ドイツ古典主義文学の代表的作家。敬虔な軍人の家に生まれ,ビュルテンベルク公の命により士官学校で法律,後に医学を学ぶ。軍医任官後文学活動を禁じられ,1782年公国を亡命。83年マンハイム劇場脚本家。85年ケルナーChristian Gottfried Körnerの招きでライプチヒへ。87年ワイマールでC.M.ウィーラント,ヘルダーを知る。88年イェーナ大学歴史学教授,K.W.vonフンボルトと交わる。90年結婚,翌年大病。94年以降雑誌《ホーレン》の刊行などゲーテとの交友と協力がはじまる。
彼の作品を見ると,まず処女戯曲《群盗》(1781)と市民悲劇《たくらみと恋》(1784)は,激烈な言葉の躍動と緊迫した場面転換によって,〈シュトゥルム・ウント・ドラング〉の革命的情熱を鮮明に示している。青年期の戯曲にはほかに《フィエスコの反乱》(1783)がある。〈ラウラ〉の歌を含む《1782年までの詞華集》は,早くも彼の思弁的感性を示している。85年ライプチヒ移住後は,《犯罪者》(1786),《見霊者》(1787-89)などの小説を発表。87年最初の古典主義戯曲《ドン・カルロス》を完成,政治的自由と人間性の問題を,理想主義的な主人公への共感を通して荘重に歌い上げた。歴史研究の成果に,《オランダ離反史》(1788),《三十年戦争史》(1791-93)があり,カント哲学研究の成果には,《優美と品位について》《崇高について》(ともに1793)などが,またそれを基礎にしたシラー美学の集大成として《人間の美的教育に関する書簡》《素朴文学と感傷文学について》(ともに1795)がある。独自の思想詩に,芸術と人間性,美と真実の古典主義的統一の理想を歌った《ギリシアの神々》(1788),《芸術家》(1789),《理想》《逍遥》(ともに1795)などがある。ほかにゲーテと共同発表した《クセーニエン》(1796)や,古典期の抒情詩として多くのバラードがある。
晩年には,運命悲劇《ワレンシュタイン》三部作(1799),主人公の悲劇的生涯を死の数日間に凝縮した《マリーア・シュトゥアルト》(1800),形式的に最もまとまった《オルレアンの処女》(1801),合唱隊などの擬古典様式を採りながらロマン主義的要素を持つ《メッシナの花嫁》(1803),民衆的で生き生きとした自由の賛歌《ウィルヘルム・テル》(1804)などのすぐれた古典期の戯曲を次々に発表。1802年には貴族に列せられた。
彼は自由を求める理想主義的国民詩人として青年たちに迎えられたが,イェーナのロマン派の拒否にあった。文学から歴史・哲学・美学まで幅広い著作を残したシラーは,後世各時代の持つ政治的・社会的・精神的色彩を反映して,例えば政治的扇動家,自由と道義の戦士,愛の殉教者といったようにかたよった評価を受ける時もあったが,それらを総合した真に調和ある普遍的人間性こそ彼の理想であり,彼の生涯はかかる理想の実現の可能性を求めての苦闘の歩みであった。シラーの業績の現代的意義もまたここにある。
執筆者:長屋 代蔵
イギリスの哲学者,プラグマティスト。ラグビー校,オックスフォード大学(ベイリオル・カレッジ)で学び,コーネル大学,オックスフォード大学(コーパス・クリスティ・カレッジ),南カリフォルニア大学などで教えた。1921年にアリストテレス協会の会長をつとめ,26年にはブリティッシュ・アカデミーの会員に選ばれている。シラーは当時イギリスの哲学界を支配していたドイツ観念論の影響を受けながらもヘーゲル学派の一元論的絶対主義には強く反対して,独自の〈人格的観念論〉を唱えた。世界におけるいっさいの事象は人間との関係においてのみ--人間の実践的要求,目的,活動に対してのみ--意味と価値を有し,あらゆる知識や価値は人間主観の産物であり,〈真理〉〈実在〉もわれわれが真理として,実在として認識するもの,すなわちわれわれの認識の仕方によって規定される。したがってそれらは相対的で,絶えざる生成の過程にあり,決して人間から独立に存在する絶対的なもの,不変のものではないと説く。彼はそれを〈人本主義〉〈人格主義〉〈プラグマティズム〉とも称している。それはW.ジェームズのプラグマティズムに最も近い思想で,イギリスにおけるプラグマティズムを代表するものである。著書にはジェームズに捧げられた《人本主義--哲学論集》(1903)のほかに,《人本主義の研究》(1907),《形式論理学》(1912)などがある。
執筆者:米盛 裕二
ユリ科ツルボ属Scillaの秋植え球根(鱗茎)植物。ツルボ属はヨーロッパ,アジア,アフリカなどに分布し,約100種もあり,日本のツルボもこの仲間である。花も姿もさまざまだが,ヒアシンスを小型にしたようなシラー・シビリカS.sibirica Hawやシラー・ヒスパニカS.hispanica Mill.,星形の小花が傘形に密生して咲くシラー・ペルビアナS.peruviana L.がよく知られていて,春咲球根類のわき役ともいえるかれんな花をつける。草丈は低いもので10cm,高いもので30~40cmとなり,開花期は3~5月,花壇,鉢植え,庭の一隅によく調和し,水栽培も可能な種類がある。紫,濃青,青,桃,白と花色が豊富なことと,球根は皮がなく小さなジャガイモに似ているのが特徴である。シラーは耐寒性が強く,日当りでも半日陰でもよく育つ。10月に密植にして植え込み,排水に留意する。繁殖は旺盛で,2~3年植えたままにすれば,みごとに群生する。中国産のシラー・シネンシスS.sinensis(Lour.)Merr.は薬用とされる。また日本産のツルボは,路傍や耕作地の雑草で,初秋に桃色の花を多数つける。
執筆者:水野 嘉孝
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1759~1805
ドイツの詩人。『群盗』によって「疾風怒濤(しっぷうどとう)」の作家としてデビューするが,のち歴史とカント哲学の研究により古典的調和を求めるようになる。1804年以降,ヴァイマルにおけるゲーテとの交流を通じてドイツ古典主義文学を確立した。
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…シラーの完成した最後の韻文戯曲。1804年作。…
…この運動の主要な劇作家は,クリンガーとJ.レンツの対比に見られるごとく,情熱的天才タイプと感傷的情緒不安定タイプに大別される。代表的戯曲を傾向別に挙げると,まず自己の本性の無限の実現を邪魔するいっさいの生活規範を否認する〈どえらい奴grosser Kerl〉を描くゲーテの《ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン》(1773),クリンガーの《双生児》(1776)など,次に普遍的人間的自由への革命的要請を歌いあげたシラーの《フィエスコの反乱》(1783),《たくらみと恋》(1784),第3に社会における個人の自由を求めたライゼウィッツJohann Anton Leisewitz(1752‐1806)の《ターレントのユーリウス》(1776),シラーの《群盗》(1781),そして社会的被抑圧者のための正義を訴えたワーグナーHeinrich Leopold Wagner(1747‐79)の《嬰児殺し》(1776),レンツの《軍人たち》(1776)に大別される。しかし,これらの独創的な天才たちが提示した文学の本質に関する基本的見解は,ゲーテやシラーの古典主義作品,さらにはロマン主義文学に受け継がれ,20世紀の表現主義文学にもつながる重要な発言であったが,この運動の持つ既成秩序に対する抗議,反抗といった側面は過渡期的現象に終わり,急速に衰退していった。…
…出版に際しては,時のプロイセン国王フリードリヒ・ウィルヘルム3世に献呈された。この交響曲の特徴は先例のない規模の大きさと,終楽章にJ.C.F.シラーの詩《歓喜に寄せてAn die Freude》による独唱と合唱を用いたことである。〈全人類が同胞になる〉というヒューマニズムの理想を歌い上げた終楽章は,今日なお聴衆に深い感激を喚起せずにはおかない。…
…劇作では,フランス古典主義演劇の形式を退けて,シェークスピアに範をとる多場面構成で,強烈な個性をもつ人物をもつ戯曲が求められた。ゲーテは史劇《ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン》(1773)によってその要望を満たし,70年代中葉にはほかにも注目すべき劇作が発表されたが,J.C.F.シラーの《群盗》あたりからこの運動は退潮した。ゲーテはワイマールに移ってから,しだいに古典主義的な立場をとり,ワイマール宮廷劇場の監督として様式の確立に腐心するようになった。…
…もう一つは両極的原理たる自然と精神との調和という道徳的意義の発現にある。J.C.F.シラーは人間の身体運動も道徳性をはらむ精神の表現であることに着目し,感性と理性,性向と義務との全き調和を〈美しき魂schöne Seele〉と呼び,これの発現こそ優美にほかならぬとして以後の優美論の方向を定めた。だがさかのぼればギリシア語カリスcharisに発する概念ゆえ論者は他にも数多くあり,それら諸説の検討成果を大著《優美の美学》(1933)にまとめたのはバイエRaymond Bayerである。…
…
[ドイツにおけるロマン派演劇]
演劇におけるロマン主義の時代区分は,他のジャンルの場合とはやや異なるものの,およそ1770年代から1830年代までと考えてよかろう。なぜなら1770年代にドイツに起こった疾風怒濤(しつぷうどとう)(シュトゥルム・ウント・ドラング)の運動は,他のヨーロッパ諸国のロマン主義に与えた影響から考えると,広義のロマン派と呼びうるからである(ただドイツにおいては,疾風怒濤期以後に古典主義が成立し,またさらにロマン派が生まれ,疾風怒濤の代表作家だったゲーテ,シラーらが古典主義を確立して,ロマン派と対立するというやや特殊な事情も存在する)。疾風怒濤派は,とくに劇文学において,〈三統一〉の法則を典型とする古典主義の〈法則の強制〉に反発し,啓蒙的な合理主義に対して感情の優位を主張して,シェークスピアを天才的で自由な劇作の典型として崇拝した。…
…路傍,土手などの人里近くの草地に生えるユリ科の多年草。8~9月の花期には紫色の花を密につけた穂状花序がよく目だつ。花茎は高さ20~40cm。無毛で葉はつかない。花被は6枚で長さ3~4mm,おしべは6本で花被と同長。子房は3室。蒴果(さくか)は倒卵形で長さ4~5mm。花後に出る根出葉は線形で長さ10~30cm,花時以外は目だたない。地下には鱗茎がある。日本全土に分布し,ウスリー,朝鮮半島,中国大陸,台湾にもある。…
…細胞遺伝学の研究材料として広く研究されているものの一つである。 ツルボ属Scilla(英名squill)は約100種を含む大きな属で,ヨーロッパ,アフリカ,アジアに分布する。日本は属としての分布の東端にあたり,ツルボ1種のみが知られている。…
※「シラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
一粒の種子をまけば万倍になって実るという意味から,種まき,貸付け,仕入れ,投資などを行えば利益が多いとされる日。正月は丑(うし),午(うま)の日,2月は寅(とら),酉(とり)の日というように月によって...
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