朝日日本歴史人物事典 「中村七三郎(初代)」の解説
中村七三郎(初代)
生年:寛文2(1662)
元禄期に活躍し,江戸和事の祖と称された歌舞伎役者。俳名少長。父は延宝期の歌舞伎役者天津七郎右衛門,初期の中村座を支えたひとりである。妻は座元の家柄である2代目中村勘三郎の娘はつ。初舞台の役柄の記録は「女形,若衆形,子共」の3種で,のち若女形となる。貞享3(1686)年以後は没するまで立役を全うした。小柄で,「好色第一のつや男」,また当代随一の美男の意で「わたもちの今業平」と評判され,ぞくっとするような魅力を発散した。諸芸に通じ,ことに濡れ事,やつし事などの和事芸を得意とした。荒事の初代市川団十郎と並ぶ名優であった。江戸下りの女形の相手役をすることにより上方歌舞伎の柔らかい芸を取り込んで独自の芸風を確立した。 この芸風を決定的なものにしたのが,元禄1(1688)年に市村座で上演された「初恋曾我」(四番続)の十郎役である。曾我兄弟はこれまで荒事式で演じられていたが,このとき十郎を和事の演出でみせた。以後江戸の曾我狂言では,十郎は和事の風で演じるきまりとなる。元禄11年京にのぼり,「傾城浅間岳」の小笹巴之丞役を演じ120日のロングランという大当たりを取り,上方和事の祖坂田藤十郎をうならせた。この役を七三郎は一代の当たり役とした。<参考文献>伊原敏郎『日本演劇史』,鳥越文蔵『元禄歌舞伎攷』
(田口章子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報