万里小路季房(読み)までのこうじ・すえふさ

朝日日本歴史人物事典 「万里小路季房」の解説

万里小路季房

没年:正慶2/元弘3.5.20(1333.7.2)
生年:生年不詳
鎌倉時代後期の公卿。父は権大納言宣房。中納言藤房の弟。後醍醐天皇側近のひとり。正安3(1301)年叙爵。延慶1(1308)年尊治親王(後醍醐天皇)立太子の際に東宮権少進 となる。蔵人,弁官を経て嘉暦3(1328)年に蔵人頭,元徳2(1330)年に参議。右大弁と中宮亮を兼ねた。翌年,後醍醐天皇の討幕のくわだてが漏れると(元弘の変),中宮後京極院(西園寺禧子)を嵯峨野宮に避難させたが,自身は六波羅の軍勢に捕らえられた。謀議への関与をとがめられ配流に処されたが,配流地は下野国とも下総国とも常陸国の長沼駿河守のもとともいう。鎌倉幕府滅亡の数日前に,配流先で殺された。万里小路家家嫡は彼の子の仲房が継いだ。

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「万里小路季房」の解説

万里小路季房 までのこうじ-すえふさ

?-1333 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
万里小路宣房(のぶひさ)の次男。元徳2年参議となり右大弁,中宮亮(ちゅうぐうのすけ)をかねた。翌年後醍醐(ごだいご)天皇の討幕の企てがもれ,天皇が笠置(かさぎ)山にのがれた際,中宮藤原禧子(きし)(礼成門院)を嵯峨(さが)の野宮(ののみや)に避難させた。のち捕らえられて下野(しもつけ)に流され,正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年5月20日配所で死去

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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