オペラ(英語表記)opera

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精選版 日本国語大辞典 「オペラ」の意味・読み・例文・類語

オペラ

〘名〙 (opera) 一七世紀初頭からイタリアに発達した音楽上の一形式。独唱のアリア、重唱、合唱に管弦楽演奏の前奏曲、間奏曲をおりまぜた音楽的要素に、舞台美術、演技、バレエなどを合わせた総合芸術として発達した。歌劇。
※航西日乗(1881‐84)〈成島柳北〉三月一二日「ブーセイ同行諸子を招き『オペラ』の演劇を観せしむ」

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デジタル大辞泉 「オペラ」の意味・読み・例文・類語

オペラ(〈イタリア〉opera)

歌唱を中心にして演じられる音楽劇。16世紀末イタリアで誕生。管弦楽を伴奏とし、扮装ふんそうした歌手が舞台上で演技を行う。歌劇。
[補説]語源はラテン語で、骨折りの意。
[類語]歌劇楽劇喜歌劇オペラコミックオペラセリアオペラブッファオペレッタミュージカル

オペラ(Opera)

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改訂新版 世界大百科事典 「オペラ」の意味・わかりやすい解説

オペラ
opera

オペラは〈作品〉や〈動作〉を意味するイタリア語のopera(ラテン語opusの複数形)を語源とし,本来はopera in musica(音楽による作品)あるいはopera scenica(舞台付きの作品)と呼ぶべきものを,略してオペラと呼ぶようになった。古くはfavola in musica(音楽による物語),dramma per musica(音楽によるドラマ)等の呼称もあった。日本では〈歌劇〉と訳されている。芸術音楽のジャンルとしてのオペラは16世紀末にイタリアに生まれ,その後今日までヨーロッパの音楽の発展の中で重要な地位を占めている。

 オペラの特色はステージを伴って歌と管弦楽によって演じられる音楽的なドラマという点にある。歌の中には,独唱によるアリアやレチタティーボのほか,種々の形態の重唱や合唱が含まれる。管弦楽は歌を支えるほか,序曲(前奏曲)や間奏曲を受け持ち,ときには独自のシンフォニックな流れでドラマの展開を後づける。このような音楽的要素に加えて,演技,舞踊,ステージ・デザイン,衣装,照明などの視覚的要素が,ひとつの総合的効果を目ざして,オペラという舞台芸術を作り上げてゆく。

ところで,同じ舞台芸術の中でも,純粋な戯曲と比べた場合,オペラは〈歌われるドラマ〉であるところに最大の特色があり,そのせりふはリブレットlibrettoと呼ばれて,普通の戯曲とは異なる性質を帯びている。なぜなら,オペラの歌は音楽の翼を帯びることによって,抒情的な表現力と技術的な華やかさにおいて比類のない高みに達するが,そうした効果を達成し維持するためには,音楽そのものの性質から,ある一定の時間的な持続を必要とし,その結果ドラマの発展は戯曲と比べて一般にスロー・テンポになり,複雑さを避けたものにならざるを得ないからである。また,あまりに抽象的・哲学的な概念や急激なイメージの転換は,オペラが苦手とするところである。たとえば,ハムレットの有名なせりふ〈to be or not to be,that is the question〉を効果的に〈歌〉に作曲せよ,と言われても,ほとんどのオペラ作曲家はしりごみするであろう。他方,《アイーダ》の〈勝ちて帰れ〉に見られるように,あふれんばかりの情緒とその背後にある想念を表現することにかけては,オペラは戯曲には見られない効果的な表現手段をもっている。このような理由から,すぐれた戯曲がただちにオペラに適するとは限らず,すぐれたリブレットが,文学的価値が高いとも限らない。とはいえ,メーテルリンクの戯曲によるドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》,ワイルドの戯曲によるR.シュトラウスの《サロメ》,G.ビュヒナーの原作によるベルクの《ウォツェック》のように,ごくまれに幸福な結びつきが見られるのも事実である。

明治年間にドイツに留学した森鷗外は,故郷への便りの中で,オペラという言葉にかえて〈西洋歌舞伎を見た〉と記したという。これは,たいへん巧みな比喩と言えよう。両者はいずれも音楽を伴う総合的な舞台芸術であり,主演俳優や歌手の華やかな人気,観客席やロビーの社交的雰囲気,スタンダードな演目を中心とするレパートリーの組み方などに共通するところが多い。しかし,相違点も少なくない。いくつかの要素を挙げれば,まず第1に音楽の占める比重の違いがある。歌舞伎では,作品の成立と構成の上で,狂言作者の作品に対し,演奏家であり作曲者である立場の人がそれに付随して音楽(伴奏)を作り出すのに対して,オペラではせりふ作者よりも作曲者の方がはるかに優位に立っている。また演出家の協力が不可欠であるとしても,全体を統轄する最高の責任者は指揮者である。

 第2に,社会的な背景から眺めた場合,歌舞伎はそもそも町人の芸術として興ったが,オペラは発生の時点からして貴族的な芸術であった。その流れを汲むイタリアのオペラ・セーリアopera seria(正歌劇)やフランスのトラジェディ・リリックtragédie lyrique(抒情悲劇)は,古典的な格調の高さにおいて高度の様式美を維持しながら,社会の上層部,支配階級と結びついて発展した。18世紀以降は,これに対して,イタリアではオペラ・ブッファopera buffa(道化オペラの意),フランスではオペラ・コミックopéra comique(喜歌劇,のちにはせりふを含むオペラを意味する),イギリスではバラッド・オペラballad opera(俗謡オペラ),ドイツではジングシュピールSingspiel(歌芝居)など,より庶民的な性格の強いオペラのタイプが興ったが,それらに共通するのは,正歌劇や抒情悲劇の貴族性と形式ばった様式に対する反動とパロディの精神であった。つづく19世紀には,作品の規模,壮大な舞台効果,シリアスな情緒において,かつてない高みに登ろうとした〈グランド・オペラgrand opéra〉に対して,再び庶民的な気軽さと息抜きを求めるオペレッタが興った。このような経緯は,当初から町人の芸術として発達してきた歌舞伎には見られないところである。

 第3に,演技と舞台の視覚形式の違いがある。歌舞伎の舞台は,あたかも一幅の絵巻物を見るかのように横長であり,さらに花道をもつことによって,視覚形式の横の流動性が強調され,観客席と演技者のあいだに交流が生まれる。それに対して,オペラの舞台は,舞台前縁に構えられたプロセニアム・アーチが額縁の役割を果たす画面にたとえることができよう。そこで重視されるのは,横の広がりだけでなく縦の広がりと奥行きであり,立体性である。プロセニアム・アーチの縦横比は,一般にほとんど正方形に近い。

歌舞伎とオペラの比較は,以上でひとまずおくとして,すでに述べた事がらからも推察されるように,オペラは,それを上演するためには本格的なオペラハウスopera houseを必要とする。一般の演奏会場(コンサートホール)とオペラハウスが根本的に異なるのは,舞台の機能に属する部分が建物の全体に対して占める比率の巨大さである。観客席から現実に見える舞台は,そのごく一部にすぎず,舞台転換の機能を十分に発揮するためには,両脇(脇舞台)と後方(後舞台)にそれに匹敵する空間が要求されるだけでなく,下方には奈落が,上方には各種の吊物を完全に吊り上げるためのフライ(塔屋)が必要とされる。理想的には舞台前縁から後舞台後縁までの距離は約50m,フライの高さも舞台水準から上方約40mに及ぶ。それに対して,観客席の方は,どの席からでも舞台前縁までの視距離が二十数mを超えないことが望ましい。その結果,舞台をとりまく馬蹄形の何層かに重なったギャラリー形式が採られることになる。このようなオペラハウス特有の建築様式は,17世紀のベネチアから徐々に興り,19世紀のグランド・オペラの流行を契機として,本格的なオペラハウスが各地に建設されるようになった。ワーグナーの手で建設されたバイロイト祝祭劇場は,作曲家であり演出家でもあったワーグナーが,自分の理想を実現するために構想したもので,舞台とその後方に接続する大道具格納庫の巨大さが目を奪う。ミラノのスカラ座ウィーン国立歌劇場,パリのオペラ座ニューヨークメトロポリタン歌劇場など,世界的に著名なオペラハウスは,いずれも目をみはるほど整備された舞台機構をもっている。一方,一幕物形式あるいは小規模なオペラを上演するためには,かえって小づくりな室内風のオペラハウスが適合する場合があり,ミラノのスカラ座に併設されたピッコラ・スカラ(小スカラ)は,その典型的な例である。

オペラのコラム・用語解説

【代表的なオペラハウス】

ウィーン国立歌劇場 Staatsoper Wien
1869年創立,建築設計A.vonジカルドスブルクほか。初演1869年5月25日,モーツァルト《ドン・ジョバンニ》。1945年第2次大戦で被災,その後再建。初演1955年11月5日,ベートーベン《フィデリオ》。
オペラ座 l'Opéra de Paris(正式名はパリ国立歌劇場Théâtre nationale de l'Opéra de Paris)
1671年王立音楽・舞踏アカデミーにおいてペランとカンベールによる《ポモーヌ》公演が始まり。1875年,現在の劇場完成(1862着工,2167席,建築設計C.ガルニエ)。
コベント・ガーデン王立歌劇場 Covent Garden Opera London
1732年創立(オペラハウスではなかった),建築設計J.リッチ。初演1732年12月7日,W.コングリーブの戯曲《世の習い》。1858年新歌劇場創立(1900席。現在2116席)。初演1858年5月15日,マイヤーベーアユグノー教徒》。
コロン劇場 Teatro Colón Buenos Aires
1857年旧劇場創立。初演1857年5月25日,ベルディ《椿姫》。1908年新劇場開場(3950席)。
ザルツブルク祝祭劇場 Grosses Festspielhaus,Salzburg
1924年創立。60年大ホール完成(2371席),建築設計ホルツマイスター。初演R.シュトラウス《ばらの騎士》。1960年まで祝祭劇場として用いられたものを小ホールとして使用。
サン・カルロ劇場 Teatro San Carlo,Napoli
1737年創立(1530席),建築設計A.メドゥラーノ。初演1737年11月4日,D.サロ《シロスのアキレウス》。
スカラ座 Teatro alla Scala,Milano
1778年創立,建築設計ピエルマリーニ。初演1778年8月3日,サリエリ《見知られたエウローパ》。1948年再建(3000席)。初演1948年5月11日,ロッシーニ,ベルディ等の作品。55年ピッコラ・スカラ(600席)が隣接して建てられる(初演チマローザ《秘密の結婚》)。
バイエルン国立歌劇場 Bayerische Staatsoper,München
1753年宮廷劇場創立,建築設計F.キュビリエ。その後何度か再建され,1963年新劇場完成。初演R.シュトラウス《影のない女》。
バイロイト祝祭劇場 Festspiel haus Bayreuth
1876年創立(1872年5月22日着工),建築設計O.ブリュックワルト。初演1876年8月13日,ワーグナー《ニーベルングの指環》全曲。
ハンブルク国立歌劇場 Hamburgische Staatsoper
1677年ゲンゼマルクト劇場として創立。初演1678年1月2日,ヨハン・タイレ《人間の創造,堕落,救済》。第2次大戦で被災,1955年新歌劇場完成(1674席)。初演モーツァルト《魔笛》。
フェニーチェ劇場 Teatro la Fenice,Venezia
1792年創立,建築設計J.A.セルバス。初演1792年5月16日,パイジェロ《アグリジェントの大競技》。1836年焼失のあと再建(1200席),建築設計バティスタ,メドゥナ。初演ドニゼッティ《ベリザーリオ》。
ベルリン国立歌劇場 Staatsoper Berlin(Ost)
1742年フリードリヒ大王の宮廷歌劇場Hofoperとして創立。建築設計クノーベルスドルフ。初演1742年12月7日,C.グラウン《シーザーとクレオパトラ》。1919年国立歌劇場となる。
ベルリン・ドイツ・オペラ Deutsche Oper Berlin(West)
1912年11月12日開場,初演ベートーベン《フィデリオ》。1961年新劇場完成,建築設計F.ボルネマン。初演61年9月24日,モーツァルト《ドン・ジョバンニ》。
ボリショイ劇場 Bol'shoi teatr,Moskva(正式名は国立アカデミー・ボリショイ劇場 Gosudarstvennyi akademicheskii Bol'shoi teatr)
1776年ウルソフとマドックスにより建てられたものが前身。1825年ペトロフスキー劇場からボリショイ劇場と改称,53年焼失,56年再建,建築設計A.カボス。
メトロポリタン歌劇場 Metropolitan Opera House,New York
1883年創立(3625席)。初演1883年10月22日,グノー《ファウスト》。1966年リンカンセンターに新オペラハウス完成(3788席),建築設計F.ゼッフィレリ。初演1966年9月16日,バーバー《アントニーとクレオパトラ》。

ところで,音楽芸術の諸分野の中で,オペラほど濃厚に国民性を反映するものはないと言っても過言ではない。もちろん器楽や歌曲の作品でも,作曲者のアイデンティティの一部としての国民性はおのずからにじみ出るものであるが,オペラの場合には,いくつもの要素が手を取り合って,さらにそれを濃厚にする。第1にストーリーがある。その国民にとって関心の深い神話,伝説,歴史物語等が題材に選ばれることが多く,それはしばしば成功作に導くひとつの要因とさえ考えられる(ウェーバーの《魔弾の射手》,清水脩の《修禅寺物語》等)。言うまでもなく,母国語で歌われる歌詞が国民性・民族性を鮮明にし,音楽にも民族的イディオムが打ち出され,意識的に民謡や民族的舞曲が取り入れられることが少なくない。さらに衣装,所作,背景などの視覚的要素が強い民族的な印象を与える。たとえば,19世紀国民楽派の音楽では,ロシアを代表するのがムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》であり,ボヘミアを代表するのはスメタナの《売られた花嫁》である。

 さらに,これらのヨーロッパ周辺の民族性の強い国々だけでなく,音楽の発展の主流を担ったヨーロッパ中枢部の国々においてさえ,国民性・民族性の差異は顕著であった。グルックの《オルフェオ》にはウィーン版(イタリア語)とパリ版(フランス語)があり,ワーグナーの《タンホイザー》にもドイツ語版とフランス語版があるが,両者ともフランスで上演するに当たっては,フランスの人たちのバレエ好みを考慮して,大幅な手直しを行っている。ついでながら,自然発生的にオペラが生まれたイタリア以外の諸国では,いずれの国でも,オペラは外から移入された芸術であった。そこでとくに大きな課題となったのは,生き生きとした〈語り〉の調子を保ちながら,しかも〈歌う〉というレチタティーボのスタイルを,いかにして新たに創造するかであった。この課題にこたえることは予想外にむずかしかった。すでに述べた庶民的な性格の強いオペラ・ブッファ,オペラ・コミック,バラッド・オペラ,ジングシュピール等のうち,イタリア以外の諸国ではレチタティーボの代りに〈なまのせりふ〉の対話がそのまま用いられた事実が,その事情を物語っている。他方,イタリア以外の諸国では,イタリア風の母音唱法にもとづく華麗なコロラトゥーラの技法は,一般に空疎なものと受けとられる傾向が強かった。

ところでオペラという芸術は,視覚と聴覚を総合した感覚的なアピールできわめて強く聞き手に迫るところから,しばしば国家の体制によって利用されたり,逆に検閲されたりという歴史をたどってきた。現存する最古のオペラであるJ.ペーリの《エウリディーチェ》をはじめ,かつては王朝同士の華やかな結婚の祝典にオペラはつきものであった。19世紀に入ると,民族主義的な独立運動や社会主義的革命の機運に火を投じるという理由でオペラの上演は折にふれて危険視され,みずから祖国の独立運動に参加したベルディのオペラは,しばしば検閲の対象となった。20世紀ではワーグナーのオペラがヒトラーの率いるナチスによって反ユダヤ主義に利用されたり,ショスタコービチの名作《ムツェンスクのマクベス夫人》が,ソ連の社会主義リアリズム路線の批判の対象となるなど,多くの事例を挙げることができる。

さて,概観の中で述べておくべきことのひとつに,オペラにおけるオーケストラの役割がある。オペラハウスの建物に約100人の楽団員を入れるオーケストラ・ボックスが不可欠であるように,オーケストラなしにはオペラは成り立たないと言ってよい。出し物が変われば,歌い手の方は交替するのが通例であるが,オーケストラが交替することは考えることはできない。むしろ,さまざまなレパートリーにつねに対応できる有能なオーケストラを維持することが,常設のオペラハウスにとって必要不可欠な条件である。一例として,ウィーン国立歌劇場のオーケストラは,劇場外で演奏活動を行う際は〈ウィーン・フィルハーモニー〉の呼称で知られ,それ自体世界第一級のコンサート・オーケストラとして名声を保っている。

 劇場は,ドラマティックな効果のためのオーケストレーションの創意と実験の場であり,その効果はしばしば後に続く時代のシンフォニックなオーケストラの書法に吸収されていった。モーツァルトが《後宮からの誘拐》で用いたトルコ風の打楽器の用法(トライアングル,シンバル,大太鼓)は,ベートーベンによって2管編成のオーケストラに付加して用いられ,《第九交響曲》の終楽章ではすでに〈トルコ風の軍楽〉という意味をはなれて高潮した音楽的表現の山を築いている。その後ブラームスの交響曲にいたるまで,同様の打楽器の組合せは,ロマン派オーケストラの常備の編成となった。またワーグナーは,ワーグナー・チューバと呼ばれる楽器を創案するなど,オーケストラの色彩の拡大につとめ,かつてない4管編成という規模にまでオーケストラを膨張させたが,その色彩的表現の豊富な可能性は,R.シュトラウスの《英雄の生涯》をはじめとする交響詩やマーラーの《千人のシンフォニー》などにこだましている。

しかし,オペラとオーケストラの結びつきがいかに深いとしても,オペラという芸術の〈花〉が,しょせん名歌手の名演にあることは,いうまでもない。すぐれた劇的表現のために,17~18世紀にはカストラートと呼ばれる人工的な声(男性アルト)が用いられ,一世を風靡したファリネリG.Farinelli(1769-1836)のような名歌手が生まれたが,カストラートを主役に配した有名なオペラは,モーツァルトの《イドメネオ》(1781)が最後である。初期のオペラにおける主要な役は,このカストラートのほか,ソプラノとテノールに限られていたが,18世紀に発展したオペラ・ブッファは道化役のバスを重視し,アリアの形式も重唱の組合せも,いっそう豊富になった。さらに19世紀に入ると,メゾ・ソプラノ,アルト,バリトン等にも,それぞれにふさわしい役がらが設けられ,同じ声域の内部でもドラマティコ(劇的表現に適した声),リリコ(抒情的表現に適した声),スピント(力強く張りのある声)など,さまざまの声の種類が区別されるようになった。ドニゼッティ,ベリーニ,ベルディからプッチーニにいたるイタリア・オペラの黄金時代は,これらのさまざまの声の種類による名場面の展覧会の観を呈する。ところで,古くからオペラの作曲家は,ある特定の歌手の演奏能力を念頭においてオペラを作曲することが珍しくなかったが,そのことは,あるタイプのすぐれた歌手が存在しない場合,過去の名作が再演不能に陥る可能性をはらんでいる,と言えよう。現に,最近ではM.カラスという卓越したソプラノ・ドラマティコを得て,ベリーニの《ノルマ》をはじめとする諸作品が本来の姿で舞台によみがえった事実が想起される。R.シュトラウスの《エレクトラ》は,初演時に,エレクトラに予定された女性歌手が,その役がらの困難さのために出演を放棄するというスキャンダルを生んだ。他方,イギリスの20世紀のオペラを代表するブリテンは,名テノールのP.ピアーズを主役とし,彼の助言のもとに傑作を残した。ピアーズなしにはブリテンのオペラは成立しなかったであろうと言われるのも,そのためである。なお,ワーグナーの作品は,とりわけ声量の豊かな歌い手でなければ歌いきることができないために,特別に豊かな声量をもち,ワーグナーの作品のキャラクターに適した歌い手を,とくに〈ワーグナー歌手〉と呼ぶならわしがある。

オペラの前身は,ルネサンスのイタリアの宮廷で行われた音楽付きの祝祭的な催しのインテルメディオ(インテルメッツォ)にさかのぼると言われるが,実際にオペラの形態をとった最初の作品は,ペーリ作曲の《ダフネ》(1598)であった。しかし,この作品は断片的にしか伝わらず,今日楽譜を伴う完全な形で残っている最古の作品は,1600年にフランス国王アンリ4世とメディチ家のマリア姫の結婚を祝して,フィレンツェで上演されたペーリの《エウリディーチェ》である。その後マントバの宮廷で上演されたモンテベルディの傑作《オルフェオ》などを含め,初期のオペラは宮廷と貴族の娯楽であった。しかし,1637年商人の都市ベネチアに初めて公開のオペラハウスが開かれて以来,宮廷的な催しとして贅(ぜい)をこらしたオペラと,企業として営まれる市民のオペラの二つの線が分立した。宮廷的なオペラは,太陽王ルイ14世の治世にリュリが創始した古典的な題材による荘重典雅なトラジェディ・リリックを生み,プロローグ付きの5幕仕立てを基本とした。他方,市民のオペラは,世話物的・歴史的な題材とリアリスティックな表現を好み,きまじめなストーリーの中にもコミックな挿話を含むのが常であった。

この傾向は,18世紀に入りオペラ・セーリアとオペラ・ブッファに分離し,最初はこっけいな道化茶番からスタートしたオペラ・ブッファも,世紀の後半には,しだいに抒情的要素を取り入れ,悲喜こもごものメロドラマ的興味で,人々を楽しませるものになった。カンプラやラモーのような作曲家を擁して独自のオペラのスタイルを保ったフランスを除けば,18世紀の全ヨーロッパを事実上支配したのは,イタリア風のオペラであった。18世紀のオペラは,しばしばA.スカルラッティに始まりモーツァルトに終わると言われるが,モーツァルトの名作のうち,《フィガロの結婚》や《ドン・ジョバンニ》はオペラ・ブッファの流れをくむ作品であり,《イドメネオ》はオペラ・セーリアの流れを汲む作品である。その間に挟まれるヘンデルやオペラの改革者として知られるグルックもイタリア語をテキストとしてオペラを作曲した。いわば,イタリア語とイタリア風の流麗な旋律法は,この時代のオペラの公用語であったと言ってよい。

 しかし,18世紀の後半からは,すでに触れたようにドイツのジングシュピールやフランスのオペラ・コミックのように,自国語をテキストとし,しだいに上昇してくる市民階級を基盤とした,新しいタイプの国民的なオペラが勃興してくる。ウィーンの場末の劇場で上演されたモーツァルト晩年の名作《魔笛》は,その一例である。この種のオペラは,素朴なセンチメント,見世物的興味,悪の世界と善の世界の対立といったモティーフを共通の要素として,一方ではケルビーニの《二日間》からベートーベンの《フィデリオ》へつながるサスペンスに満ちた〈救出オペラ〉へと発展し,他方ではウェーバーの《魔弾の射手》に典型的な例を見る国民的なタイプのロマン派オペラへとつながっていった。

19世紀のオペラが,大がかりな舞台効果を特色とした〈グランド・オペラ〉の方向へと発展していったことは,前述した通りである。この傾向はロッシーニの《ウィリアム・テル》やマイヤーベーアの《ユグノー教徒》などを経て,アルプスの北ではワーグナー,南ではベルディという二人の巨匠の芸術に結実した。二人はともに1813年の生れであり,互いに意識せずにはいられなかったが,ワーグナーが北方の霧に包まれた神話と伝説の世界をテーマとしたのに対して,ベルディが選んだのは,真実の愛が謀反や陰謀,運命の軋轢(あつれき)にさらされる人間性のドラマであった。ライト・モティーフや無限旋律のシンフォニックなうねりの上に声が漂うワーグナーの作風に対して,ベルディの場合はオーケストラの用法がどれほど色彩的暗示的であろうと,その本質は歌手と声のオペラである。前者では自作のリブレットによる巨大な四部作《ニーベルングの指環》や舞台清祓祝典劇という副題を添えられた《パルジファル》が,後者ではスエズ運河の開通を記念した《アイーダ》とシェークスピアの戯曲にもとづく《オテロ》および《ファルスタッフ》が,生涯の芸術活動を集約する作品となっている。

 ベルディとワーグナー以後は,彼らに匹敵するほど偉大なロマン派オペラの作曲家はもはや現れなかった。ドイツではワーグナー風の技法をメルヘンの世界と結びつけたフンパーディンクの《ヘンゼルとグレーテル》があり,イタリアでは,下層市民の生活に題材をとり,なまなましい現実感を盛り上げたマスカーニの《カバレリア・ルスティカーナ》とレオンカバロの《パリアッチ》が現れた。しかし,マスカーニやレオンカバロによるベリズモ(写実主義)オペラの成功は一時的なものにすぎず,18世紀以来イタリアで培われてきたベル・カント唱法の伝統を受け継いで抒情的旋律美の最後の峰を築いたのは,《ラ・ボエーム》や《蝶々夫人》で知られるプッチーニであった。

 一方,イタリアとドイツの両国に挟まれたフランスでは,19世紀の前半にはベルリオーズの活躍があるが,世紀の後半に,異国趣味をまじえた生き生きとした音楽の語法とイメージの鮮烈さで,独自の境地を開いたのが,ビゼーの《カルメン》である。マスネーの抒情的なオペラやパリの市民生活の哀歓を描いたシャルパンティエの《ルイーズ》などは,愛すべき作品ではあっても,本源的な力に欠けるものがある。

19世紀後半のロマン派オペラの大きな特色は,長調・短調の調性にもとづく息の長い抒情的旋律と,それを支える機能和声および管弦楽の充溢した色彩的用法にあった。全般的に見れば,20世紀のオペラは,このようなロマン派オペラへのアンチテーゼとしての性格をもっている。オペラ史に近代の扉を開いた印象主義の作曲家ドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》には,ささやくような朗誦風の旋律と柔軟なリズムが支配的であり,オーケストラは微妙で精緻な音色の陰影をくりひろげる。ドイツ・オーストリア圏では,R.シュトラウスが,ワーグナーの流れを汲む大編成のオーケストラを駆使して,《サロメ》では強烈な官能の世界を,《エレクトラ》では異常なまでに屈折した心理的表現の世界を開いた。しかし,《ばらの騎士》では,上記の作品に見られる表現主義的傾向に再び手綱が締められ,優美な感覚的洗練と擬古的な傾向が現れてくる。

 これを境として迎える二つの大戦間の時期は,ジャズの語法の導入(ストラビンスキーの《兵士の物語》,クルシェネクの《ジョニーは演奏する》),原始主義(オルフの《カルミナ・ブラーナ》),民族主義(バルトークの《青ひげ公の城》),新古典主義(ストラビンスキーの《エディプス王》)など,当時の作曲界のさまざまな潮流を反映したオペラが作られる一方,調性と和声機能の否定を意識的に徹底させた十二音の技法(十二音音楽)によるオペラが台頭した時期である。この技法の開拓者であるシェーンベルク自身には《モーゼスとアーロン》があり,その弟子ベルクは名作《ウォツェック》を残した。この作品では,予測し難い生の衝動に駆られた人間悲劇がきわめてリアルに描かれ,旋律的歌唱と語りの中間をゆくシュプレヒシュティンメの発声法も効果的に用いられている。より歌唱的ではあるが,イタリアのマリピエロによる《夜間飛行》も,同時期の十二音の技法による作品である。なお,両大戦間の時期に,アメリカでは黒人霊歌とジャズの語法を取り入れたガーシュウィンの《ポーギーとベス》が成功を博し,イギリスでは折衷主義的な作風ながら劇的効果にすぐれたブリテンの《ピーター・グライムズ》が現れた。

 第2次大戦以後のオペラは,新しい作風の展開という点からいえば必ずしも豊かではない。カフカの実存主義文学と結んだアイネムの《審判》やヘンツェの《田舎医者》をはじめ話題をよんだ作品は多いにもかかわらず,閉じられた舞台空間で観客に呈示される〈歌われるドラマ〉としての伝統的なオペラの形式が,現代の前衛的な作曲家たちからは,しだいに見捨てられる傾向が強いからである。しかしなお,諸都市のオペラ劇場は,蓄積された過去の膨大なレパートリーと一部の現代作品を取捨選択して取り上げながら,演出面に新しい工夫を加えて,市民生活の中に重要な地位を占めている。

日本におけるオペラの上演は,1903年,東京音楽学校の奏楽堂で行われたグルックの《オルフォイス(オルフェオとエウリディーチェ)》にさかのぼる。その後,明治・大正期を通じて,帝国劇場の催しや浅草オペラなど種々の興行が行われたが,昭和に入って山田耕筰の日本楽劇協会と藤原歌劇団の活動が本格化した。第2次大戦後は,長門美保歌劇団,関西歌劇団,二期会が興り,とくに藤原歌劇団と二期会は,オペラを日本に定着させるために,努力を継続して今日にいたっている。その間に,日本人作曲家による新作もあいつぎ,団伊玖磨の《夕鶴》,清水脩の《修禅寺物語》など,諸外国に紹介される作品も現れてきた。しかし,今なお欧米の諸国のように整備されたオペラハウスがなく,観客の動員力においても,1回の出しものが1夜ないし2夜に終わるという状況は,今後の日本におけるオペラのあり方に大きな問題を投げかけるもの,と言わなければならない。
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百科事典マイペディア 「オペラ」の意味・わかりやすい解説

オペラ

歌劇と訳す。ヨーロッパで発展した音楽(独唱,重唱,合唱,管弦楽など)による劇作品の総称。初め音楽によるドラマと呼ばれたものが,17世紀中ごろからopera in musica(音楽による作品)となってオペラと略された。1598年にフィレンツェの〈カメラータ〉で上演されたペーリ作の《ダフネ》が現在のようなオペラの最初とされる。ポリフォニーを離れ言葉を重んじ,通奏低音を伴う独唱を中心とした形式は,次いでベネチアのモンテベルディによって早くも完成の域に達し,初期バロック・オペラの様式が確立された。さらにナポリのA.スカルラッティ,ペルゴレーシへ受け継がれるとともに各国にも普及し,フランスのリュリ,ラモー,英国のパーセル,ドイツおよびオーストリアのグルック,モーツァルト,ベートーベンらが発展に寄与した。19世紀になるとイタリアではロッシーニ,ドニゼッティ,ベリーニ,ベリズモのプッチーニ,マスカーニ,レオンカバロ,ドイツではウェーバーがオペラにおけるロマン主義の道を開拓し,フランスではグノー,トーマらが出たが,中でもイタリアのベルディとドイツのR.ワーグナーの業績が大きい。また一方では,ロシアのグリンカ,チャイコフスキー,ムソルグスキー,リムスキー・コルサコフ,チェコのスメタナらが民族色を鮮明に打ち出した作品を残した。その後のオペラはヤナーチェク,ドビュッシー,R.シュトラウスらによって継承され,以後シェーンベルク,バルトーク,ストラビンスキー,ベルク,ワイル,ガーシュウィン,ダラピッコラ,ショスタコービチ,ブリテン,ヘンツェ,B.A.ツィンマーマン,A.ライマン〔1936-〕,シュニトケなどの多様な作品が書かれた。日本では団伊玖磨(だんいくま)の《夕鶴》(1952年初演),清水脩の《修禅寺物語》(1954年初演)などを先駆として間宮芳生,松村禎三らの注目すべきオペラが生まれ,1990年代以降は中国の作曲家譚盾(タン・ドゥン)〔1957-〕の作品などが誕生。オペラという形式は欧米以外の地でもその可能性を拡げつつある。フェルゼンシュタインやW.ワーグナーの登場以来,オペラ演出家の存在も重みを増した。なおオペラはスタイルによって,オペラ・セーリア(悲劇的題材のイタリア正歌劇),オペラ・ブッファ(幕間狂言に由来する喜歌劇),グランド・オペラ(フランス正歌劇。広義には,叙事詩的な題材による大規模なオペラをいう),オペラ・コミック(語りが入るフランス・オペラの一形式),ジングシュピール楽劇オペレッタなどに分類される。→アリア序曲シンフォニアミュージカルレチタティーボ
→関連項目ウォルフ・フェラーリ売られた花嫁オーベールカッチーニ管弦楽間奏曲グルックサルスエラシュトラウス絶対音楽チマローザディッタースドルフドン・ジョバンニパイジェロパーセル標題音楽ベッキペーリペルゴレーシボイエルデューモンテベルディロッシーニ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オペラ」の意味・わかりやすい解説

オペラ
opera

音楽を中心とする総合舞台芸術。音楽面は独唱,重唱,合唱,管弦楽などで構成され,独唱の部分はレチタティーボアリアなどから成る。起源はギリシア悲劇にさかのぼるが,現存最古のオペラは J.ペーリ作曲『エウリディーチェ』 (1600) 。初期には 17世紀初頭のイタリアのモンテベルディがオペラの劇的性格を高め,その後 A.スカルラッティらのナポリ楽派,フランスの J.リュリ,ラモーらが活躍し,18世紀にはドイツでもオペラが盛んになった。グルックは『オルフェオとエウリディーチェ』 (1762) 以後,歌唱一辺倒のナポリ楽派オペラを改め,演劇的な合理性を強めることによってオペラ改革を行なった。現在上演される大部分の作品は彼以後のものが多い。ドイツではモーツァルトがイタリアオペラの様式に自国の伝統を取入れ,19世紀にはワーグナーが従来のオペラ様式と異なった楽劇を大成。同じ頃イタリアではベルディが多数の傑作を発表。その後オペラはヨーロッパを中心に多様に変遷してきており,日本でも第2次世界大戦後オペラの上演や創作が活発になった。

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知恵蔵 「オペラ」の解説

オペラ

Opera」のページをご覧ください。

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IT用語がわかる辞典 「オペラ」の解説

オペラ【Opera】

ノルウェーのオペラソフトウェアが開発したウェブブラウザーWindowsMac OSLinuxなど、さまざまなオペレーティングシステムで利用できる。タブブラウザー機能を持つ。

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色名がわかる辞典 「オペラ」の解説

オペラ【opera】

色名の一つ。明るい赤紫のこと。20世紀初頭に登場した色名で、オペラピンク、オペラモーヴともいう。主に絵の具の色名に使われる。歌劇、あるいは歌劇場の華やかなイメージを意味するとされるが、正確な由来は明らかでない。日本でもドレスやストールに用いられる色。

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デジタル大辞泉プラス 「オペラ」の解説

オペラ

イミュ株式会社が販売するアイメイク用品、ベースメイク用化粧品のブランド名。

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世界大百科事典(旧版)内のオペラの言及

【イタリア演劇】より


[ルネサンス以前]
 イタリア演劇の発生的形態は,12世紀から13世紀にかけて中部イタリアを中心に歌われたり,演じられたラウダlauda(神をたたえる歌)であるとされているが,それはかならずしも演劇ばかりではなく,オラトリオやオペラの起源でもある。このラウダの作者や演じ手は,主として〈兄弟団〉といわれる宗教組織に属する聖職者たちであった。…

【イタリア音楽】より


[バロック]
 1580年代のフィレンツェで,一群の貴族と文学者と音楽家がカメラータ(同志の意)と自称したアカデミアに結集し,古代ギリシアの音楽のあり方を探りつつ,ギリシア悲劇を復興しようとする運動を起こした。その結果,オペラが生まれ,バロック様式のひとつの基礎となった通奏低音伴奏の独唱歌が生み出された。カメラータのリヌッチーニOttavio Rinuccini(1562‐1621)の台本,ペーリの作曲による《エウリディーチェ》(1600)は,今日まで伝えられた最古のオペラである。…

【ダベナント】より

…1642年,革命によって劇場が閉鎖され,せりふ劇の上演が不可能になって以後は,音楽劇と称して自作《ロードス島の包囲》(1656初演)などを上演した。この作品はイギリス最初のオペラとみなされることがある。60年,王政復古に際して劇場経営の勅許を得,リンカンズ・インズ・フィールズに公爵劇場を開場,T.ベタートンを中心とする劇団の本拠とした。…

【バロック音楽】より

…同時代の美術の場合と同じく,バロック音楽を社会的に支えたのは,ベルサイユの宮廷に典型を見る絶対主義の王制と,しだいに興隆する都市の市民層であった。前者は威儀を正した華麗で祝祭的な表現に向かい(序幕付き5幕の宮廷オペラ,宮廷バレエ,管弦楽組曲,二重合唱のためのモテットなど),後者はつつましやかな規模の中に音楽的な喜びをひめた家庭音楽(鍵盤楽器のための組曲や変奏曲,小規模なソナタと歌曲など)を出発点としながら,しだいにその要求を高め組織化して,後期には市民のための公開コンサートの制度を確立するまでになった(パリのコンセール・スピリチュエルなど)。
[音楽的特色]
 いうまでもなく,ほぼ1世紀半にわたる音楽的な営みの中には歴史的な推移があり,国民様式の差異があるが,前後の時代と比較した場合,バロック音楽の音楽的特色は,以下のようにまとめることができよう。…

※「オペラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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