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上方歌舞伎 かみがたかぶき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

上方歌舞伎
かみがたかぶき

江戸時代の歌舞伎の2大勢力の一つだった上方の風土で培われた歌舞伎。もう一つの中心,江戸の荒事様式美に対し,和事・写実芸を得意とし,人形浄瑠璃の影響が強いなど,際立った特色を持つ。明治維新後は関西歌舞伎とも呼ばれ,初世中村鴈治郎などが主になってその命脈が保たれてきたが,文化の中心が東京に移るとともに,その勢力は弱まってきた。戦後は幹部俳優の東京移住が進み,1960年代に至って関西での常打ちの歌舞伎興行は成立しなくなった。故 13世片岡仁左衛門一門の「関西で歌舞伎を育てる会」,3世鴈治郎の「近松座」など,上方歌舞伎の芸風を残そうとする活動はされているが,脇役や裏方の払底もあって,その前途は多難である。

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とっさの日本語便利帳の解説

上方歌舞伎

上方狂言。武張って荒々しい江戸狂言に対して京、大坂の柔らか味と色気を有した歌舞伎。江戸・元禄期の坂田藤十郎の演技が有名。

出典|(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

上方歌舞伎
かみがたかぶき

歌舞伎劇の一系統。上方、すなわち京都・大坂で誕生し独自の発展を遂げた歌舞伎のことで、その演目(上方狂言)、演出、俳優、芸脈などを含めていう。江戸歌舞伎に対する語。
 阿国(おくに)歌舞伎の時代にもあった遊里の描写が、元禄(げんろく)時代(1688~1704)には名優坂田藤十郎らにより、傾城買(けいせいかい)狂言、およびこれに伴う和事(わごと)の演出として発達、江戸の荒事(あらごと)に対し上方を象徴する特色になった。現存する代表的な上方狂言は、近松門左衛門の浄瑠璃(じょうるり)を歌舞伎式に脚色・演出した『夕霧伊左衛門(ゆうぎりいざえもん)』(廓文章(くるわぶんしょう))、『紙屋治兵衛』(河庄(かわしょう)・時雨(しぐれ)の炬燵(こたつ))、『梅川忠兵衛(うめがわちゅうべえ)』(封印切(ふういんきり)・新口村(にのくちむら))や、『宿無団七(やどなしだんしち)』『雁(かり)のたより』『乳貰(ちもら)い』『萬屋(よろずや)助六』『植木屋』など。また、『忠臣蔵』をはじめ多くの演目に上方独自の演出が残っている。俳優では、初期の坂田藤十郎、芳沢(よしざわ)あやめ、嵐三右衛門(あらしさんえもん)ら以後、多くの名優が輩出、明治以後もその芸脈を引く初世中村鴈治郎(がんじろう)、11世片岡仁左衛門(にざえもん)、2世実川延若(じつかわえんじゃく)、2世と3世の中村梅玉(ばいぎょく)らによって繁栄してきた。しかし、第二次世界大戦後、とくに1950年(昭和25)以降はしだいに衰微し、関西における歌舞伎公演は年々減少している。この間、2世鴈治郎、13世仁左衛門、3世延若、2世中村扇雀(せんじゃく)らにより上方歌舞伎を自主的に保存しようとする「七人の会」や、仁左衛門個人による「仁左衛門歌舞伎」の運動があったが、将来はけっして楽観を許さない状態にある。[松井俊諭]

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