マールイ劇場(読み)まーるいげきじょう(英語表記)Малый театр/Malïy teatr

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マールイ劇場」の意味・わかりやすい解説

マールイ劇場
まーるいげきじょう
Малый театр/Malïy teatr

ロシア劇場。付属の劇団がある。正式名称は「国立アカデミー・マールイ劇場」。1756年にモスクワ最古のドラマ専門劇団として発足した。ボリショイ(大)劇場の横にあり、そのドラマ専用のマールイ(小)劇場として1824年に開場したモスクワ最古のドラマ劇場。客席数1200。帝室劇場時代はグリボエードフの『知恵の悲しみ』、ゴーゴリの『検察官』、ツルゲーネフの『居候(いそうろう)』などロシア演劇の名作や、シェークスピアシラー、ローペ・デ・ベガなどの古典劇を上演、モチャーロフ、サドフスキーProv Sadovsky(1818―1872)、エルモーロワら多くの名優が舞台を飾った。リアリズム演技を確立した名優シチェープキン活躍したため「シチェープキンの家」とよばれ、劇作家オストロフスキーにちなんで「オストロフスキーの家」ともよばれる。1879年、チャイコフスキーオペラエウゲーニー・オネーギン』を初演した。革命後もトレニョフの『リューボーフィ・ヤロワーヤ』などの傑作を上演。ソ連時代にロシア共和国文化大臣となった名優ユーリー・ソローミンYury Solomin(1935―2024)が、1988年から30年以上にわたって芸術監督を務めた。1990年(平成2)に初来日して、チェーホフ『森の精』(ボリス・モローゾフBoris Morozov(1944― )演出)、1993年に再来日し、アレクセイ・トルストイ作『皇帝フョードル』などを上演した。

[中本信幸]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マールイ劇場」の意味・わかりやすい解説

マールイ劇場
マールイげきじょう
Malyi Teatr

ロシア,モスクワの最古の劇場。 1824年開場。オペラやバレエのためのボリショイ (大) 劇場と対照して,マールイ (小) 劇場と呼ばれた。ゴーゴリの『検察官』の初演劇場として,および A.グリボエードフの『知恵ゆえの悲しみ』が脚光を浴びた劇場として有名。 M.シチェプキンや P.モチャーロフらの名優が活躍,また A.オストロフスキーの作品のほとんどがこの劇場で脚光を浴びた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のマールイ劇場の言及

【ロシア・ソビエト演劇】より

…正称はTeatr rabochei molodyozhi)などに非常に多くの青年男女が参加した。 1920年代も半ばになると,旧帝室劇場であったレニングラードのプーシキン劇場Teatr imeni Pushkinaやモスクワのマールイ劇場Malyi teatrなども力を盛り返し,モスクワ芸術座も22‐24年にわたる外国公演旅行から帰り,演劇界全体がにぎわいを見せ始めた。その一因は激動の時代を図式的にではなく,人間を通して描く戯曲が書かれ始めたことで,例えばマールイ劇場のトレニョフ作《リュボーフィ・ヤロバーヤ》(1926),芸術座のブルガーコフ作《トゥルビーン家の日々》(1926),労働組合モスクワ市ソビエト劇場のビリ・ベロツェルコーフスキー作《暴風雨》(1925),メイエルホリド劇場のエルドマン作《委任状》(1925)などがその好例である。…

※「マールイ劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android