亀井俊雄(読み)かめいとしお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀井俊雄」の意味・わかりやすい解説

亀井俊雄
かめいとしお
(1896―1969)

能楽師。葛野(かどの)流大鼓(おおつづみ)方。東京生まれ。1909年(明治42)池内信嘉(のぶよし)(1858―1934)の主宰する能楽会に入り、川崎利吉(りきち)(のち九淵(きゅうえん))に師事。翌1910年初舞台。能楽会の囃子(はやし)方養成事業を継承した東京音楽学校(現、東京芸術大学音楽学部)を卒業。1968年(昭和43)重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受け、同年12月吉見嘉樹(よしみよしき)(1893―1969)引退の後を受け葛野流宗家預りとなる。柔軟性に富む自在な演奏に定評があった。また、次男忠雄(ただお)(1941―2023)は1947年より俊雄らに師事し、1949年初舞台。2000年(平成12)葛野流宗家預りとなり、2002年人間国宝の認定を受けた。

小林 責 2018年7月20日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「亀井俊雄」の意味・わかりやすい解説

亀井俊雄
かめいとしお

[生]1896.2.23. 東京,東京
[没]1969.12.14. 東京,渋谷
葛野流大鼓方の能楽師。川崎九淵に師事。1910年『八島』の舞囃子で初舞台。東京音楽学校に新設された能楽囃子科卒業。1968年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され,吉見嘉樹引退のあとをうけて宗家預かりとなる。長男の亀井俊一が幸流小鼓方,二男の亀井忠雄(1999人間国宝)と四男の亀井実が大鼓方で,三男の亀井保雄が宝生流シテ方。忠雄の長男が亀井広忠。著書に『葛野流大鼓初歩』(1967,吉見嘉樹と共著)『葛野流大鼓 序ノ巻』(1968,吉見嘉樹と共著)がある。(→

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「亀井俊雄」の解説

亀井俊雄 かめい-としお

1896-1969 大正-昭和時代の能楽師大鼓(おおつづみ)方。
明治29年2月23日生まれ。葛野(かどの)流の川崎九淵(きゅうえん)に師事。明治43年「八島」で初舞台をふむ。昭和43年人間国宝。同年葛野流宗家預かりの役についた。昭和44年12月14日死去。73歳。東京出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の亀井俊雄の言及

【川崎九淵】より

…若年から抜群の技量を示し,芸の真髄を会得し,地拍子(じびようし)と能楽囃子を理論的に解明した。能楽会の囃子方養成事業にも尽力,吉見嘉樹(よしき)(1893‐1969),亀井俊雄(1896‐1969)らの有能な後継者を育てた。1950年葛野流宗家預り,53年芸術院会員,54年三役養成会首席講師,55年喜多六平太幸祥光(こうよしみつ)とともに能楽界最初の重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)に認定される。…

※「亀井俊雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」