ツルゲーネフ(読み)つるげーねふ(英語表記)Иван Сергеевич Тургенев/Ivan Sergeevich Turgenev

精選版 日本国語大辞典 「ツルゲーネフ」の意味・読み・例文・類語

ツルゲーネフ

(Ivan Sjergjejevič Turgjenjev イワン=セルゲービチ━) ロシア小説家地主貴族の子に生まれ、農奴解放前後の古い貴族の意識と、改革理想をもつ新しい世代との対立基調に、抒情ゆたかにロシアの田園を描いた。代表作は「猟人日記」「ルージン」「父と子」など。(一八一八‐八三

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デジタル大辞泉 「ツルゲーネフ」の意味・読み・例文・類語

ツルゲーネフ(Ivan Sergeevich Turgenev)

[1818~1883]ロシアの小説家。人道主義に立って社会問題を取り上げる一方叙情豊かにロシアの田園を描いた。二葉亭四迷の訳で早くから日本に紹介された。作「猟人日記」「ルージン」「父と子」など。トゥルゲーネフツルゲネーフ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツルゲーネフ」の意味・わかりやすい解説

ツルゲーネフ
つるげーねふ
Иван Сергеевич Тургенев/Ivan Sergeevich Turgenev
(1818―1883)

ロシアの小説家。11月9日、ロシア中部のオリョール市に生まれ、母の領地スパスコエ・ルトビーノボ村で育った。母は貴族の旧家の出。父は軍人で、のちに騎兵大佐。母は惨めな孤児の娘時代を送ったが、思いがけず莫大(ばくだい)な遺産の相続人となり(当時30歳)、財産目当ての求婚者が押しかける。そのなかから選ばれたのが六つ年下の美男。たいへんな浮気者で、家庭内に風波が絶えなかった。そうした家庭の不和と、母の農奴に対する暴君ぶりは、感じやすい少年の心に暗い陰りを残した。1839年の火事で焼けたスパスコエ・リトビーノボ村の地主屋敷は、部屋数が40もあり、使っている下男下女は40人を超え、所有する農奴は5000人を数えた。その地方屈指の豊かな地主であったという。

 当時の慣習に従って、初め家庭で教育を受けた。1827年一家はモスクワへ転居。私塾で基礎的な準備教育を受けたのち、33年モスクワ大学文学部に入学。34年秋、ペテルブルグ大学哲学部言語学科に転入学。ロマン主義全盛時代で、青年たちはシラーを読み、美や善や真理について語り合った。ペテルブルグ大学を卒業して38年5月ドイツに留学。ベルリン大学で聴講。39年一時帰国するが、40年2~5月イタリアに滞在。5~12月ベルリン大学でヘーゲル哲学、言語学、歴史学を学ぶ。この地で彼はスタンケービチ、グラノーフスキー、バクーニンらと親しくなる。とくにバクーニンは後年『ルージン』のモデルになったとされる。41年留学を終えて帰国。翌42年哲学博士の試験に合格。この年、農奴の娘との間に、女児ポリーナをもうける。7~11月ドイツ旅行。12月ペテルブルグに移り住む。43年、長詩『パラーシャ』刊行、批評家ベリンスキーの激賞を受けた。11月、イタリア歌劇団の一員としてペテルブルグへ巡業にきていたスペイン系の有名な歌手、ビアルドー夫人を知る。彼女との出会いはその後の個人的運命を大きく左右した。生涯を結婚しないで通したのも彼女への愛のためといわれる。

 1847年1月、ベルリンへ出発するに際して、農村スケッチ『ホーリとカリーヌィチ』を『現代人』誌に寄せた。農奴制下のロシア農民の生活を写実的に描いたこの作品が、すこぶる好評であったので、次々と同種のものを書き継ぎ、一書にまとめたものが『猟人日記』(1847~52)である。48年にはパリで二月革命の目撃者となった。『猟人日記』の成功に力を得て、56年、最初の長編小説『ルージン』を発表。「余計者」を扱ったこの作品の成功によって、彼は短編作家から長編作家へと成長し、文壇に確固とした地位を占めるに至った。翌57年、私的・内面的生活のうえで危機にみまわれる。ビアルドー夫人との仲がうまくいかなかったのも原因の一つであった。しかし58年に中編小説『アーシャ』(邦訳『片恋』)を書き上げ、危機を脱する。以後は円熟期に入り、59年には『ルージン』に続く「余計者」のタイプを描いた長編『貴族の巣』を完成、さらに農奴解放前夜の革命的青年男女を描く長編『その前夜』(1860)、短編『初恋』(1860)、「ニヒリスト」を主人公に新旧両世代の思想的対立を描いた長編『父と子』(1862)、農奴解放後の反動貴族と急進主義者の双方を風刺した長編『けむり』(1867)などの代表作を次々と世に問う。

 だが、ナロードニキ運動に取材し、その挫折(ざせつ)を描いた最後の長編『処女地』(1877)は世評の支持を得られず、進歩的陣営から激しく非難され、ために以後、長編小説の執筆を断念するに至った。長年の外国生活のため、ロシアの実情を正確に把握できなかったのが失敗の原因とされている(もっともルナチャルスキーのように、この作品を作者の最大傑作とみる向きもある)。1878年以降は『散文詩』(1882)の執筆をおもな仕事とし、創作力は衰えていく。83年9月3日、かねてからの脊髄癌(せきずいがん)のためパリ近郊のビアルドー夫人の別荘で没。遺言によりペテルブルグのボールコボ墓地に埋葬された。

 作品の特徴としては、幽愁の気を漂わせたリリシズム、自然描写の巧みさ、1840~70年代ロシア社会の典型をつくりあげ、それに不滅の生命を吹き込んだこと、なかでも魅力的な理想の女性像を創造したこと、あるいはリリシズムと一体をなすヒューマニズムなどをあげることができよう。彼はまた恋愛小説の名手であった。長編のすべてが社会・思想小説である反面、優れた恋愛小説でもある。たとえば『けむり』の主人公の宿命的な恋の鮮烈さ。中編『春の水』(1872)の、うぶな青年を春先の突風のようになぎ倒して通り過ぎる恋も忘れがたい。さらに晩年の短編『勝ち誇れる恋の歌』(1879)では、かなわぬ恋の執念が伝奇的に描かれていて不気味である。ツルゲーネフは一時期、劇作を試みた。『村のひと月』(1855)はその代表作である。また文学論に『ハムレットとドン・キホーテ』(1859)などがある。

 ツルゲーネフの思想的立場はいわゆる「西欧派」である。実生活のうえでも外国暮らしを常としたため、ロシア人には珍しい国際人であった。ゾラ、フロベール、メリメ、ドーデ、ゴンクール兄弟、モーパッサンなどのフランスの文人たちと親交があり、ジョルジュ・サンドとも友人関係にあった。またロシア文学を西欧に紹介した功績も大きい。日本へは二葉亭四迷(しめい)の訳で明治20年代にいち早く紹介され、近代日本文学の発達に大きな影響を与えた。とくに自然文学(国木田独歩の『武蔵野(むさしの)』など)についてそのことがいえる。

[佐々木彰]

『佐々木彰訳『貴族の巣』(講談社文庫)』『湯浅芳子訳『処女地』(岩波文庫)』『神西清・池田健太郎訳『散文詩』(岩波文庫)』『河野与一・柴田治三郎訳『ハムレットとドン キホーテ他二篇』(岩波文庫)』『『片恋』(『二葉亭四迷全集1』所収・1964・岩波書店)』『佐藤清郎著『ツルゲーネフの生涯』(1977・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「ツルゲーネフ」の意味・わかりやすい解説

ツルゲーネフ

ロシアの作家。オリョール県の貴族の生れ。ペテルブルグ大学卒後ドイツに留学,1843年フランス人歌手ビアルドー夫人を追ってパリに赴き,以後,生涯の大半を国外で過ごした。初め詩人として出発,ロシアの自然と人情の美しい描写に農奴制への抗議をこめた《猟人日記》(1852年)で文名を高めた。その後,〈余計者〉と呼ばれるロシア知識人の典型を《ルージン》(1856年),《貴族の巣》(1859年)などで描き,さらに《その前夜》(1860年)では時代の女性像をとらえ,《父と子》では〈ニヒリスト〉論議を呼ぶなど,問題小説的な長編を次々と発表した。ほかに《煙》(1867年),《処女地》(1876年)などの長編,《初恋》《春の水》などの中編,晩年の憂愁を歌った《散文詩》などがある。日本では二葉亭四迷の翻訳によって,近代文学の発展に影響を与えた。
→関連項目オリョールカザコフ写実主義ニヒリズム批判的リアリズム武蔵野

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツルゲーネフ」の意味・わかりやすい解説

ツルゲーネフ
Turgenev, Ivan Sergeevich

[生]1818.11.9. オリョール
[没]1883.9.3. フランス,ブジワール
ロシアの小説家,劇作家。富裕な貴族の家に生れ,1837年ペテルブルグ大学卒業後,ベルリン大学に留学,N.スタンケビッチ,T.グラノフスキー,M.バクーニンらを中心とする若い進歩的なロシアの知識人と親交を結んだ。 41年帰国,モスクワで V.ベリンスキーや A.ゲルツェンと知合い,強い思想的影響を受けた。 43年の冬,ロシア公演に来たフランスのオペラ歌手ポリーヌ・ビアルドー夫人と出会い,彼女のいるパリで生涯の大半を過し,祖国にはまれにしか帰らなかったが,作品の多くは,50年代から 70年代のロシア社会の思想的傾向と現実の問題を鮮明に反映している。短編集『猟人日記』,小説『ルージン』『アーシャ』『貴族の巣』『その前夜』『初恋』『父と子』『けむり』『処女地』,戯曲『村のひと月』 (1850) ,『田舎女』 (51) ,随想詩集『散文詩』などがある。

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世界大百科事典 第2版 「ツルゲーネフ」の意味・わかりやすい解説

ツルゲーネフ【Ivan Sergeevich Turgenev】

1818‐83
ロシアの小説家。ロシア中部のオリョール県の地主貴族の家に生まれ,少年時代をスパスコエの領地で過ごした。父は没落した意志の弱い退役軍人,母は富裕な大地主で,農奴には暴君的であった。明敏で,観察力が鋭く,感受性の強い少年は,周囲の農奴たちの悲惨な生活に深く胸を傷つけられ,農奴解放を心に誓った。15歳でモスクワ大学に合格し,1834年ペテルブルグ大学に転じ,観念論哲学と当時の社会的関心を身につけ,特に文学と古典語を勉強した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ツルゲーネフ」の解説

ツルゲーネフ

トゥルゲーネフ

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世界大百科事典内のツルゲーネフの言及

【あひゞき】より

…1888年(明治21)《国民之友》に2度に分載。原作はロシアのI.S.ツルゲーネフの短編集《猟人日記》の1編。秋9月中旬,主人公は白樺林の中で偶然,地主の従僕に捨てられる可憐な農夫の娘の最後のあいびきの場面を目撃し,娘の姿が脳裏に刻まれる。…

【父と子】より

…ロシアの作家ツルゲーネフの長編小説。1862年発表。…

【余計者】より

…そのおもな特徴は,政治生活と貴族階級からの疎外,自分の知的・道徳的優越の意識,それと並んで精神の倦怠,深い懐疑主義,言葉と行動の不一致,そして当然のことながら社会的受動性ということになろう。 この名称が一般化したのは,ツルゲーネフの《余計者の日記》(1850)からであるが,この形成は20年代にさかのぼる。最初の明確な形象化はプーシキンのオネーギン(《エフゲーニー・オネーギン》1823‐31)で,次いでレールモントフのペチョーリン(《現代の英雄》1840)が現れる。…

【ルージン】より

…ロシアの作家ツルゲーネフの長編小説。1856年発表。…

※「ツルゲーネフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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