悪魔に仕えて悪霊を駆使し、占卜(せんぼく)や呪法(じゅほう)の超自然的能力をもって隣人の身に事故を招いたり、家畜を病気にしたりするなど、さまざまの害悪を及ぼすと信じられた者を魔女という。ときには空中飛翔(ひしょう)や変身の能力をもつともいわれた。ドイツ、ハルツ山中のブロッケンには聖ワルプルギス祭(5月1日)の未明、魔女が参集して宴会を催すという伝説があり、ゲーテの『ファウスト』第一部に取り入れられている。魔女というが、女性に限らない。男で魔女と目された者も多い。魔女は魔女狩りの対象となったときに初めて問題化するのだし、魔女狩りの流行は主として近世初頭の現象、しかも一種の集団ヒステリー、いわゆる魔女妄想の結果なので、魔女の実体はもちろん、その実在についてもわからないことが多い。おそらく、中世の民間医療師ないし呪術祈祷(きとう)師が原型であろう。
14世紀初頭ベルナール・ギイが著した『異端審問官の手引』は、「呪術師、占卜者、降霊者」に関する1章を設けて、夫婦の和合や離反、多産や不妊、薬草、予言、妖精(ようせい)の項目について訊問(じんもん)せよと述べている。迷信と涜聖(とくせい)の観点から警戒されているが、まだ魔女妄想はみられない。15世紀、ジャンヌ・ダルク処刑も異端裁判の色彩は濃いが、厳密にはまだ魔女裁判ではない。
1484年、法王が回勅「緊急の要請」を公布して魔女の存在を断定し、審問官の活動を擁護したのに続いて、86年『魔女の鉄槌(てっつい)』が公刊されたとき、本格的な魔女狩りの時代が始まった。著者はインスティトリスおよびシュプレンガー。ともにドミニコ会士でドイツの異端審問官であった。恐るべき魔女のイメージは、この本によって決定されたといってよい。全編を貫くのは狂信的な危機感、嗜虐(しぎゃく)的な使命感で、たとえば、教会に行きたがらぬ者は魔女の疑いがある、熱心に教会に通う者は偽装した魔女である、と断定している。さらに恐るべきことは、この本が絶対の権威として世に行われたことである。当時の神学者や教会関係者のすべてが論旨に同調したわけではないが、一度権威を確立したのちは、『鉄槌』批判は魔女たることの自白に等しかった。宗教改革以後は、プロテスタント諸国でも教典として受け入れられる。
魔女裁判では拷問が用いられ、自白が強要された。拷問によっても自白しないときには、自白しないという事実が悪魔の保護下にある証拠だとして断罪された。犠牲者の正確な数はわからないが、一説には10万を超えるという。魔女狩りには、1590年から1610年まで、1625年から35年まで、1660年から80年までの三度のとくに激しい時期がある。新大陸では1692年マサチューセッツ植民地のセーラムSalemで、牧師所有の一奴隷ティツバなる者のことばを聞いて、少女たちが原因不明の苦痛を感じるという事件が生じた。牧師会議によって魔女と判断されたのを受けて、植民地総督任命の委員会が数百名を捕縛し、19名を絞首した(「セーラムの魔女」事件)。大勢としては、魔女狩りは18世紀啓蒙(けいもう)思想の普及とともに下火となる。
[渡辺昌美]
『ジュール・ミシュレ著、篠田浩一郎訳『魔女』上下(岩波文庫)』▽『ペンソーン・ヒューズ著、早乙女忠訳『呪術 魔女と異端の歴史』(1968・筑摩書房)』▽『クルト・バッシュヴィッツ著、川端豊彦・坂井洲二訳『魔女と魔女裁判』(1970・法政大学出版局)』
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キリスト教社会において,悪魔の手先で妖術を用いるとみなされた「魔女」に加えられた迫害。異端迫害の形をとり,ヨーロッパでは16~17世紀が最盛期。犠牲者は主に女性だが男性も含まれ,その数は子供も含めて10万を超えるといわれる。伝統的共同体が解体するなか,それまで薬草の知識などで共同体に貢献することが認められてきた老婆のような社会的弱者が標的とされた。1486年刊行のシュプレンガーらによる『魔女の鉄槌』は魔女告発の権威として用いられた。
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…また当時の福音主義教会法を,カノン法を手本としながら体系的に詳述したことでも知られる。啓蒙主義時代になってから,カルプツォはその神政主義的刑事司法観(神学的な贖罪思想)を批判され,また,とくに魔女狩りに関連して彼が残酷かつ迷信的偏狭の人であったとする根拠のない伝説もつくり出された。カルプツォのせいで,2万もの死刑判決が下されたというのは事実無根である。…
…教会の権威が内部矛盾によってゆらぐ中世末期になると,狂気に由来する異常な言動は悪魔と手を結んだ人間または〈悪魔憑(つ)き(デモノマニアdemonomania)〉のあかしとみなされ,迫害が及ぶようになる。いわゆる〈魔女狩り〉の嵐が吹き荒れたのはルネサンスに入ってからで,〈中世全体を通じて焚刑に処せられた魔女の数は,もっと進歩的になった15世紀とその後の2世紀間に焚刑にされた魔女の数より少ない〉と伝えられる。魔女裁判の教典とされたのは,ドミニコ会士H.クレーマーとJ.シュプレンガーの共著になる悪名高い《魔女への鉄槌》(1486)で,ここには魔女の〈臨床症状〉や〈診断方法〉が詳述されている。…
… 殺される当人にとっては残酷きわまりない話だが,為政者にとって焚刑の行われる空間は,一種大規模なショー,不特定多数の群衆に恐怖,娯楽的要素をまじえてイデオロギーを注入するかっこうの場として利用された。ヨーロッパにおけるその典型例は,異端審問inquisitio hereticae pravitatisと18世紀後半まで続く魔女狩りである。異端を焼き,灰を捨てるのは,もともと同信者に遺物,記念品を残さないためでもあった。…
…中世の政治・宗教的状況の崩壊とともに,とりわけ中部ヨーロッパに社会不安が蔓延し,人々はこれを世界終末時に悪魔の支配がおこる兆候とみた。そのためのスケープゴートとして魔女たちを血祭りにあげるいわゆる〈魔女狩りwitch hunting〉が発生した。教会側からみた魔女信仰の調査は,2人のドミニコ会士,J.シュプレンガー,H.クレーマー共著の《魔女の槌》(1486)にまとめられたが,この著作を契機に,魔女狩り,魔女裁判,魔女容疑者への拷問,火刑は15~16世紀における〈一つの産業〉(K.セリグマン)にまで膨張し,その猛威は16世紀末~17世紀初頭に頂点を迎えた。…
※「魔女狩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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