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バレエ バレエ ballet

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バレエ
バレエ
ballet

ルネサンス期の西ヨーロッパに起源する芸術舞踊の総称。名称はイタリア語の動詞 ballare (踊る) に由来する。ダンスが舞踊全般をさすのに対し,今日のバレエは観客を対象とする劇場芸術の一形式で,音楽・演劇・美術・衣装・照明などの要素を統合し,踊り手の動きを通して,舞踊作家である振付師が創作する総合舞台芸術である。

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デジタル大辞泉の解説

バレエ(〈フランス〉ballet)

西洋の舞踊形式の一。通常、歌詞のない音楽を伴奏に、踊りや身振りによって感情や意思を表現し、劇を進行させる舞踊劇。ルネサンス期のイタリアに起こり、16、17世紀のフランス宮廷で発達。ロマンチックバレエ古典バレエモダンバレエなどに大別される。

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百科事典マイペディアの解説

バレエ

ルネサンスのイタリアに発生した舞踊を主体とした総合的な舞台芸術。音楽,美術,また多く文学的要素を伴うが,動きの基本はあくまでもクラシック・ダンスと称される特定の技法による。
→関連項目管弦楽ダンカントー・シューズフォーキン

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音楽用語ダスの解説

バレエ

舞踊の一つ。無言劇などから発生したが、後に音楽と結びつき、劇場舞踊、舞台舞踊として独立していった。

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世界大百科事典 第2版の解説

バレエ【ballet】

演劇的な舞踊,舞踊劇ともいわれるようなものを指し,劇場的な舞台舞踊である。演劇がせりふによって進行するのに対し,せりふの代りに舞踊およびミーム(マイム)によって進行する劇をいう。一貫した筋があり,2人以上の登場人物をもち,その登場人物が何かの役にふんし,したがってその役の要求する衣装を着し,舞台装置をもった劇で,せりふをいっさい排して舞踊だけによって構成されるものである。ふつう,ダンスといわれるものとの相違は,ダンスがひじょうな広範囲なものを意味し,観客を予想しない民俗舞踊原始舞踊などをもいっさい含めているのに対して,バレエは初めから観客を意図し,劇場のためのものである点にある。

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大辞林 第三版の解説

バレエ【ballet】

中世イタリアの宮廷に生まれた舞踊形式の一。踊りや身振りで感情を表現する、歌詞を伴わない舞踊劇。一六世紀後半以後フランスの宮廷で保護を受けて発展し、一七、八世紀にクラシック-バレエの定式が確立した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バレエ
ばれえ
balletフランス語

バレエはヨーロッパに発達した舞踊形式の一種で、音楽、マイム(黙劇)、衣装、装置などを伴う総合芸術である。イタリア語のballare(踊る)を語源とするように、ルネサンス期(14~16世紀)のイタリアの宮廷に生まれた。他の舞踊に比較して足を開くことを原則とし、歩く、跳ぶ、回るステップなど厳密にパターンが決められているのを特色とする。足の表現を上半身のそれよりも重視しているところから、狩猟民族系の舞踊ともいわれている。[市川 雅]

バレエの歴史


宮廷バレエから劇場バレエへ
バレエはイタリア・ルネサンス期の宮廷における祝宴の余興から始まった。メディチ家の盛時には、5、6時間の祝宴中、入念に構成されたさまざまな出し物で賓客をもてなすのが習慣であった。まずアントレという入場があり、貴族とその夫人たちが大広間に入ってくる。男女は列をつくるとともに一対になって、互いにおじぎをし、手を取り合って踊りながら歩く。この踊りの道筋をシェマンといい、床に歩くための図形が描かれるか、まえもって踊る人々に示されていた。バレエは宮廷における挨拶(あいさつ)の仕方をもとにつくられたといわれ、このアントレの行進も男女の礼儀のあり方を基本にしている。このように初期のバレエでは貴族たちがアントレの場面で踊りながら行進するだけだったが、踊り手が専門化するにつれて、アントレに参加する踊り手は登場人物の扮装(ふんそう)をするようになった。たとえば17世紀における天上界を描くバレエでは、霧、霰(あられ)、雷、流星などに扮していた。
 イタリアでの宮廷の祝宴は、メディチ家の娘カテリーナ(フランスではカトリーヌ・ド・メディシス)がフランスのアンリ2世の王妃となるとともにパリの宮廷に移され、より豪華なものになっていった。1581年のパリのプチ・ブルボン宮で上演された『王妃のバレエ・コミック』はバレエ史上記録に残る最初の作品である。ジョアイユーズ公爵と王妃ルイーズ・ド・ロレーヌの妹マルガレーテ(マルグリット)の結婚を祝って催され、台本と振付けはバルタザール・ド・ボジョアイユで、カトリーヌ・ド・メディシスが雇った音楽家であった。内容は、魔女キルケの魔法にかけられた水の精、海の精たちがユピテルによって解放されるというギリシア神話によるもので、グロテスクのごった返し、変身に次ぐ変身による実体の喪失、登場人物の二重性、天と地との交錯などバロック的特徴を示している。とくにこの変身のあり方はバロック演劇特有のもので、バロック演劇は宮廷バレエの別称ともなっている。
 フランスの宮廷バレエはその後も繁栄を続け、ルイ14世時代、リュリやモリエールらが音楽や台本を書くころには、職業的な踊り手が出現するようになった。1661年、王立舞踊アカデミーが創設され、ボーシャンが専任教師となって、バレエの基本である足の五つのポジションが定められ、69年設立の音楽アカデミーと合体して72年に王立音楽舞踊アカデミー(現在のパリ・オペラ座)の設立をみるに至った。
 バレエは祝宴の余興から始まったが、その後のグランド・バレエ『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』などの終幕では男女が愛によって結ばれ、他の幕ではディベルティスマンといわれる余興の踊りの競演がみられるように、発生時に与えられた性質は以後のバレエの展開に大きな影を落とし、その内容を決定づけている。[市川 雅]
ロマンチック・バレエから古典バレエへ
18世紀のヨーロッパのバレエは、パリ・オペラ座を中心に展開され、マリー・カマルゴ、マリー・サレなどの舞踊家、ボーシャン、ノベールなどの振付師が活躍した。19世紀になると、ヨーロッパを席巻(せっけん)したロマン主義精神がバレエの世界にも入り込み、バレエ史上もっとも高揚した時代を迎えた。なかでも詩人ゴーチエは舞踊評論家としても活躍し、『ジゼル』の台本作家でもあった。彼は「地の精、水の精、火の精、小妖精(ようせい)、ニクス、ウィリー、ペリなど幻想的な神秘的な存在にオペラ座はゆだねられ、オリンポスの大理石と黄金の12の神殿は倉庫の中に追放された」と語っている。魔女やギリシア風のチュニックを着けた人物は消えて、ヨーロッパの地方の民俗的伝承が主題となり、登場する舞姫は薄いサテンのスカートを着け、妖精となって野の花の冠を頭に飾り舞台に現れた。
 ロマン主義時代の作品には、『ラ・シルフィード』『ジゼル』など妖精が出てくるものが多い。夢想的な神秘主義、はるかなる国々、伝説的な過去への郷愁、民間伝承の愛好などがここにはみられる。シルフィードは空気の精であり、『ジゼル』に登場するウィリーは空気と森の混合した妖精である。そのほかにも『ラ・ペリ』『オンディーヌ』などが上演されている。ロマンチック・バレエの典型的な作品は2幕構成になっていて、たとえば『ジゼル』のように、第1幕は村の広場で展開される生き生きとした農民の生活場面であり、第2幕はがらりと変わって幻想的な場面である。
 この時代には、トーシューズが初めて用いられるようになった。主題が妖精の世界ならば、舞姫たちは浮遊して見えなければならない。それを可能にしたのがトーシューズで、舞姫たちがパ・ド・ブーレで舞台を歩くと、床に足をつけていないように見えたという。とくにマリー・タリオーニは、ゴーチエによれば「天国の花の上を花びらをたわめることなく、バラ色のつまさきで歩く幸福な魂に似ている」とされ、ロマンチック・バレエの天上的性質を具現するダンサーであった。
 一方、オーストリア生まれのファニー・エルスラーは地上的性質を体現した。彼女はスペインのカチューチャやポーランドの民族舞踊などを得意とし、ロマンチック・バレエの異国趣味に見合った踊り手であった。当時、観客はタリオーニ派とエルスラー派の二つに分かれて争ったといわれる。このほか、『ジゼル』を踊ったカルロッタ・グリジ、その夫ジュールス・ペロー、もう一人のファニーといわれたファニー・チェリート、デンマークのルシール・グラーンらが活躍した。
 ロマンチック・バレエ以後、ヨーロッパのバレエは衰退し、男性舞踊手は数少なくなり、現在残っているこの時代の作品は『コッペリア』(1870)、『シルビア』(1876)など多くない。一方、バレエの後進国であったロシアでは、プチパやチェケッティらを招待し、天才バレエ音楽作曲家チャイコフスキーの音楽を使って、プチパ振付けのグランド・バレエ『眠れる森の美女』(1890)、イワーノフ振付けの『くるみ割り人形』(1892)、プチパとイワーノフ共同振付けの『白鳥の湖』(1895)などを上演した。これら19世紀後半ロシアで完成された、幕と場数の多いストーリー性の濃い、スペクタクル様式のバレエを古典バレエとよぶようになった。[市川 雅]

20世紀のバレエ


ロシア・バレエ団
ロシアでは、19世紀末の蓄積に加えて、古い体質を改革しようとする意欲がみなぎっていた。ディアギレフはその中心的人物で、N・レーリッヒ、L・バクスト、A・ブノアらの画家と雑誌『芸術の世界』を編集して、ロシアの美術・音楽をヨーロッパに紹介するとともに、1909年、パリでロシア・バレエ団(バレエ・リュス)を設立、デビュー公演を行った。音楽家としてプロコフィエフ、ストラビンスキー、振付家としてフォーキン、舞踊手としてニジンスキー、パブロワ、カルサビナらがこれに参加した。フォーキンはイサドラ・ダンカンの踊りに刺激されてバレエの変革を企て、主題に沿った表現形式を重視する立場をとった。ロシア・バレエ団の活動は2期に分けられるが、前期はバーバリズムとエキゾチシズムに特徴があった。『イーゴリ公』の「ダッタン(ポロビッツ)人の踊り」はスラブの野性を誇示する激しい跳躍からなる舞踊であり、ニジンスキー振付けの『春の祭典』も民間伝承の人身御供(ごくう)の儀式を扱い、観客に圧倒的な印象を与えた。フォーキン振付けの『シェヘラザード』は、エキゾチシズムの代表的作品であり、原色を使ったバクストの装置・衣装、東方への夢をかき立てるリムスキー・コルサコフの音楽、I・ルビンシテインの官能的な肉体、そしてニジンスキーの演じる野獣のような金(きん)の奴隷など、きわめて魅力的な舞台であった。『火の鳥』『ペトルーシュカ』『バラの精』も、このころのフォーキンの代表作である。
 ディアギレフは1910年代後半から、ロシア人だけでなく、パリに住む芸術家を登用するようになり、それとともにロシアの風土性から離れ、実験的な現代芸術へ接近していった。たとえば、マシーン振付けの『パラード』(1917)では音楽にサティ、美術にピカソを起用し、ピカソによるキュビスムの装置とタイプライターの音など具体音で構成されたサティの音楽は、観客のど肝を抜いたといわれる。ロシア・バレエ団は1929年、ディアギレフの死によって解散したが、その後半は、振付家としてバランチン、舞踊家としてリファール、ダニロワなどが活躍した。現在でもニューヨーク・シティ・バレエ団のレパートリーに入っている『放蕩(ほうとう)息子』(1929)は、バランチンの振付け、リファールの主役で初演されている。[市川 雅]
ヨーロッパ各国のバレエ
イギリスでは、1931年、ド・バロアがビッグ・ウェルズ・バレエ団(現在のロイヤル・バレエ団)を創設し、当時のソ連から亡命したニコライ・セルゲーエフの助けを得て『ジゼル』『白鳥の湖』をレパートリーに加えた。それまでのイギリスのバレエは、エロティシズムを悪とするビクトリア王朝の道徳観のために宮廷の保護を失い、ミュージック・ホールで生き延びていた。ド・バロアはフォンティンをプリマ・バレリーナに使い、アシュトン振付けの『オンディーヌ』(1958)などを上演した。ド・バロアののち、ロイヤル・バレエ団の芸術監督はアシュトン、マクミラン、ダウエル、ストレトンらが就任した。このほか、チューダーの『リラの園』(1936)などを初演したランベール・ダンス・カンパニー(当時はバレエ・ランベール)、ドーリンとマルコワが50年に設立したイングリッシュ・ナショナル・バレエ団(当初はロンドン・フェスティバル・バレエ団)などが活動している。
 デンマークでは、1748年発足のデンマーク王立バレエ団がロマンチック・バレエ時代の名振付家ブルノンビルの『ナポリ』(1842)などの遺産を引き継ぎ、じみながら現代のバレエに貢献している。『エチュード』(1952)をつくったH・ランダー、優れた男性舞踊手E・ブリュンらもデンマーク出身であり、ニューヨーク・シティ・バレエ団のP・マーチンス、サンフランシスコ・バレエ団のE・トマッソンなど、とくに男性舞踊手に優秀な人材を出している。なお、スウェーデン王立バレエ団も18世紀以来の長い伝統を誇っている。
 フランスでは、ディアギレフのロシア・バレエ団の解散後、残党組がモンテカルロ・ロシア・バレエ団(バレエ・リュス・ド・モンテカルロ)やバレエ・ド・クエバスなどを組織し、マシーン、D・リシン、フォーキンの作品などを上演し、舞踊手にはダニロワらが参加した。パリ・オペラ座は、O・スペシツェワの踊る『ジゼル』などで長い間追放されていたリリシズムを復活し、1929年にはロシア・バレエ団に在籍していたリファールをバレエ・マスターに招いて再興を図った。リファールは『白の組曲』(1943)などを振付け、上演し、ダルソンバル、ショビレらの舞踊手を育てた。リファールの後継者としてG・スキビーヌ、M・デコンビーが芸術監督になり、その後はヌレーエフ、デュポン、B・ルフェーブルと続く。オペラ座以外では、1944年シャンゼリゼ・バレエ団を結成し、72年からマルセイユ・バレエ団を率いるローラン・プチが注目され、『カルメン』『コッペリア』『ノートル・ダム・ド・パリ』などエスプリのきいた作品には定評がある。
 さらにもう一人の俊才は、1957年にパリでバレエ・シアター・ド・パリ、60年からベルギーの王立二十世紀バレエ団、87年からスイス、ローザンヌに移り、ベジャール・バレエ・ローザンヌを率いるベジャールである。彼はトータル・シアター(全体演劇)としてのバレエ作品に意欲を示し、『ロメオとジュリエット』『ニジンスキー・神の道化』『カブキ』などの演出に才気をみせた。
 ドイツでは、バレエ後進国からの離脱を目ざしたが、20世紀になってからも注目されるようなものはなかった。むしろアメリカと並びモダン・ダンスの国で、1920年代から第二次世界大戦までノイエ・タンツ(新舞踊)の運動が活発であった。しかし、1961年にイギリス人クランコがシュトゥットガルト・バレエ団の芸術監督になって以後、世界の注目を集めるようになった。彼の作品には『オネーギン』『じゃじゃ馬馴(な)らし』などがある。彼の死後、M・ハイデ、R・アンダーソンが同バレエ団を率いている。またハンブルク・バレエ団はアメリカ人の振付家J・ノイマイヤーが率いており、フランクフルト・バレエ団ではW・フォーサイスが革新的な作品を発表している。
 なお現在ヨーロッパのバレエ界でもっとも注目されているオランダのネザーランド・ダンス・シアター(1955発足)の振付家J・キリアンはクランコ門下で、ベジャールを超える逸材ともいわれる。スピードのある展開を得意とし、『シンフォニー・イン・D』『結婚』などの作品がある。[市川 雅]
ロシアのバレエ
革命期のロシアでは新しい試みがいくつかなされた。バランチンの師にあたるK・ゴレイゾフスキーは曲技やボードビルなどの要素を取り入れ、より民衆的なバレエをつくろうとした。革命後は、ボリショイ・バレエ団のチホミーロフ振付け『赤いけし』(1927)にみられるように、社会主義リアリズムに準拠した作品が多くなり、グランド・バレエの形式を借りた写実的な傾向が強まった。踊り手にも優れた人材を輩出し、とくにサンクト・ペテルブルグのマリンスキー劇場で教えていたワガーノワの門下から、ドジンスカヤ、ウラーノワなど叙情的なバレリーナが出た。社会主義リアリズムの代表作として、W・ワイノーネンの『パリの焔(ほのお)』、R・ザハーロフの『バフチサライの泉』、L・ラブロフスキーの『ロメオとジュリエット』、グリゴロービチの『スパルタクス』などがある。第二次世界大戦後、何人かのダンサーが西側に亡命したが、なかでもヌレーエフ、N・マカロワ、バリシニコフの存在は大きい。ソ連崩壊後のロシアで活躍しているダンサーには、プリセツカヤ、I・コルパコワ、E・マキシモワ、N・ベスメルトノワ、N・アナニアシビリ、A・ウバーロフ、I・ビャートキナらがいる。[市川 雅]
アメリカのバレエ
アメリカのバレエの歴史は古くはないが、1930年代に入って急速に発展し、今日に至っている。大きく二つの流れがあり、一つは1939年設立のバレエ・シアター(のちアメリカン・バレエ・シアターと改称)で、チューダーの『リラの園』『火の柱』『暗い悲歌』、デミルの『フォール・リバー物語』、ロビンズの『ファンシー・フリー』などの意欲的な作品を上演した。80年~89年の芸術監督は旧ソ連(現ラトビア)出身のバリシニコフで、『ドン・キホーテ』などの古典バレエだけでなく、モダン・ダンスのT・サープの作品などを積極的にレパートリーに加えた。
 一方ニューヨーク・シティ・バレエ団は、アメリカに渡ったバランチンがL・カースティンと協力して1933年に設立したアメリカン・バレエ学校を母体にしている。この卒業生によるアメリカン・バレエ団、バレエ・キャラバン、バレエ・ソサエティーを経て、48年に現在のバレエ団に発展した。作品はバランチンのものが大半で、『セレナーデ』『コンチェルト・バロッコ』など、新古典主義といわれるステップの組合せによる抽象的な作品が多かった。ロビンズはミュージカル『ウェスト・サイド物語』の振付けで有名だが、『檻(おり)』『結婚』『ダンス・アット・ギャザリング』などの作品をこのバレエ団で発表しており、意表をつく演出と民族舞踊やジャズの採用にも積極的であった。
 総じて、現代のアメリカ、ヨーロッパのバレエでは、バレエとモダン・ダンスの質的な差異はほとんどなくなっている。たとえば、T・サープやK・アーミタージュはモダン・ダンス出身だがバレエともいえる作品を発表しており、ベジャールやJ・キリアンはバレエ・シューズを着けずに踊る作品をつくっている。ハンブルク・バレエ団のノイマイヤー、フランクフルト・バレエ団のフォーサイスもモダン・ダンス出身であり、フランスのM・マランはリヨン・バレエ団のために『シンデレラ』などを振り付けている。[市川 雅]
日本のバレエ
日本のバレエの歴史は、チェケッティ・メソッドを継承するイタリア人G・V・ローシーが、1912年(大正1)新設まもない帝国劇場に招かれ、専属俳優にバレエの指導をした時に始まる。彼の弟子には石井漠(ばく)、高田雅夫(まさお)、高田せい子らがいる。また、アメリカ帰りの高木徳子(とくこ)が日本人として初めてトーダンスを踊り、珍しがられた。20年代になると、名手アンナ・パブロワがバレエ団を率いて来日、とくに彼女の踊る『瀕死(ひんし)の白鳥』(フォーキン振付け)は絶賛を浴び、日本人にバレエの美しさを教えた。その後、亡命ロシア人のE・パブロワ、N・パブロワ姉妹が鎌倉にスタジオを建て、その門下から服部智恵子(はっとりちえこ)、東(あずま)勇作、橘(たちばな)秋子、貝谷八百子(やおこ)、島田廣(ひろし)らが輩出した。また、同じくロシア人O・サファイアも36年(昭和11)に来日して日劇で教え、松尾明美(あけみ)、松山樹子(みきこ)らを育てた。
 第二次世界大戦後、日本のバレエは本格的な開花期を迎え、早くも1946年(昭和21)には各バレエ団の合同により東京バレエ団が結成され、外国から帰った小牧正英(まさひで)の振付けで『白鳥の湖』が初演された。以後、小牧バレエ団、服部・島田バレエ団、谷桃子バレエ団、横山はるひバレエ団など多くのバレエ団が組織され、それぞれ独自の活動を続けた。また、外国のバレエの模倣や古典尊重だけでなく、オリジナルな作品をつくろうとする気運も高まり、関直人(なおと)、横井茂、高橋彪(ひょう)らの優れた振付家が生まれた。ダンサーでは、ブルガリアのバルナ国際舞踊コンクールで金賞を獲得した森下洋子が、アメリカン・バレエ・シアターに客演するなど国際的に活躍し、日本バレエの成長を世界に印象づけた。現在では、森下の所属する松山バレエ団のほか、牧阿佐美(あさみ)バレエ団、チャイコフスキー記念東京バレエ団などが精力的に活動している。[市川 雅]
『蘆原英了著『バレエの基礎知識』(1950・創元社) ▽G・ツァハリアス著、渡辺鴻訳『バレエ――形式と象徴』(1965・美術出版社) ▽カースティンほか著、松本亮・森乾訳『クラシック・バレエ/基礎用語と技法』(1967・音楽之友社) ▽F・レイナ著、小倉重夫訳『バレエの歴史』(1974・音楽之友社) ▽O・ジョワイユ著、大津俊克訳『バレエの世界』(1980・ブックマン社) ▽アンダソン、ジャック著、湯河京子訳『バレエとモダン・ダンス――その歴史』(1993・音楽之友社) ▽野崎韶夫著『ロシア・バレエの黄金時代』(1993・新書館) ▽市川雅著『ダンスの20世紀』(1995・新書館) ▽薄井憲二著『バレエ――誕生から現代までの歴史』(1999・音楽之友社) ▽村山久美子著、ユーラシア・ブックレット編集委員会企画・編『知られざるロシア・バレエ史』(2001・東洋出版) ▽鈴木晶著『バレエへの招待』(2002・筑摩書房) ▽鈴木晶著『バレエ誕生』(2002・新書館) ▽M・F・クリストゥ著、佐藤俊子訳『バレエの歴史』(白水社・文庫クセジュ)』

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