の魔女の魔法の実践に対する恐怖というよりは,社会心理学的現象としての集団ヒステリーである。中世の政治・宗教的状況の崩壊とともに,とりわけ中部ヨーロッパに社会不安が蔓延し,人々はこれを世界終末時に悪魔の支配がおこる兆候とみた。そのためのスケープゴートとして魔女たちを血祭りにあげるいわゆる〈魔女狩りwitch hunting〉が発生した。教会側からみた魔女信仰の調査は,2人のドミニコ会士,J.シュプレンガー,H.クレーマー共著の《魔女の槌》(1486)にまとめられたが,この著作を契機に,魔女狩り,魔女裁判,魔女容疑者への拷問,火刑は15~16世紀における〈一つの産業〉(K. セリグマン)にまで膨張し,その猛威は16世紀末~17世紀初頭に頂点を迎えた。これが宗教改革の時代と重なること,魔女迫害はカトリック,プロテスタントを問わず行われたことは注目に値しよう。同時に魔女裁判に対する啓蒙主義的な反対者も出現し,医師J.ワイアー,神学者B.ベッカー,法学者C.トマジウスらが反論を唱えた。
17世紀も半ば近くなると,魔女妄想はしだいに都市や修道院を舞台に局地化されるようになる。この趨勢のなかからルーダンの尼僧院における修道女たちの悪魔憑き事件(1634)や,ルイ14世の愛妾モンテスパン侯爵夫人を巻き込んだ,パリの堕胎医ボアザン夫人(通称ラ・ボアザン)による黒ミサ事件(1679)が発生した。ちなみに前者はポーランドのJ.カワレロウィッチ監督によって映画化(《尼僧ヨアンナ》1960)されている。17世紀末(1692)に新大陸アメリカで〈セーレムの魔女〉事件が起こっているが,ヨーロッパでは18世紀以降,魔女は社会の表舞台からは姿を消し,文学や美術や映画などイメージの世界に生きる存在になった。一方,魔女や魔女迫害を歴史学の主題として採り上げることが19世紀半ばから本格化した。中でも特にミシュレの《魔女》は,魔女表象の中に民衆の独自な世界認識のあり方と抑圧的権力に対する反抗のエートスをとり出したものとして異彩を放つ。その意味で,魔女および魔女迫害という現象を,啓蒙主義的・近代主義的立場から,もっぱら前近代における〈迷信〉や〈狂気〉の所産としてのみとらえるのではなく,心性や人間関係のレベルを含むより広い歴史的文脈の中で解明しようとする近年の研究動向(特にフランスのアナール学派のそれ)が,ミシュレ再読を一つの機縁としていることは注目される。
→悪魔 →呪術
執筆者:種村 季弘
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超自然的な方法を用いて他人あるいは社会に害を及ぼすとされる女性。意図的に他人に災いを与える呪術(じゅじゅつ)、すなわち邪術を用いる女邪術師であり、こうした魔女は多くの社会に存在している。しかし一方で、狭い意味で、中世から近世ヨーロッパの女邪術師を魔女とよぶことも多い。箒(ほうき)にまたがって空中飛行したり、大釜(おおがま)で呪薬を調合したりといった魔女のイメージは、このヨーロッパの魔女像によるものである。
[上田紀行]
「男の妖術(ようじゅつ)師1人に対して1万人もの女妖術師がいる」と歴史家ミシュレが述べているように、ヨーロッパにおいては邪術師の圧倒的多数は女性であったが、すべての社会でそうであるとはいえない。邪術師に男性が多いか女性が多いかは、その社会の社会構造や社会的規範などに関連している。たとえば南アメリカのチリのマプーチェ人の「カルク」とよばれる邪術師たちには女性が多いが、これは明らかに父系制、夫方居住制をとる親族組織と関係がある。すなわち、嫁は夫の親族集団のなかにありながら、その正式な成員であるとは認められず、よそ者であり、周辺的な存在であるが、こうした嫁の地位が、女が邪術師であるという観念に関連しているのである。アフリカのヤオ人やルアプラ人のように女系制で妻方居住制をとる社会で、男性が邪術師とされることが多いのは、その逆の例である。また、アフリカのヌペ人では女性の行商団の長が魔女団の長とされたり、インドのマイソール地方で金貸し女が多く魔女とされるのは、それらの社会で行商や金貸しが社会的規範に反する行為とされていることと関係がある。このように、社会の周辺に位置する女性、社会規範から逸脱する女性が魔女とされることが多くみられる。
[上田紀行]
今日一般的なヨーロッパの魔女像は次のようなものである。すなわち、彼女らは深夜、箒にまたがって魔女集会へ出かけ、そこで悪魔と性的関係をもつ。彼女らは悪魔との契約のもとに、まじない薬なども使用しながら社会に災悪をもたらす、等々。しかし、こうした魔女像はいわゆる「魔女狩り」の時代に成立した、キリスト教からの見方である。旧石器時代の洞窟(どうくつ)壁画にも描かれているように魔女の歴史はたいへん古いが、実際の彼女たちは占い師や女呪医として、呪薬などを用いながら病気治療に従事する女性であったと考えられている。そして、このような形而下(けいじか)の肉体を扱ってきた女性たちは、キリスト教の浸透とともに、その形而上的世界からの逸脱者とみなされ、魔女と名指されることで迫害されるに至ったのである。魔女は、社会から認知されることで魔女たりうるという意味で社会的な存在である。それゆえ、いかなる女性が魔女と名指されるかという状況から、われわれは魔女を生み出す社会について多くを知ることができる。
[上田紀行]
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…また他方では,新興のスウェーデン映画がデンマーク映画に代わって北欧を支配するようになり,第1次世界大戦後のデンマーク映画は急速に衰弱していく。《密書》(1913)でデビューした怪奇趣味のベンヤミン・クリステンセンBenjamin Christensenは,スウェーデンで彼の最高傑作として知られる《魔女》(1919‐21)を撮り,それからドイツをへてハリウッドにいき,《悪魔の曲馬団》(1926),《妖怪屋敷》(1928),《恐怖の一夜》(1929)といったアメリカ製の〈ホラー映画〉に北欧の神秘主義から生まれたその怪奇趣味を埋没させ,また,《裁判長》(1918)と《サタンの書の数頁》(1919)でデビューしたカール・ドライヤーも,スウェーデン,フランス,ドイツをへて(怪奇映画の傑作として知られる《吸血鬼》(1932)はドイツとフランスの合作映画である)戦後になってやっとまたデンマークに戻るまで孤高の歩みを続けることになった。 その後は60年代に脚光を浴びたヘニング・カールセン(《飢え》1966,《花弁が濡れるとき》1967),70年代に登場したイェンス・ヨーゲン・トースン(《クリシーの静かな日々》1970)といった監督の名が記憶される。…
…中世から近世にかけ,ヨーロッパでその実在が信じられ,特殊な能力をもち,しばしば社会に害をなす,と考えられた一群の女性をいう。ただし,〈魔男〉という日本語はないものの,魔女に対応する男性が存在しなかったわけではなく,これには魔術師,魔法使い(英語wizard,ドイツ語Hexer,フランス語sorcier)などの語が用いられる。しかし数の上からは圧倒的に女性が多いため,西欧語でも〈魔女〉で両性を代表させることが行われ,以下の記述においてもこのような用法に従うことにしたい。…
… 西洋の悪魔は神に敵対するものであり,絶対的な悪としてとらえられている。悪魔と契約を結ぶ魔女は,キリスト教を冒瀆するものであり,当然処刑されるべきものと考えられた。ヨーロッパ人ほど魔女・妖術師に対する迫害を激しく徹底的に行った民族は他に例がない。…
…教会の権威が内部矛盾によってゆらぐ中世末期になると,狂気に由来する異常な言動は悪魔と手を結んだ人間または〈悪魔憑(つ)き(デモノマニアdemonomania)〉のあかしとみなされ,迫害が及ぶようになる。いわゆる〈魔女狩り〉の嵐が吹き荒れたのはルネサンスに入ってからで,〈中世全体を通じて焚刑に処せられた魔女の数は,もっと進歩的になった15世紀とその後の2世紀間に焚刑にされた魔女の数より少ない〉と伝えられる。魔女裁判の教典とされたのは,ドミニコ会士H.クレーマーとJ.シュプレンガーの共著になる悪名高い《魔女への鉄槌》(1486)で,ここには魔女の〈臨床症状〉や〈診断方法〉が詳述されている。…
…日本における近代精神医学の建設者である呉秀三がヒステリーを〈臓躁病〉と訳したのは,この用語を採用したものである。 ヨーロッパでは15~17世紀を中心として悪魔学(鬼神論)が盛行し,ヒステリーの症状は悪魔や魔女のしわざとされた。したがってヒステリー者の一部は,他の精神病者とともに〈魔女狩り〉の対象とされた。…
※「魔女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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