鳩野宗巴(読み)はとの・そうは

朝日日本歴史人物事典 「鳩野宗巴」の解説

鳩野宗巴

没年元禄10.閏2.8(1697.3.30)
生年:寛永18(1641)
江戸前期の外科医。本姓中島,家号は松水軒。先祖は代々岩国藩(岩国市)藩士だったが,父長三郎の代に致仕して長崎に出た。宗巴は蘭医アルマンスについて外科を学んで医を業とした。天和1(1681)年肥後(熊本)藩主細川綱利に招かれ愛鳩の足傷を治療し「鳩の宗巴」といわれたのにちなみ,大坂に移住したとき鳩野に改姓したという。渡欧説が伝えられているが,否定的意見が強い。2代目から正式に肥後藩藩医となり,以後代々宗巴と称した。<参考文献>古賀十二郎『西洋医術伝来史』

(宗田一)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳩野宗巴」の意味・わかりやすい解説

鳩野宗巴
はとのそうは

[生]寛永18(1641).長崎
[没]元禄10(1697).閏2.8. 大坂
江戸時代前期の蘭方医。本姓は中島氏。長崎で生れ,オランダ人医師アルマンスー流およびカスパル流の外科を修めた。姓を中島より鳩野と改め,大坂に住んで開業,外科医として名声を得た。著書に『金瘡精義』 (9巻,1684) がある。子孫は代々宗巴を襲名し,元禄 14 (1701) 年,肥後の細川氏から「医術抜群且ツ旧家タルヲ以テ」 30人扶持の客分として迎えられた。2世以後8世まで細川藩医をつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳩野宗巴」の解説

鳩野宗巴 はとの-そうは

1641-1697 江戸時代前期の医師。
寛永18年生まれ。先祖は代々周防(すおう)(山口県)岩国藩士で,父の代に長崎にうつる。オランダ人医師カッツに外科をまなぶ。天和(てんな)元年(1681)肥後熊本藩主がかっていた鳩の脚の傷を治療したことから鳩野姓を名のる。のち大坂で開業。2代宗巴から熊本藩の藩医となり,代々宗巴をついだ。元禄(げんろく)10年閏(うるう)2月8日死去。57歳。本姓は中島。

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