(読み)あたう

精選版 日本国語大辞典 「能」の意味・読み・例文・類語

あた・う あたふ【能】

〘自ハ四〙 (あとに必ず打消を伴って用いられたが、明治以後は肯定形も見られる。従って、「あたは」「あたふ」の形だけが用いられる)
① 可能の意を表わす。できる。
(イ) 活用語の連体形に「こと」や助詞「に」を添えた形に付く。
今昔(1120頃か)二「程遙にして輙(たやす)く来り給はむに不能(あたは)じ」
平家(13C前)一一「車は輪をめぐらす事あたはず」
(ロ) 活用語の連体形に直接付く。
小説神髄(1885‐86)〈坪内逍遙〉上「開明の世となるに及べば浮(フ)イブルもまた変遷して多少の進化なきあたはず」
(ハ) 動詞の連用形に付く。肯定の表現にも用いる、明治以後の用法
※露団々(1889)〈幸田露伴〉一五「予は果して怒り能(アタ)ふ程の価値ある男なりや」
(ニ) (動詞に付かないで) できる。なしうる。→あたう限り
明衡往来(11C中か)下本「参内之次、可玉顔、諸事不一二謹言
② なるほどと合点がゆく。理にかなう。
※竹取(9C末‐10C初)「罪の限りはてぬればかく迎ふる、翁は泣きなげく、あたはぬ事也。はや返し奉れ」
③ 程度、状態などによく合う。適合する。相当する。
※今昔(1120頃か)二三「此(これ)汝が着(きる)物に不能(あたはず)
※仮名草子・伊曾保物語(1639頃)中「わが身にあたはぬ事を願ふ事なかれ」
[語誌]①は、漢文における「不能」「未能」等の漢字を「アタハズ」と訓じたところから生じた用法で、漢文訓読系の文献を中心として用いられた。平安時代には、通常、「(…スル)コトアタハズ」「(…スル)ニアタハズ」の形式で用いられたが、前者の方が古く、後者は新しい訓法とされる。また、後者の「(…スル)ニアタハズ」は、変体漢文、訓点資料に主として見られる訓法。なお、歌や物語などの和文では、これと同じ意味の表現として、「エ…ズ」「…アヘズ」が用いられた。

のう【能】

〘名〙
① よく事をなし得る力。才能能力。はたらき。
※平治(1220頃か)上「文にもあらず、武にもあらず、能もなく芸もなし」 〔書経‐大禹謨〕
② はたらきのある人。才知ある人。〔礼記‐大博〕
③ 技芸。芸能。また、芸能や技芸としてほこるべき事柄。
※今鏡(1170)八「若宮と申ししに、御のうも御みめもしかるべき事と見えて」
④ (①から) 特に誇ったり、取りたてていったりするのにふさわしい事柄。
※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)三「むごくあたるばかりを能(ノウ)にして、ひどいめにあはせる亭主(ていし)もつらのにくいもの也」
⑤ ききめ。効能。効験。しるし。
※雑俳・二重袋(1728)「ふぐ汁の能(のウ)を裸で寐て見せる」
⑥ 日本の古典芸能の一種。中世に猿楽から発展した歌舞劇。もと田楽の能、幸若の能、猿楽の能などがあったが、のち他のものが衰え、猿楽だけが盛んに行なわれ、「猿楽の能」の略称となった。→能楽
※風姿花伝(1400‐02頃)二「ふしぎに、能の位上らねば、直面は見られぬ物也」

あとう あた・ふ【能】

〘自ハ四〙 ⇒あたう(能)

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デジタル大辞泉 「能」の意味・読み・例文・類語

のう【能】

ある物事をなしとげる力。はたらき。能力。「人を動かすにたける」
ききめ。効能。「薬の書き」
技能。また、誇ったり取り立てていったりするのにふさわしい事柄。「机に向かうだけがではない」
日本の古典芸能の一。中世に猿楽から発展した歌舞劇。能は歌舞劇の一般名称で、田楽延年などの能もあったが、猿楽の能がもっぱら盛行したため、それを単に能と称した。室町時代に観阿弥世阿弥父子が大成、江戸中期にほぼ現在の様式となった。役に扮する立方たちかたと声楽をうたう地謡方じうたいかた、器楽を奏する囃子方はやしかたがあり、立方はシテ方ワキ方狂言方、地謡方はシテ方、囃子方は笛方・小鼓方・大鼓方・太鼓方がつとめる。現在、その流派はシテ方に五流、ワキ方に三流、狂言方に二流、囃子方に一四流がある。能の詞章を謡曲といい、ふつう脇能物・修羅しゅらかずら・雑物・切能きりのう物の五つに分類し、現在約240曲が上演可能である。
[補説]書名別項。→
[類語]能力力量才能才覚文才才気手筋手際手腕手並み腕前技量

のう【能】[漢字項目]

[音]ノウ(呉) [訓]あたう よく よくする
学習漢字]5年
物事をなしうるだけの力がある。できる。「能力可能全能万能不能不可能
物事を成し遂げる力。はたらき。「官能機能技能効能才能多能知能本能無能有能
特定の技術に達者なこと。「能筆能弁芸能・一芸一能」
能楽のこと。「能面演能
能登のと国。「能州/加越能」
[名のり]たか・ちから・のり・ひさ・みち・むね・やす・よし

のう【能】[書名]

英文学者・能楽研究家の野上豊一郎による評論。副題は「研究と発見」。昭和5年(1930)刊。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「能」の意味・わかりやすい解説


のう

能は日本の伝統芸能の一つで、狂言とともに南北朝時代から現代に演じ継がれ、世界でもっとも長い演劇生命と伝統をもっている。独自の様式をもつ能舞台に、能面を用い、世阿弥(ぜあみ)が「舞歌二道」と指示したように、舞(まい)に高められ抽象化された演技と、謡(うたい)と囃子(はやし)による音楽要素の融合された演劇である。明治以降は「能楽(のうがく)」という呼び方が一般化したが、「猿楽(さるがく)」または「猿楽の能」とよばれ、世阿弥は申楽(さるがく)の字をあてている。「能」とは歌舞を伴い、劇的展開をもつ芸能の意味であり、田楽(でんがく)の能、延年(えんねん)の能も行われていたが、猿楽の能のような発達を遂げなかった。「謡曲(ようきょく)」は能の声楽部分をさし、またその脚本をいう。世阿弥は能の脚本を「能本」とよんでいる。

[増田正造 2018年7月20日]

能の歴史

先行芸能

奈良時代に大陸から輸入された散楽(さんがく)は、曲芸、軽業(かるわざ)、奇術、歌舞などの雑多な芸能であったが、平安時代には滑稽(こっけい)な物真似(ものまね)が主流となり、サルガク、サルゴウとよばれ、時代を経て対話喜劇としての狂言と、まじめな歌舞劇の能に分化していく。一方、寺院の法会における呪師(しゅし)の演技を猿楽者が担当するようになり、また神が老翁(ろうおう)の姿で祝福を与える古来の芸能も、猿楽者が勤めるようになる。今日も別系列の演目として神聖視される『翁(おきな)』の原型である。鎌倉時代後半には、多くの寺に所属した猿楽の座が、能という新しい歌舞劇を上演するようになり、南北朝時代には、多くの支流を包括する大和(やまと)猿楽と近江(おうみ)猿楽が大きな存在となる。なかでも奈良の興福寺に属した、円満井(えんまい)座、坂戸(さかと)座、外山(とび)座、結崎(ゆうざき)座の大和猿楽四座が、今日の金春(こんぱる)、金剛(こんごう)、宝生(ほうしょう)、観世(かんぜ)の基である。当時はほかに、丹波(たんば)猿楽、宇治(うじ)猿楽、若狭(わかさ)猿楽、越前(えちぜん)猿楽、紀伊(きい)猿楽などの多くの座があったが、江戸時代まで残るのは大和猿楽四座で、丹波猿楽の梅若座が観世座に併合されたように、吸収か消滅の道をたどった。

[増田正造 2018年7月20日]

観阿弥と世阿弥

結崎座を組織した観阿弥(かんあみ)と、その長男の世阿弥父子の天才が、日本の文化に新たに演劇というジャンルを打ち立てる。観阿弥の功績は、物真似本位、強さの主張の大和猿楽に、田楽(でんがく)や近江猿楽の歌舞の要素をアレンジし、幽玄(優雅)な美を中心に置いたこと、またメロディ主流だった大和猿楽の音楽に、リズム本位の曲舞(くせまい)の技法を導入したこと、大衆の興味を引く生き生きとした能を書いたことにある。この新しい芸能の京都進出を、1374年(文中3・応安7)に将軍足利義満(あしかがよしみつ)が見たことが、能楽紀元元年となった。将軍の後援と父子の努力は、能の芸術性を飛躍的に高めた。とくに当時の最高の文化人である二条良基(にじょうよしもと)らの庇護(ひご)と影響のもとに、世阿弥は大きく育ち、近江猿楽の名手犬王道阿弥(いぬおうどうあみ)(?―1413)の唯美主義を吸収し、演劇性本位の大和猿楽の基盤のうえに、幽玄の情緒を中心とする詩劇としての能と、その理論を確立する。世阿弥の功績は、今日「夢幻能(むげんのう)」とよばれる抜群の演劇発想の完成と、数々の名曲の創作、そして、二十数編に及ぶ『風姿花伝(ふうしかでん)』『花鏡(かきょう)』ほかの演劇理論を残したことにある。世阿弥の後半生は悲劇的であったが、彼の方向づけは江戸時代に洗練され、能は現代に及ぶ不朽の生命を得た。世阿弥の甥(おい)の音阿弥(おんあみ)も名手で、能は室町幕府の正式の芸能「式楽(しきがく)」として扱われるようになる。

[増田正造 2018年7月20日]

室町後期から安土桃山時代

近江猿楽には犬王があり、幽玄至高の芸をうたわれたが、後継者がなく、大和猿楽には、世阿弥の娘婿の金春禅竹(ぜんちく)、音阿弥の子の観世信光(のぶみつ)らが新しい作品を書き、戦乱の世を能は生き抜いた。豊臣秀吉(とよとみひでよし)は大の能のマニアで、自身金春流を舞うほか、配当米を定めて能を保護した。面や装束の改善なども、桃山時代の技術と富を背景としている。当時は手猿楽(てさるがく)とよばれる素人(しろうと)の演能集団が流行し、本願寺も坊主能が盛んであったが、事務総長にあたる下間少進(しもつましょうしん)(1551―1616)は素人ながら抜群の名手で、多くの演能の記録を残している。『アダムとイブ』『ノアの箱舟』など切支丹(きりしたん)能とよばれる、布教の手段としての能の利用もあったと伝える。

[増田正造 2018年7月20日]

江戸時代

徳川家康(とくがわいえやす)は幼少から観世流の能に親しんだが、3代将軍家光(いえみつ)の時代に大和猿楽の四座は徳川幕府の直属の芸能となり、喜多(きた)流が新たに認められて、四座一流(よざいちりゅう)と称された。能は新作をやめて古典芸能となり、世襲による家元制度に管轄され、シテ方・ワキ方など分業制度が確立する。レパートリーも固定化し、曲目は「書上(かきあげ)」として幕府に登録された。能の詞章や演出に合理化を試みた観世元章(もとあきら)の明和(めいわ)(1764~1772)の改革もあったが、江戸時代は武士道的な精神性と、技法の錬磨に努力が傾けられ、謡の音階やリズムの法則、演出様式がほぼ固定するのもこの時代である。5代将軍綱吉などは熱狂的に能を演じ、各大名も能役者を抱え、熊本藩の桜間(さくらま)、友枝家、広島藩の粟谷(あわや)家など、明治以降の能楽界に多くの名手を生んだことからも、その水準の高さがわかる。また金沢の加賀宝生もいまに伝統を伝える。町人の間にも謡が大流行し、テキストである謡本の刊行は実に目覚ましく、寺子屋の教科書にまで用いられた。一方、興福寺の薪能(たきぎのう)、春日若宮(かすがわかみや)おん祭などの神事能の伝統は受け継がれ、また幕府の儀礼的な催しはもちろん、将軍就任の祝能には町人が無礼講で江戸本丸に招かれる町入(まちいり)能や、幕府の許可を得て催す興行の大掛りな勧進能、皇居や本願寺の儀式能もあった。また農民の継承する黒川能を酒井藩が保護するなどの姿もみられた。

[増田正造 2018年7月20日]

明治以後

明治維新による徳川幕府の崩壊は能に致命的な打撃を与えた。しかし、能の人たちの努力と、外国のオペラやバレエのような芸術を日本にもと考え始めた新興貴族、また皇室の能の愛好もあって、能は再生する。明治三名人とよばれる16世宝生九郎、初世梅若実、桜間伴馬(ばんま)、またその後継者に名人が輩出し、大正から昭和の第二次世界大戦にかけて芸術上の黄金時代を築いた。シテ方では、観世流の初世梅若万三郎・2世梅若実兄弟、観世華雪(かせつ)、橋岡久太郎、観世左近、宝生流の松本長(まつもとながし)、野口兼資(のぐちかねすけ)、金春流の桜間弓川(きゅうせん)、金剛流の金剛右京(うきょう)、初世金剛巌(いわお)、喜多流の喜多六平太、ワキ方に宝生新(しん)、囃子(はやし)方に川崎九淵(かわさききゅうえん)、幸祥光(こうよしみつ)ら、狂言では3世茂山忠三郎(しげやまちゅうざぶろう)(1895―1959)、善竹弥五郎(ぜんちくやごろう)、3世山本東次郎、2世・3世茂山千作、6世野村万蔵らが活躍した。各流儀は能楽堂をもって定期能を催し、細川、井伊、松平などの旧大名も能舞台を建設した。

[増田正造 2018年7月20日]

第二次世界大戦後

戦争でほとんどの能楽堂、かなりの数の後継者を失ったが、やがて復興し、前記の名人たちが世を去ったあとに大きなブームが起こり、催しの盛んなことでは世阿弥以来最大の隆盛をみている。戦後の新たな傾向は、1954年(昭和29)以降海外能が年中行事となり、むしろ前衛演劇として高い評価を得ていること、女流能楽師が公認(1948)されたこと、薪能を称する野外能が全国に広まり、120か所以上の定着をみていること、国立劇場能楽堂の発足(1983)などがあげられる。役や流儀による後継者のアンバランスや、伝承方法の問題、サラリーマン化していく役者の意識など、問題は多いが、能が幅広い世代の支持を得、新しく花開いた時代と評価することもできる。英語の能がつくられ、外国人の演技者の登場なども見逃せない現象である。

 1955年から重要無形文化財の総合認定と各個認定(人間国宝)の制度が発足し、能楽は1957年に総合認定を受けた。各個認定とされたのは2017年(平成29)時点で、シテ方に故喜多六平太、故近藤乾三(けんぞう)、故後藤得三、故桜間道雄、故豊嶋弥左衛門(てしまやざえもん)、故松本恵雄(しげお)(1915―2003)、故粟谷菊生(あわやきくお)(1922―2006)、故8世観世銕之丞(てつのじょう)、故高橋進、故片山幽雪(片山九郎右衛門、1930―2015)、故三川泉(みかわいずみ)(1922―2016)、友枝昭世(ともえだあきよ)(1940― )、2世梅若玄祥(1948― )、故野村四郎(野村幻雪(げんせつ)、1936―2021)、大槻文蔵(おおつきぶんぞう)(1942― )、ワキ方に故松本謙三(けんぞう)、故宝生弥一、故森茂好(1916―1991)、故宝生閑(かん)(1934―2016)、囃子方に故川崎九淵、故幸祥光、故亀井俊雄(としお)、故柿本豊次(かきもととよじ)、故安福春雄、故藤田大五郎、故幸宣佳(のぶよし)、故鵜沢寿(ひさし)(1908―1997)、故瀬尾乃武(のりたけ)(1899―1997)、故22世金春惣右衛門(そうえもん)(1924―2014)、故安福建雄(1938―2017)、故曽和博朗(そわひろし)(1925―2015)、故亀井忠雄(1941―2023)、故北村治(おさむ)(1936―2012)、故一噌仙幸(いっそうひさゆき)(1940―2018)、大倉源次郎(1957― )、三島元太郎(1936― )、狂言方に故善竹弥五郎、故6世野村万蔵、故3世茂山千作、故9世三宅藤九郎(とうくろう)、故12世茂山千五郎(4世千作)、7世野村万蔵(萬(まん))、2世野村万作(1931― )、4世山本東次郎(1937― )である。

[増田正造 2018年7月20日]

能の制度

日本の歴史のなかでの芸能者の位置はつねに低く、アウトローの扱いを受けてきた。世阿弥(ぜあみ)が足利義満(あしかがよしみつ)に愛され、祭り見物に盃(さかずき)のやりとりをしているのを、あのような乞食(こじき)同然の者と将軍たる者がと、ある貴族が憤激を記している。江戸時代には能は幕府の式楽として、士分の待遇を受けるようになり、たとえば観世大夫(かんぜだゆう)は禄高(ろくだか)256石を支給されるが、実際は大名のような生活であったという。明治以降も能役者の気位は高く、歌舞伎(かぶき)役者に芸を教えたということがきっかけで廃絶した狂言の流儀まであり、第二次世界大戦中も芸能者の鑑札を拒否して警視庁と争ったほどである。戦後も、他の演劇人との共演をかたくなに拒む体質が強かったが、武智鉄二(たけちてつじ)の新しい演劇運動の洗礼などを経て、こうした固さも薄れ、映画からテレビ・コマーシャル出演まで自由となったのは、時代の流れであろう。

 能役者(能楽師)は分業であり、シテ方と三役(ワキ方、4部門の囃子(はやし)方、狂言方)の7専門に分かれる。他の役にかわること、兼業することはなく、同一役でも他流と同一舞台で共演することもなかったが、この禁は緩められる傾向にある。江戸時代は座付きの専属制であったが、明治以降の三役は自由契約制度でシテ方の主催する舞台を勤める。流儀は原則として世襲の家元制度によって統括されている。三役にも家元があるが、シテ方の家元制度は強固で、演出権、演出・詞章の改定権、演能権、免状発行権、資格の認定などの人事権、破門などの制裁権、謡本の発行権と使用の強制権など、幅広い権限をもつ。邦楽の名取(なとり)制度のようなシステムもないかわりに、新しい流儀をたてることは不可能に近い。江戸初期に観世座に併合された梅若家が、一流樹立を目ざして大正から第二次世界大戦後にかけて争い、GHQまで介入したが、結局観世流に復帰している。家元制度はいろいろ批判され、一方、能面や装束を法人所有化するなどの民主化の傾向もみられるが、まだこれにかわり、あるいは並立する組織はできていない。

[増田正造 2018年7月20日]

シテ方

芸系の似る観世流と宝生(ほうしょう)流を「上掛(かみがか)り」、金春(こんぱる)流、金剛(こんごう)流、喜多(きた)流を「下掛(しもがか)り」という。五流はそれぞれのレパートリーを伝え、同一曲目でも脚本・役柄・演出に異同がある。シテは能の中心で、老若男女から、鬼や神、亡霊などのあらゆる役に扮(ふん)し、能面を用いる特権をもつ。6人から12人構成の斉唱団である地謡(じうたい)もシテ方から出る(ただし間(あい)狂言の地謡の必要な場合は狂言方の分担)。シテに従属する役はツレとよび、なかには両シテとして扱われる『小袖曽我(こそでそが)』『蝉丸(せみまる)』などの例もある。大ぜいの同装のツレを立衆(たちしゅう)とよび、位の軽いツレをトモという。子方(こかた)(子役)は原則としてシテ方から出る。各役はそれぞれの後見(こうけん)を出すが、とくにシテ方の後見は重要で、舞台監督の機能をもち、シテが舞台で倒れるなどの事故があるときは、その能を舞い継ぐ責任をもつ。

[増田正造 2018年7月20日]

ワキ方

室町末期からシテ方から独立し専門職となった。シテ方とは別の脚本を伝える流儀もある。詩的な存在であるシテに対し、ワキはつねに現実の男性にのみ扮し、能面を用いず、舞を舞わない。曲によってワキヅレを伴うこともある。現在、福王流、高安(たかやす)流、下掛宝生流があるが、もっとも後継者難に直面する役柄である。

[増田正造 2018年7月20日]

囃子方

笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方の四専門で、それぞれに流儀がある。太鼓方は曲目によっては参加しない。囃子方も各流儀の譜を伝え、その組合せによって演奏される。なお、囃子方はいわゆる伴奏の役ではなく、それぞれがシテと一対一で渡り合う重要な役である。狂言に参加する場合もある。

[増田正造 2018年7月20日]

狂言方

流儀ばかりでなく家によっても脚本を異にすることが現在は多い。独立した狂言を演ずると同時に、『翁(おきな)』の三番叟(さんばそう)、風流(ふりゅう)を担当し、また間(あい)狂言として能に参加する。間狂言には、場つなぎのナレーターとして登場する場合、能の進行に直接かかわる場合、別の脚本が挿入される場合などがある。

[増田正造 2018年7月20日]

能の作品

脚本が伝えられているものは2000種を超えるが、各流儀が正式のレパートリーとしている現行曲は、五流あわせて260余である。五流ともにある能、一つの流儀だけが伝えるものなどさまざまである。曲名も表記も流儀で異なることもある。田楽(でんがく)系や近江猿楽(おうみさるがく)系の古曲もあるが、観阿弥(かんあみ)から5世代、約200年間にわたって創作された。作者の確かな作品は半数ほどだが、ほとんどが能役者自身によって書かれたことは注目すべきである。これは、能が一種のミュージカルとして、作詞と作曲と作舞が緊密に同時進行する必要があったからである。世阿弥(ぜあみ)は作能のためには歌道を学べと指摘している。

[増田正造 2018年7月20日]

作品と作者

世阿弥は「本説(ほんぜつ)正しき能」を第一条件として力説した。古典や歴史に取材した能であり、『古事記』から『曽我(そが)物語』までの幅広い先行文芸に題材を求めている。これは和歌における「本歌取(どり)」の技巧のごとく、観客の知識を刺激して相乗効果をねらう意図である。謡曲の文体は、論理的展開よりも、耳に訴える美感、連歌(れんが)のようなイメージの連鎖反応にねらいがあり、独特の詩劇を完成している。

 観阿弥は創成期の息吹に満ちたドラマチックな能を書いた。『松風』『卒都婆小町(そとばこまち)』『通(かよい)小町』『自然居士(じねんこじ)』など。会話を書いて比類ない作家であった。自作の能をもつことが他の座に勝つ要因と説いた世阿弥は、情念を昇華して、緊密で優雅な能をつくり、回想形式による夢幻能(むげんのう)を完成した。『高砂(たかさご)』『老松(おいまつ)』『清経(きよつね)』『実盛(さねもり)』『井筒(いづつ)』『檜垣(ひがき)』『班女(はんじょ)』『砧(きぬた)』『恋重荷(こいのおもに)』『鵺(ぬえ)』『融(とおる)』ほか。長男の観世元雅(もとまさ)はなぜか夢幻能をつくらず、若死にする運命が投影しているかのような暗い主題の近代劇風な、鋭い能を残した。『隅田川』『歌占(うたうら)』『弱法師(よろぼし)』『盛久(もりひさ)』。世阿弥の後輩の世代らしい宮増(みやます)は、『夜討曽我(ようちそが)』『摂待(せったい)』『鞍馬天狗(くらまてんぐ)』ほか別系統の能をつくった。世阿弥の娘婿の金春禅竹(ぜんちく)は、世阿弥の夢幻能の手法をさらに進め、『定家(ていか)』『楊貴妃(ようきひ)』『芭蕉(ばしょう)』『雨月(うげつ)』など独自の詩境を示す。世阿弥の甥(おい)の子の観世信光(のぶみつ)は能に新風を加え、後世の歌舞伎(かぶき)がそのまま継承するようなショー的な能を開拓した。『鐘巻道成寺(どうじょうじ)』『紅葉狩(もみじがり)』『船弁慶(ふなべんけい)』ほか。『嵐山(あらしやま)』『一角(いっかく)仙人』の禅竹の孫金春禅鳳(ぜんぽう)、『大社(おおやしろ)』『正尊(しょうぞん)』の信光の子の観世長俊(ながとし)の世代で、能の創作は事実上終了する。豊臣秀吉が自分をシテに書かせて自演した『明智討(あけちうち)』ほかの「太閤能」は芸術作品とはいいがたく、江戸時代の能は賀茂真淵(かもまぶち)らによる『梅』が観世流に登録された唯一の例である。江戸時代には『砧』『恋重荷』などの名作が能としては上演されなかったらしい。昭和50年代後半からは埋もれた曲の復原運動が盛んで、『笠卒都婆(かさそとうば)(重衡(しげひら))』『雲林院(うんりんいん)(古作)』『大般若(だいはんにゃ)』『治親(はるちか)』『丹波物狂』ほかの成果がみられる。

[増田正造 2018年7月20日]

新作能

明治以降の能を新作能とよぶ。高浜虚子(たかはまきょし)の『鉄門』『奥の細道』をはじめ、土岐善麿(ときぜんまろ)の作品が主流を占める。『夢殿(ゆめどの)』『青衣女人(しょうえのにょにん)』『使徒パウロ』『実朝(さねとも)』『秀衡(ひでひら)』『鶴』ほか。第二次世界大戦後は、武智鉄二演出による口語能『智恵子(ちえこ)抄』などの試みもあり、能にヒントを得たイェーツの『鷹(たか)の井戸』は、横道萬里雄(よこみちまりお)(1916―2012)の『鷹姫』となり、またリチャード・エマートRichard Emmert(1949― )らによって原文のまま能として上演された。英語能も『セント・フランシス』『ハムレット』『漂炎』など、新しい展開をみせている。

[増田正造 2018年7月20日]

作品構成と種類

能には『猩々(しょうじょう)』のような一場構成の単式能から、20余に舞台面の変化する『烏帽子折(えぼしおり)』の例まであるが、シテが一度中入りする(前シテと後シテ)複式能と、中入りしない単式能の2種に限られる。これは、引き幕のない、また装置や背景を用いない能が、せりふの設定だけで場面変換が可能なことも理由であり、また能が情念の純粋化を目ざし、複雑なドラマ展開を目的としない演劇であることによる。

 能には特定の構成単位があり、その組合せには一種の法則がある。これは類型に陥る弊もあるが、歌舞劇としての様式、音楽的統一を優先させるための方法である。次第(しだい)、上哥(あげうた)、下哥(さげうた)、クリ、サシ、クセ、キリ、一セイ、名ノリ、語リなど、ほぼ50種。この謡の単位に、これも50種ほどの次第、一セイ、序ノ舞、カケリなど登場や舞の囃子の単位を総称して「小段(しょうだん)」という呼び方もされる。『井筒』を例にすると、次のような構成となる。

〈前段〉(名ノリ笛)―名ノリ―サシ―哥―(次第)―次第―サシ―下哥―上哥―問答―上哥―クリ―サシ―クセ―ロンギ―中入地
〈後段〉上哥―(一セイ)―サシ―一セイ―(序ノ舞)―ワカ―ノリ地―哥
たとえば『野宮(ののみや)』と比較すると、ほぼ同じ構造で書かれながら、まったく違う女性像を描き分けている。優れた曲は様式性を利用しつつ、曲の個性を確立している。

 能はいちおう「夢幻能」と「現在能」に大別される。夢幻能はシテ独演主義の能ともいえ、仕方話と回想形式によって映画のナラタージュ的手法が駆使される。死後の時点から生の時間を眺めるという発想は、演劇を時間と空間の束縛から解き放つ前衛的な方法であった。『井筒』の女は永遠の慕情を造形し、『清経』は平家をめぐる運命の全容を眺め、『野宮』の六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は死の濾過(ろか)を経て光源氏への愛を訴える。また神や鬼を登場させ、それに一つの情念を凝縮させることに成功した。『自然居士』『安宅』『隅田川』などの現在能は、現実の時間と空間のなかでドラマが進行する能である。現在能は問題がないが、夢のなかにある人物なり異次元の存在が登場して物語るという夢幻能の説明も、『葵上(あおいのうえ)』の生霊はどうなのか、『高砂』の神の祝福は夢のなかであったのか、『紅葉狩』『鞍馬天狗』の類はどうするかなどと、現代の概念で律するには無理が多い。また、人間を描いた能を「劇能」、スペクタクル風のショー的な作品を「風流(ふりゅう)能」とよぶ人もある。なお、複式能には、前段が現在能で、後段が夢幻能風となる『砧』『藤戸(ふじと)』の類があり、『藤戸』『船弁慶(ふなべんけい)』のように前シテと後シテが別人格の能もあるが、同一役者が演ずるのがたてまえである。

[増田正造 2018年7月20日]

作品の分類

世阿弥は『風姿花伝』で、能の役柄を、女、老人、直面(ひためん)、物狂い、法師、修羅(しゅら)、神、鬼、唐(から)事と九つに分類しているが、やがてそれは「三体」に集約される。閑寂と品位の「老体」、情緒と幽玄の「女体(にょたい)」、激しさと動きの「軍体」である。現在では舞う舞の種類によって、序ノ舞物、カケリ物という分類もあるが、「神(しん)、男(なん)、女(にょ)、狂(きょう)、鬼(き)」と俗称される五番立ての分類が普遍化している。江戸時代の上演方式によるとも、謡本の五番綴(と)じによるともいわれる。『翁』はまったく別系列の儀式能で、1日の最初に演じられ、どこにも分類されない。翁、脇能(わきのう)、修羅能(しゅらのう)、鬘(かずら)物という上演順位はかなり昔から決まっていたようで、その後に何番も演じて、最後に祝言能でめでたく終わることになっていた。1日に17番上演の桃山時代の記録もある。

(1)初番目物(脇能物) 『高砂』『老松』『賀茂(かも)』『白髭(しらひげ)』『西王母(せいおうぼ)』など38番。神霊の祝福の能である。

(2)二番目物(修羅物) 『清経』『敦盛(あつもり)』『八島(やしま)』『頼政(よりまさ)』『巴(ともえ)』など16番。修羅道に落ちた武人の霊が救いを求めて現れる能で、そのほとんどが敗戦の苦を扱い、またロマン的な色彩が濃い。

(3)三番目物(鬘物) 『井筒』『野宮』『定家』『松風』『杜若(かきつばた)』『熊野(ゆや)』『大原御幸(おはらごこう)』など39番。女性をシテとし、能の理想とする幽玄味のもっとも濃いもので、能のなかで最高に位置する。『関寺小町』『檜垣』『姨捨(おばすて)』の老女物は、至高の能とされる。

(4)四番目物(雑能物) 他の曲籍に含まれぬすべての能を一括する。鬘物としても扱われる『西行(さいぎょう)桜』『雲林院』など4番。『雨月』『三輪』など脇能に近い曲柄8番。『班女』『三井寺(みいでら)』『隅田川』『弱法師』などの物狂い能25番。『花月(かげつ)』『東岸居士』『自然居士』の美少年の能。『邯鄲(かんたん)』『枕慈童(まくらじどう)』などの中国種の能7番。『通小町』『善知鳥(うとう)』などの地獄の能8番。『葵上』『道成寺』『綾鼓(あやのつづみ)』など怨霊(おんりょう)の能8番。人情味の濃い『俊寛』『鳥追舟(とりおいぶね)』など9番。『安宅』『夜討曽我』など直面の武士の能20番。ドラマチックで人気のある曲柄である。

(5)五番目物(切能(きりのう)) フィナーレ用の豪快あるいは爽快(そうかい)な能の一群。『野守』『鵺』『船弁慶』『黒塚』『鞍馬天狗』『融』『当麻(たえま)』『石橋(しゃっきょう)』『猩々』など51番。

 この能の曲目の籍には流動性もあり、略脇能、略三番目物という扱いで番組編成の融通がつけられている。現在では五番立ての演能形態はほとんどまれで、1日1~3番が常態となっている。

[増田正造 2018年7月20日]

能の影響

能の創成期には、歌舞伎の世界とごく近いドラマチックな曲がたくさん上演されていたが、やがて夢幻能が首位を占めるとともに能の世界から淘汰(とうた)され、その劇的傾向はそのまま浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎へ移行されたとされる。能をそのまま歌舞伎化した『勧進帳(かんじんちょう)』『紅葉狩』『船弁慶』『土蜘(つちぐも)』などの「松羽目物(まつばめもの)」は、幕末から昭和に及ぶ傾向だが、能の『翁・三番叟(さんばそう)』『道成寺』『石橋』『松風』『山姥(やまんば)』などは近世以降の舞踊・邦楽へ多くの流れを生んだ。文芸では、『閑吟集(かんぎんしゅう)』には多くの能の詞章、狂言の歌謡が載せられ、江戸時代の謡曲の流行は、一種の古典ダイジェストとしての役割を果たし、俳諧(はいかい)・川柳(せんりゅう)や、仮名草子(かなぞうし)・読本(よみほん)・黄表紙(きびょうし)の類に題材を提供している。松尾芭蕉は、謡曲は俳諧の『源氏物語』、つまり原典といっている。近松門左衛門や井原西鶴(いはらさいかく)の文学も、謡本の文句を多く利用している。泉鏡花(いずみきょうか)、郡虎彦(こおりとらひこ)、野上弥生子(のがみやえこ)、円地文子(えんちふみこ)、杉本苑子(すぎもとそのこ)、立原正秋(たちはらまさあき)、山崎正和(やまざきまさかず)らに能に取材した作品があり、三島由紀夫の『近代能楽集』は西欧でも上演されている。アイルランドのイェーツは能にヒントを得た『鷹の井戸』を書いたが、逆輸入され新作能ともなった。また現代音楽、電子音楽にも影響を与えつつある。

[増田正造 2018年7月20日]

能の上演

演出

世阿弥(ぜあみ)は多くの秘伝書を残し、能の演出を説いた。現代に至る演出の大綱は世阿弥によって指示されているといってよい。創成期の能が観客の意表をつく珍しさが「花」の理論によって説かれるように、当然流動的、即興的な要素が多かったと考えられる。実際の武具や馬を用いた野外能も行われた時代であった。

 室町末期の伝書である『舞芸六輪』には演出の様式化がみられ、桃山時代の下間少進(しもつましょうしん)の『童舞抄(どうぶしょう)』に今日の原型をみることができる。江戸以降は古典芸能としての道を歩み、今日の上演様式は江戸中期にほとんど完成したとされる。演出の新しいくふうは「小書(こがき)」、つまり特殊演出として流儀に登録され、これも今日固定化している。能は脚本も演技も細部まで様式化しているため、慣習的な上演が可能であり、西欧演劇的な演出の考えが薄い。各出演者がその能の曲目に対してもっている「位(くらい)」の概念、これは文学的な読みから演技、演奏のテンポ、ピッチ、リズムまでを含むだいじなものだが、出演者同士のこの「位」の感覚の総合、あるいはぶつけあいで上演されるのが普通であるが、演出の見直しの風潮も強まっている。

[増田正造 2018年7月20日]

舞・謡・囃子

一曲の能を演ずることを「能を舞う」というように、どんな劇的な内容の曲でも、舞踊的統一に貫かれている。曲舞(くせまい)などの文意に沿った舞の一方に、純粋な器楽演奏による抽象的な舞があり、「序ノ舞」「中(ちゅう)ノ舞」「神舞(かみまい)」「男舞」「早舞」「神楽」「楽(がく)」「羯鼓(かっこ)」「獅子(しし)」「乱(みだれ)」「乱拍子(らんびょうし)」など、シテがどの舞を舞うかが、その曲目の内容と「位」を決めている。ドラマの頂点部分にこの無機的な舞を置くのが能の特徴であり、能が再現写実を目的とする一般演劇とまったく別の方向を目ざした、なによりの証拠である。「舞働(まいばたらき)」「祈リ」「カケリ」など、舞と演技の中間的存在もある。また人物の登場や退場にも、「次第(しだい)」「一セイ」「早笛」「名ノリ笛」「来序(らいじょ)」など、さまざまな囃子の種類がある。

 謡は舌を後方に引き、のどぼとけを押し下げるような、どの邦楽とも違う、独特の発声法である。女性の役に扮(ふん)しても、歌舞伎(かぶき)や中国の京劇の女方のような発声はまったく用いず、男の声のままである。ここにも能の逆説的な主張がある。ツヨ吟は、明治初期に完成したとされる音階と発声で、力強さの表現であり、繊細なヨワ吟は、発生当時からのもので、音階も細かく明確で節扱いも変化に富む。謡は絶対音高の考えをとらず、偶然の要素のなかから、その日の必然の高さを探り出そうとし、世阿弥はこれを「時の調子」とよんでいる。

 能の謡と囃子は、八つのリズムに支配され、8拍子または地拍子という。3通りのリズム型がある。「平(ひら)ノリ(小(こ)ノリ)」が中心で、七五調12音原則の文章を8拍子16音にあてはめ、微妙な、そして多分に即興的な演奏の変化に生命がある。「中(ちゅう)ノリ(修羅ノリ)」は2字を1拍にあてる躍動的な謡。「大(おお)ノリ」は1字1拍のゆったりとしたリズム感をもつ。謡には以上の「拍子ニ合ウ」部分と、8拍子に支配されない「拍子合ワズ」の部分があり、会話などの節のない「コトバ」も、一定の抑揚がある広義の歌である。

 能の楽器は管楽器1に、打楽器3の構成。楽器もリズムをとる演奏と、とらぬ演奏がある。笛は能管(のうかん)ともいい、メロディを吹くというよりも、八つのリズムを吹くのである。「序ノ舞」などの舞では主導権をとるが、謡の部分では、笛は叙情的に吹き添えられるだけで、謡の旋律やリズムにあわせて吹くということはない。革を火であぶって乾燥させる大鼓の鋭い衝撃音と、小鼓の柔らかく微妙な音色とがみごとな対比を聞かせる。太鼓は曲の一部分しか演奏せず、曲目によっては参加しない。強さと華やかさを添えるが、異次元の存在を舞台に引き出す機能をもつ楽器と考えられる。したがって神の脇能(わきのう)物と、鬼の切能(きりのう)には、太鼓がかならず参加する。打楽器は舞の演奏はもちろん、謡のリズム、緩急を支配する。ヤ、ハ、ヨイ、イヤーなどという掛け声は重要で、間を計り、曲の雰囲気を出すだけでなく、指揮者なしに複雑を極める演奏を可能とするのは、お互いの連絡と指示をつかさどる掛け声の機能にある。能の本質を世阿弥が「舞歌二道」と規定したのは、舞踊的リズムと音楽的リズムの融合と拮抗(きっこう)、つまりミュージカル的演劇として能を定めていることである。

[増田正造 2018年7月20日]

舞台と装置

能の舞台は、世阿弥時代にはまだ様式が決まらず、真四角な舞台に橋懸(はしがか)りが真後ろについた形などもあり、3000人ほどの観客まで擁したらしい。今日みる能舞台の様式の原点は、桃山時代の西本願寺の北舞台にみることができる。能楽堂という屋内に屋根のある能舞台が入った形は、明治以降のことである。観客席に突き出た真四角の空間の舞台は、額縁舞台の他の演劇とはまた異なる立体的な演技を要求する。「動く彫刻」といわれるように、あらゆる視点からの鑑賞に堪えねばならない。左右よりもむしろ前後の動きが重視され、登場人物の緊密な位置の占め方が重要となる。農村の民家にしつらえた舞台で舞う黒川能のような室内の演能から、100人から600人程度の能楽堂、野外の舞台、1万人を集める野外能、あるいはステージ、またアテネのコロシアムまで、あらゆる空間で能の上演が可能なことは、注目に値する。

 背景も舞台装置も用いず、役者の動作と音楽ですべてを表現し、観客の幻想にゆだねるのが能の理念だが、「作り物」とよぶ道具を、最小限舞台に出すことがある。山や樹木や、鳥居、舟など、極端に簡素なデザインが特徴であり、竹を主材とする。扇(中啓)はかならず用いられるといってよいほど重要で、ほかに笠(かさ)や数珠(じゅず)、刀などの小道具類も用いられる。

[増田正造 2018年7月20日]

面と装束

能面は仮装の手段ではなく、能の理念、演出の核といってよい。能役者の心のよりどころとして、神聖な扱いを受けている。メンといわず「オモテ」とよぶように、文字どおり能の表現の「表」なのである。ギリシア劇や、舞楽(ぶがく)、伎楽(ぎがく)などの仮面に比べ、浅く、顔を覆うに足るだけの小型にできており、感情表現のための微妙なくふうが凝らされている。「カブル」とはいわず「オモテをカケル」という。能面のなかに演者の精神のすべてを込めるのである。その能の演出が選ばれた能面によって決定されるように、能の演技も、摺(す)り足の歩行も、装束のデザインも、みな能面によって導かれ、規制されている。装束は他の演劇の舞台衣装に比べ、直線的で単純化されており、堅い絹の織物は能面と調和する。体全体で感情表現をする能の演技が、幾何学的に抽象化されているのも、能面の使用や装束の洗練化と別個に考えることはできない。なお、能に登場する素顔の役は「直面(ひためん)」とよび、自分の顔を能面として扱い、顔面表情をつくろったり、メーキャップすることはまったくない。

[増田正造 2018年7月20日]

演技

基本は「構エ」にある。ただ重心を落とすのではなく、腰に弾力を撓(た)めあらゆる方向に気合いを発して立つ存在感がだいじである。体の一点の軌跡が舞台の床とつねに平行であろうとする能は、摺り足による「運ビ」の美と、序破急(じょはきゅう)のリズム感を表現の基礎としている。手首だけの演技はなく、かならず肘(ひじ)と肩を伴った大きな円運動、直線運動である。能は踊るといわず「舞う」のである。動作単元である「型」は細かいものを含めても250種程度。泣く演技である「シオリ」のような例もあるが、演劇的表現の型も、純粋な舞踊的な型も重なり合う部分が多く、同じ型でも場合に応じて種々の表現効果をあげうる。舞台装置をもたぬ能舞台では、叙景の型も重要である。能は歌舞伎の「見得(みえ)」のような停止による強調の演技は用いない。能の型はつねに流れ、連鎖反応をおこしながらそのリズムが大きなテーマにつながっていく。シテがじっとうずくまっている動かぬ型も、静止ではなく、最高回転時のこまが動かずに見えるように、心の強い働きで支えられている。世阿弥のいう「物真似(ものまね)」も、単なる写実ではなく、高度の写意、対象の実態そのものの凝縮された表現である。極度に抑制され、簡素な造形から、観客は無限のイメージを引き出す。それだけに能の演技者には、技術の確かさと同時に、気迫と心の働きによる表現がなにより要求される。

[増田正造 2018年7月20日]

能と狂言

能と狂言は二つの演劇であると同時に、二つで一つの演劇でもある。同じ舞台に共存し、交互に上演され、また協力しながらお互いの特徴を際だててきた。ミュージカルとせりふ劇の違いがあるが、型と舞と謡を基礎に置く点で、演技の共通性をもつ。独立した狂言と同時に、能のなかの一役として参加する場合を「間(あい)狂言」とよぶ。『翁(おきな)』の三番叟(さんばそう)(流儀によっては千歳(せんざい)も)は狂言方の受け持ちであり、歴史的にいえば狂言が日本の演劇の母胎であった。長く狂言そして狂言方は能の下に位置されてきたが、第二次世界大戦後の新しい演劇活動においては、能と狂言は同等の比重でその特色を生かし、またその価値が正当に評価されるようになった。

[増田正造 2018年7月20日]

鑑賞と催し

アマチュアとして謡を稽古(けいこ)している人々によって観客の多くが占められていた時代、能が特殊な存在としてみられていた時代は終わり、演劇としての広い視野から世代を超えた支持を得ている。能は約束の芸術とか、予備知識の必要などといったこともいわれているが、実はそうではなく、象徴芸術だけに、各自のセンスとイメージの広がりがだいじである。古典芸能とか文化財という視点でなく、前衛芸術として対したほうが、能の本質に近づきやすい。能楽堂の各流儀や組織の会も数多く催され、新聞社や観客側の主催する会もある。流儀関係の会は稽古会という性格が残り、国立能楽堂では普及公演と、記録のための稀曲(ききょく)上演の二つの面がある。ただ能の催しは1日限りというところに難点がある。伝統的な催しでは、5月12、13日の奈良興福寺薪能(たきぎのう)、12月17、18日の奈良春日若宮おん祭の芝の上の能、5月21日、親鸞(しんらん)降誕会の京都西本願寺の能、4月16~18日、海に建つ能舞台の厳島(いつくしま)神社桃花(とうか)祭がある。また山形県の農民の伝える黒川能の王祇(おうぎ)祭が2月1、2日、五流の能とは別の伝承と古風を伝える。また薪能を称する野外能は急速に増加し、全国各地に定着したばかりか、海外でも演じられている。

[増田正造 2018年7月20日]

組織と研究機関

能楽師のすべての玄人(くろうと)を包括する組織に「能楽協会」があり、2013年(平成25)時点の会員数は1285名。「日本能楽会」は、国によって重要無形文化財の総合認定を受けた人々の組織で、2011年時点で481名の日本能楽会会員がいる。専門研究機関には、野上豊一郎(のがみとよいちろう)記念法政大学能楽研究所が古文書の収集で比類なく、武蔵野(むさしの)大学能楽資料センターは、現代の舞台の記録に主眼を置いている。また丹波篠山(たんばささやま)市には能楽資料館がある。歌舞伎などの国立劇場には20年近く遅れたが、国立劇場能楽堂も1983年に発足し、認知普及のための公演、資料の収集、後継者の養成の一つの拠点となる。

[増田正造]

無形文化遺産の登録

2008年「能楽」としてユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録された。

[編集部 2018年7月20日]

『佐成謙太郎著『謡曲大観』全7巻(1931・明治書院)』『野上豊一郎著『謡曲全集』全6巻(1935~1936・中央公論社)』『横道萬里雄・表章校注『日本古典文学大系40・41 謡曲集 上下』(1960、1963・岩波書店)』『リチャード・マッキンノン、中村保雄著『日本の伝統2 能』(1967・淡交社)』『芸能史研究会編『日本の古典芸能3 能』(1970・平凡社)』『野上豊一郎編修、西野春雄・松本雍解題・補注『能楽全書』全7巻(1979~1981・東京創元社)』『山崎正和編『日本の名著10 世阿弥』(1983・中央公論社)』『伊藤正義校注『新潮日本古典集成 謡曲集 上中下』(1983~1988/新装版・2015・新潮社)』『横道萬里雄・小山弘志・表章編『岩波講座 能・狂言』7巻・別巻1(1987~1992・岩波書店)』『小山弘志・佐藤喜久雄・佐藤健一郎校注・訳『新編日本古典文学全集58・59 謡曲集1・2』(1997、1998・小学館)』『増田正造著『能の表現』(中公新書)』


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改訂新版 世界大百科事典 「能」の意味・わかりやすい解説

能 (のう)

日本芸能の種目名。通常,猿楽能を指す。広義には歌舞劇の一般名で,ほかに田楽能(でんがくのう)(田楽)があり,延年の歌舞劇を便宜上,延年能と呼ぶこともある。猿楽能は,南北朝時代から室町時代初期にかけて発達し,江戸時代中期にほぼ様式の完成を見たが,他の能はこうした発達を遂げないままに終わった。以下,猿楽能についてだけ述べる。猿楽能は屋根のある専用舞台をもち,面(おもて)を用い,脚本,音楽,演技に独自の様式を備え,猿楽狂言(通常,単に狂言と称する)と併演する芸能である。

上古に大陸から輸入された散楽(さんがく)は,曲技,歌舞,物まねなど雑多な内容を含むものだったらしいが,平安時代に笑いの芸能に中心が移り,発音も〈さるがく〉と変わり,文字も猿楽,申楽などと書かれるようになった。その発達を遂げたものが狂言である。一方,寺院の春の法会(ほうえ)における呪師作法(しゆしさほう)に関連して,修法の意義を演技・演舞によって示す役目を,猿楽者に任せるようになったらしい。これを呪師猿楽といい,激しい動きを見せるものだったようだが,その内容には不明な点が多い。また,老翁の姿の神が訪れて祝福を与えるという芸能は,各地方に古くから存在したと考えられるが,その老翁を猿楽者が勤める慣例ができた。これが翁猿楽(おきなさるがく)で,父尉(ちちのじよう),翁,三番叟(さんばそう)の三老翁が順演する《式三番(しきさんばん)》として様式が定着した。ただし南北朝時代から以降は,特殊な神事能のほか父尉を省くようになった。鎌倉時代後半には,各地の寺社に縁を求めて猿楽座が作られるようになり,あらたに能という歌舞劇を始めた。この能の形成には,呪師猿楽や翁猿楽の影響が大きいと考えられるが,具体的な形成過程はわかっていない。

 南北朝時代には,諸国の猿楽座の中で大和猿楽近江猿楽が際立つ存在だった。大和猿楽の中心は興福寺支配の4座,すなわち円満井(えんまい),坂戸,外山(とび),結崎(ゆうざき)の座で,これが後に金春(こんぱる)座(金春流),金剛座(金剛流),宝生座(宝生流),観世座(観世流)と呼ばれるようになる。結崎座を率いる観世という名の役者(後の観阿弥)は,技芸抜群のうえくふうに富み,将軍足利義満の愛顧を得て京都に進出し,座勢を大いに伸ばした。観阿弥の功績は,物まね本位だった大和猿楽に,近江猿楽や田楽の歌舞的に優れた面をとり入れたこと,伝統であった強い芸風を幽玄(優美とほぼ同義)な芸風に向かわせたこと,リズムを主とした曲舞(くせまい)の曲節を導入したことなどである。観阿弥は南北朝末に死ぬが,その子である後の世阿弥(ぜあみ)は,父に劣らぬ才能をもち,能をいっそう高度な舞台芸術に育てた。とくに夢幻能という様式を完全な形に練り上げたことと,能の道の理論的裏付けとしての約20種の著述を残したことは不滅の功績である。近江猿楽には犬王(いぬおう)(後の道阿弥)という幽玄風の名手が出たが,後継者に恵まれず,室町中期から急速に衰えた。一方,大和猿楽は観世座を先頭に他の3座も力を伸ばし,観世元雅(もとまさ),金春禅竹(ぜんちく),観世信光(のぶみつ)らがそれぞれの持ち味の作能を行うなどして,他の地方の猿楽を圧倒した。

 桃山時代の豊臣秀吉は大の能好きで,猿楽者の保護に気を配り,みずから舞台にも立った。江戸時代になると,大和猿楽の4座は江戸幕府の直接支配下に入り,その典礼の能を勤めることが第一の任務となった。なお,このころ喜多(きた)七大夫が一流(喜多流)の創立を許され,併せて〈四座一流〉と称された。また座の制度のほかに,シテ方ワキ方など専門別の役籍が定められ,各役籍に数個の流派が確立した。流派には家元があって芸を統制し,習事(ならいごと),免状,伝授手続きなどの形式が整えられた。また,急な用命に応ずる必要から,常備演目が定められ,他の演目は廃絶され,新作の上演はなくなった。その代りに芸の細部に磨きがかけられ,技法はきわめて高度となった。

 こうしたくふうの積み重ねにもとづく様式の部分的変動は,後にも長く続く。たとえば,現在の(うたい)にあるヨワ(弱)吟,ツヨ(強)吟という二つの吟型(ぎんがた)が分化したのは江戸時代17世紀末のことだが,その音階はその後も変化を続け,現在の音階に固定したのは江戸最末期から明治時代にかけてである。また詩型とリズムの関係を規制する地拍子も,現在の形式となったのは明治時代以降である。しかしこうした変化の一方,世阿弥のころから少しも変わらない面もある。構造面では能本(のうほん)の詞章やその小段(しようだん)構成など,技法面では謡の美を息扱いとリズムの細かな変化に求めることなどがそれである。なお,囃子は,世阿弥のころすでに笛,鼓(つづみ),太鼓(たいこ)が用いられていたが,小鼓(こつづみ),大鼓(おおつづみ)の区別があった確証はなく,現在の囃子の楽型が確認できる資料は,江戸時代初頭のものまでしかさかのぼれない。
狂言 →猿楽

能の脚本を古くは能本と呼んだ。現在では謡曲と呼ぶことが多いが,この言葉は,能の構成要素のうち声楽部門を指す謡という語と同義にも用いるので,能本の呼称を復活させたい。

能の主人公には,神仏,物の精,幽霊など霊体の人物が多い。鬼退治物の鬼の役などは肉体を有するという点で霊体とは質が違うが,扮装や技法の面から見て準霊体(風流体(ふりゆうたい)と称してもよい)と考えられる。一方,現実世界の老若男女,すなわち現在体の人物も当然登場する。巫女(みこ)や物狂いなどは霊的な性格を帯びているが,人物としては現在体である。霊体・準霊体の人物は,現在体の姿を借りた化身体(けしんたい)としてまず登場し,後にその本体を現すという例が多い。しかし化身体と本来の現在体とでは演出面の扱いが違う。

能本は,その構想のうえで夢幻能と現在能の二つに大別される。ただし両者の中間をいく構想の能本もある。夢幻能には定型がある。現在体の人物(ワキ)が,ある土地で化身体の人物(前ジテ)に出会う。後者はその土地にまつわる物語りをして,最後に本体をほのめかして消える(中入(なかいり)。ここまでが前場(まえば))。待つうちに霊体(後(のち)ジテ)の姿で再出現し,仕方話をしたり舞を舞ったりする(後場(のちば))。こうした大筋の定型のほかに,登場,物語り,舞などの部分それぞれにいくつかの定型があり,その定型を追ったり,わざと定型を破って変化を求めたりしながら作能する。夢幻能に対して,登場人物がみな現在体である能を現在能という。現在能の構想には,すべてに通ずる定型というものがないが,物狂いの能などにはある種の定型が見られる。なお,登場,物語り,舞のくだりなど部分的には定型があり,その多くは夢幻能の定型と共通している。現在能にも二場のものがあるが,一場のもののほうがやや多い。また夢幻能の中にも,シテが初めから霊体として登場するものがあるので,複式夢幻能,単式夢幻能と呼び分けることがある。

能本の構造は,小さな構造単位が数個集まって次の構造単位を作り,さらに集まって大きな単位を作るというように,層を積み重ねた構造になっている。概観すれば,〈句→節→小段→段→場→能一番〉という構造になるが,このうちもっとも重要な構造単位が小段(しようだん)である。小段には,謡が中心となる謡事(うたいごと)の小段と,囃子のみで演奏される囃子事の小段がある。その種類の数は,どこまで細かく分類するかで変わってくるが,おおまかにとらえると,謡事,囃子事それぞれに約50種が見られる。おもな謡事の小段に,シダイ,下歌(さげうた),上歌(あげうた),クルイ,クセ,ノリ地,中ノリ地,一セイ,ワカ,クリ,サシ,クドキなどがあり,囃子事の小段に,序ノ舞,中ノ舞(ちゆうのまい),早舞(はやまい),男舞(おとこまい),神舞(かみまい),神楽(かぐら),(がく),羯鼓(かつこ),イロエ,カケリ,早笛(はやふえ),大ベシ,下リ端(さがりは),一声(いつせい),出端(では),次第(しだい)などがある。

能本の数は,その本文が現存しているものだけでも約2000番にのぼる。そのうち現行演目は諸流を通じて約240番である。しかし作者の確定できる演目は,全体の2割ないし3割にすぎない。次にその例を挙げるが,この中には,作者について多少の疑問を残しているものや,後に改作されて現在に伝えられていることの明らかなものも含めてある。

 (1)観阿弥 《松風》《通小町(かよいこまち)》《卒都婆小町(そとばこまち)》《自然居士(じねんこじ)》,(2)世阿弥 《老松(おいまつ)》《高砂(たかさご)》《弓八幡(ゆみやわた)》《敦盛》《忠度》《清経》《頼政》《実盛》《井筒》《檜垣(ひがき)》《西行桜》《融(とおる)》《鵺(ぬえ)》《恋重荷(こいのおもに)》《砧(きぬた)》《班女(はんじよ)》《花筐(はながたみ)》,(3)観世元雅 《隅田川》《歌占(うたうら)》《弱法師(よろぼし)》《盛久》,(4)金春禅竹 《芭蕉》《定家(ていか)》《玉葛(たまかずら)》《雨月(うげつ)》,(5)宮増(みやます) 《鞍馬天狗》《夜討曾我》,(6)観世信光 《遊行柳(ゆぎようやなぎ)》,《鐘巻(かねまき)》(《道成寺》の原作),《紅葉狩》《船弁慶》《羅生門》《安宅(あたか)》,(7)金春禅鳳 《嵐山(あらしやま)》《一角仙人》,(8)観世長俊 《大社(おおやしろ)》《正尊(しようぞん)》。

一日の公演に演ずる能の数は,南北朝時代までは4~5演目にすぎなかったが,その後増加の道をたどり,室町時代中期から桃山時代にかけては7番から12番ぐらいの例が多く,一日17番という例さえ見られる。それが江戸時代になると,式楽として四座一流に平等に割りふるという理由もあってか,一日5番の五番立てが正式の番組となった。この五番立ての番組編成のために,各演目は脇能物(初番目物(しよばんめもの))から五番目物までの5曲籍に配された。曲籍は,番組編成の指針であると同時に,演目の分類ともなっているし,また演出の大まかなめどともなる。すなわち,脇能物はよどみなくさわやかに,二番目物はきびきびと勇壮に,三番目物は優美にしっとりと,四番目物は変化を尽くして面白く,五番目物は手強く足取り速くというのがおよその演じかたである。むろん個々の演目で違いの幅は大きいが,一応の基準にはなるのである。

 第2次世界大戦以後,五番立ての演能はめったに見られなくなったにもかかわらず,曲籍に分ける考えかたが重視されるのはこの理由による。なお,曲籍を限定しにくいために三・四番目物などと称したり,本来の曲籍ではないが略式で二番目能に用いうるという意で略二番目物と称したりもする。各曲籍に属する演目はおよそ次のとおりである。

 (1)脇能物 神霊の夢幻能,《高砂》《竹生島》など。(2)二番目物(修羅物(しゆらもの)) 武士の霊の夢幻能,《八島(やしま)》《清経》など。(3)三番目物(鬘物(かつらもの),準鬘物) 優美な女性の霊の夢幻能,《井筒》《野宮(ののみや)》など。優美な貴公子の夢幻能,《雲林院》など。女体の精の夢幻能,《杜若(かきつばた)》など。老木の精の夢幻能,《西行桜》など。優美な女性の現在能(狂女物を除く),《熊野(ゆや)》など。(4)四番目物 他の曲籍に属さないすべての能。夢幻能では女物の《求塚(もとめづか)》《三輪(みわ)》などと,男物の《善知鳥(うとう)》《恋重荷》など。現在能では狂女物の《三井寺(みいでら)》《班女》などと,直面物(ひためんもの)(狭義の現在物)の《安宅》など。その他,般若物の《葵上(あおいのうえ)》《道成寺》,唐物(からもの)の《邯鄲(かんたん)》など。(5)五番目物 夢幻能では貴公子物の《融》などと,鬼畜物の《野守(のもり)》《殺生石(せつしようせき)》など。その他,鬼退治物の《紅葉狩》《羅生門》,天狗物の《鞍馬天狗》,祝言物の《石橋(しやつきよう)》《猩々(しようじよう)》などである。

能は,役に扮して舞台に立つ立方(たちかた)と,もっぱら音楽を受け持つ地謡方(じうたいかた),囃子方とで成り立つが,それぞれの中で技法がさらに分化し,室町時代末期に七つの専門が確立した。立方を勤めるシテ方,ワキ方,狂言方と,囃子方である笛方,小鼓方,大鼓方,太鼓方の7役籍がそれで,江戸時代以降,互いに他の専門を侵さない規律ができ,現在でもそれが守られている。なお,地謡はシテとの関連性が強いためにシテ方が勤める。

 ワキ方は,初め脇役(脇の為手(して))として発生したが,後に独自の技法を確立し,シテ方とは対照的な別の役籍となった。シテ方が詩的・歌舞的・曲線的な技法をとるのに対し,ワキ方は散文的・現実的・直線的な技法で応ずるので,舞台に厚みが増すのである。ワキ方は面を用いず,したがって現在体の男体(なんたい)の役にだけ扮し,また舞事(まいごと)を舞わない。能本の中の各人物は,それぞれにふさわしい技法という点でシテ方,ワキ方,狂言方にふり分けられている。能は歌舞劇なので,《羽衣》の天人(シテ)と漁夫(ワキ)のように,主役をシテ方が勤める演目が多い。しかし《羅生門》のようにワキ方中心の能もある。この能の主役渡辺綱はワキで,綱と対立する平井保昌や,2人の主君の源頼光とその家臣たちも全部ワキ方が勤め,シテの鬼は綱に斬られるために数分間舞台に現れるにすぎず,一言も発しない。このような能が存在するのは,両役籍の区別の根本が芸質にあって,戯曲上の役の軽重はまた別の問題だからである。なお,ワキ方が1人も出ない能に《小袖曾我》などがあるが,シテ方が1人も出ない能というのは現行演目の中にはない。

 狂言方は,元来狂言を演ずるのを専門とするが,能の中の人物でも,科白劇的な演技を必要とする役は狂言方が扮し,これをアイ(間狂言(あいきようげん)の意)と称する。現在能のアイには,《自然居士》や《船弁慶》のように筋の進行にかかわる重要な役もある。夢幻能の定型のアイは,前ジテから後ジテに扮装を改める間に出て,話のあらましをかみくだいて説明する役である。

シテ方の扮する役のうち,もっとも重要な役をシテ,他の役をすべてシテヅレと称する。同様にワキ方の最重要な役をワキ,他をワキヅレと称する。なお,シテヅレは単にツレと称するのが普通である。2人以上のアイについては,重要な1人をオモアイ,他をアドアイと言い分けることがある。同扮装で多人数出て一連の行動を共にするシテヅレ,ワキヅレ,アドアイを,いずれも立衆(たちしゆう)と称する。少年の役者が扮する役を子方(こかた)というが,特別な場合を除いてシテ方から出る。地謡は前述のようにシテ方が担当するが,アイの部分の地謡は狂言方から出る。どちらもその統率者を地頭(じがしら)と称する。

各役籍の技法はいくつかの流れとなって伝承され,江戸時代になると,役籍別の流派制度として固定した。これは現在でも守られていて,能の専門家(能楽師)はかならずどれか一つの流派に所属している。現存する流派は表1のとおりである。江戸時代には座付制度があり,観世座のワキ方は進藤流と福王流,金春座のワキ方は春藤流というように,その組合せが定まっていた。しかし,囃子方などは彼我相補うこともあり,座付の変更もあった。また地方の大名家では江戸と同じ組合せをとるとは限らなかった。現在では流派の組合せにはまったく制約がない。シテ方5流のうち,観世,宝生2流は芸系が近く,能本の詞章や謡の曲節に共通点が多いので,〈上掛り(かみがかり)〉と総称され,同様に金春,金剛,喜多3流は〈下掛り(しもがかり)〉と総称される。ワキ方では進藤(廃絶)・福王2流が上掛り,春藤(廃絶)・宝生・高安(たかやす)(高安流)の3流が下掛りに属するので,ワキ方宝生流をとくに下掛り宝生流と称することがある。なお,同流名で異役籍の流派などについて,小鼓方観世流を観世新九郎流,太鼓方観世流を観世左吉流というように呼んで区別することがある。各流派にはそれぞれ家元があって流内を管理するたてまえだが,現在では家元のいない流派もある。

能は屋根のある専用の能舞台で演じられる。初期には舞台の後方に橋掛り(はしがかり)を付けるなど,現在と著しく違う形の能舞台もあったが,江戸時代には様式が固定した。能舞台は元来屋外に建造するもので,これと相対する別棟の建物を正規の観客席としたが,勧進能など大衆の入場する催しでは両者の中間にある白洲(しらす)をその席に当てた。しかし,おもだった能役者は自宅の屋内に稽古(けいこ)舞台を持っていたので,明治以後はそこで公開の催しを行うようになった。現在の能楽堂はこの稽古舞台が劇場化したものなので,江戸時代の正規の舞台と比べると橋掛りの付く角度が小さく,その長さもだいぶ短いなど,本舞台の様式以外はかなりの違いが見られる。本舞台は,京間(きようま)3間(19尺5寸=約6m)四方で,四隅の柱が屋根を支える。この本舞台の後方に横板(よこいた)(アト(後)座ともいう)と称する部分が付き,横板の左に橋掛りが付く。すべてヒノキ(檜)の白木造りで,正面奥壁の鏡板(かがみいた)に描かれた松,右側の壁面に描かれた竹のほかは装飾がまったくない。これは,最小の行動に最大の効果を期待する能の演出精神にふさわしい意匠である。

 床はきわめて平滑で,摺り足の歩行自体に表現を託する能の演技に応じている。本舞台の床面は正方形だが,実際の演技面積は縦長であり,歌舞伎舞台(舞台)の横長と対照的である。橋掛りは単なる登・退場路でなく,有効に利用されている。たとえば本舞台と橋掛りを別々の家とみなしたり(例《船弁慶》),本舞台を下界に,橋掛りを雲上に見立てたり(例《羽衣》)するとか,人物が橋掛りへ行って本舞台へ戻る間に場面が京都から琵琶湖に変わるとか(例《自然居士》)くふうされた演出が多い。能舞台には舞台装置を施さない。謡の詞章と音楽と役者の所作ですべてを描き出すのだが,無装置であることがかえって観客の想像を豊かにし,劇空間の広がりをもたらしているということができる。
能舞台

能の演目によっては,竹を主材とする簡素な意匠の道具を舞台に据えることがある。これを作り物と称する。作り物は単なる舞台装置として据えられるのではなく,別の効用を目的として出される。舞台の奥,囃子方の座の前に出される塚,宮,小屋などの作り物は引キマワシと称する幕で周囲を覆っておき,それを下ろすことによって,中に居る人物を静止の状態で出現させる。舞台の正面先に据える立木(たちき),井筒,鳥居,鐘楼などは,シテが松にすがるとか(例《松風》),井戸に姿を映すとか(例《井筒》)という重点の演技で効果を上げる。車,舟などを出すのは舞台面の転換を印象づけるためである(例《熊野》《船弁慶》)。その他,引立大宮(ひつたておおみや)の作り物は玉座として帝王の身分を表現するし(例《鶴亀》),正面先の一畳台は舞踊を立体的に盛り上げる(例《石橋》)。このように,作り物を出すにはそれぞれの演出目的があるのであって,一般の演劇の舞台装置とはその意味を異にしている。
作り物

能は仮面劇であるが,すべての役が面を掛けるのではない。まず霊体・準霊体(風流体)の役はすべて面を掛ける。現在体の場合は老体・女体の役は面を掛け,男体の役は面を掛けない。ただし例外はあって,盲人,喝食(かつしき)の役と,俊寛,盧生(ろせい),熊坂長範などの役は男体でも面を掛ける。化身体の役は,見かけは現在体という設定なのでそれに準ずるが,童子や怪士(あやかし)の面を掛けて尋常の者ではないことを示す化身体もある。これらの面使用の原則は南北朝時代にすでに定まっていたが,個々の面の種別はまだ大まかであり,完全に整備されたのは江戸時代中期である。能面は,その固有の表情のほかに,わずかに伏せたり左右に動かしたりすることによって微妙に表情を変える。そのように面を使い生かすのは演者の優れた技(わざ)によるのだが,面そのものにも細心のくふうが見られる。たとえば,若い女の面はひとみを四角にあけてある。これは,まぶたを見開いた形を避けたうえで,黒目がちな澄んだ目を求めた結果のくふうと考えられるのである。面は約35種あればすべての役を演ずることができるが,実際は60ないし70種の面が常用され,そのほかに変り型の面が多種類存在する。おもな面の種類は次のとおりである。

 (1)穏やかな常相の尉面(じようめん)(老体面)に,笑尉(わらいじよう),三光尉,小尉(こじよう)(小牛尉(こうしじよう))など。同じく男面に,喝食,邯鄲男,中将,十六(じゆうろく),平太(へいた),童子など。同じく女面に,小面(こおもて),孫次郎(まごじろう),若女(わかおんな),増(ぞう),深井(ふかい),曲見(しやくみ),姥(うば),老女など。(2)厳しい表情の尉面に,皺尉(しわじよう),石王尉(いしおうじよう)など。同じく男面に,怪士(あやかし),鷹(たか),瘦男(やせおとこ)など。同じく女面に,泥眼(でいがん),橋姫,瘦女(やせおんな),山姥(やまんば)など。(3)激しい異相の尉面に,悪尉(あくじよう)。同じく男面に,大癋見(おおべしみ),小癋見(こべしみ),大飛出(おおとびで),小飛出(ことびで),黒髭(くろひげ),顰(しかみ),獅子口(ししぐち),天神(てんじん)など。同じく女面に,般若(はんにや),蛇(じや)など。
能面

能装束は実生活の被服から出発して,しだいに舞台専用の形状と用法を備えるにいたったものである。たとえば公家の使用する狩衣(かりぎぬ)は,身ごろも袖も1幅半であるが,能装束では完全に2幅となっている。また長絹(ちようけん)は公家用の直垂(ひたたれ)から出たものであろうが,能ではさまざまな使用法をくふうしている。まず現在体の男体の役が上から腰帯を締めて着用するときは,公家や武将の日常服を意味する。女体の役はこれを上帯なしに羽織るように着て,霊体の宮廷女性や現在体の舞姫の装束に当てる。さらに公達(きんだち)の霊の役では,腰帯を締めて太刀を帯び,右肩を脱いでその袖を畳みこみ,武装の意味をもたせるなど独特の着用法を発達させている。これらの様式が現在の形に固定したのは,江戸時代中期と考えられる。次におもな能装束を挙げる。

 (1)小袖類(詰袖類) 唐織,厚板(あついた),縫箔(ぬいはく),摺箔(すりはく),熨斗目(のしめ)。これらはみな同型で,地質によって区分されている。(2)広袖類 狩衣,法被(はつぴ),長絹,水衣(みずごろも),舞衣(まいぎぬ),側次(そばつぎ)(これだけは袖がない)。(3)袴類 大口(おおくち),半切(はんぎり),指貫(さしぬき)。(4)裃類 直垂,素襖。これらの上着だけを大口の上に掛けて着ることもある。
能装束

能では,曲節を伴うフシの部分と,せりふに相当するコトバの部分を合わせて謡と称する。謡の楽型は,吟型とノリ型の二つの面から見ることができる。初めに吟型について述べる。まずフシの部分には,一定の音階と息扱い(発声法)が規範として存在する。これに二つの形式があって,ヨワ吟,ツヨ吟と称される。コトバの部分にはこのような規範がないが,まったく自由に唱えるのではなく,抑揚の付け方に型がある。これを不定吟と名付ければ,フシの部分は定吟ということになる。図1,2はヨワ吟とツヨ吟の基本音階だが,臨時的な音は省いてある。また謡は絶対音高を定めないので,図では相対的な音程を示してある。ヨワ吟には,このほかにサシ音階とクズシ音階がある。ツヨ吟では,上音と中音,下ノ中音と下音が図のように等高だが,〈歴史〉の項でも述べたとおり,江戸時代末期から明治時代にかけてこのようになったものである。ヨワ吟とツヨ吟の間には,音階の違いのほかに息扱いの違いがある。ヨワ吟の息扱いでは声に滑らかなビブラートが付くが,ツヨ吟の息扱いでは声が不規則に細かく上下動するので,音程を確定的にとらえにくい。図のツヨ吟音階はいくつかの理由に基づいて帰納的に決定した音階で,実際の演唱ではしばしばこれから離れた音として現れる。謡の旋律法はきわめて定型的である。たとえばヨワ吟では,上音から中音に直接下行することはなく,その途中でかならず上ウキ音を経過するが,中音から下音へは直接下行するなどの規範がある。ツヨ吟はおもに壮快・勇壮・厳粛といった趣のところに用いられ,脇能物の大部分,二番目物の末尾,五番目物の後場などは一般にツヨ吟である。これに対し,ヨワ吟は優美・温和・哀愁といった趣のところに用いられ,三番目物,二番目物の中の公達物,四番目物の女物はヨワ吟を主としており,二番目物,五番目物も,前場はヨワ吟の部分が多くを占める。

 次にノリ型について述べる。謡には,有拍リズムの拍子合(ひようしあい)の部分と,無拍リズムの拍子不合(ひようしあわず)の部分とがある。ただしコトバの部分は全部拍子不合であり,フシの部分は拍子合と拍子不合が半ばを分け合っている。拍子合のノリ型は,詩型と拍配置の関係に基づいて,平(ひら)ノリ,中(ちゆう)ノリ,大(おお)ノリの3種に分かれる。大ノリは1字1拍,中ノリは2字1拍の明快な拍配置をとっているのに対して,平ノリは3字目ごとにモチと称する延長部分を挿入して,七五調1句12字を8拍に当てはめる独特の拍配置をとっている。能の謡ではこれがもっとも普通のノリ型なので,平ノリと称するのである。総じて謡では,詩型と拍の関係を規定する拍律が整然としていて,その法則に基づく基礎的リズムを地拍子(じびようし)と称する(〈地拍子〉の項目に付したノリ型の譜を参照されたい)。大ノリ,中ノリの部分では,実際の演唱もほぼ地拍子どおりに行われる。しかし平ノリでは,演唱に際して地拍子上のモチの位置をずらしたり,モチを省いて拍間隔を縮めたり,逆に特定部分の拍間隔を伸ばしたりして変化に富むリズムを実現させる。このような変化の付けかたは,謡い手の即座の状況判断や表現感覚によって行われるものなので,どう謡われるかを前もって知り得ない。こうした即場性が能の大きな魅力のひとつなのである。なお,謡の詞章には字余リ・字足ラズの句が多いうえ,増シブシと称して生ミ字(母韻)を追加して謡うところが点在する。これらの場合の拍配置が,基準句の拍配置とどう違ってくるかということについて一定の法則がある。また,どのノリ型も,1句8拍の本地(ほんじ)と称する句を基本としているが,ほかに1句4拍のトリと称する句がまじり,まれには1句6拍の片地(かたじ)や1句2拍のオクリと称する句が置かれている。無拍である拍子不合の謡が大きな部分を占めるのも能の特色である。拍子不合の謡にも,淡々とした叙唱的リズムの部分と,漢詩や和歌の詠吟のように,声を長々と引き回して謡うリズムの部分と二つの型が認められ,前者をサシノリ,後者を詠ノリと名付けることができる。しかし拍が存在しないために,両者の中間のような趣の部分もあって,簡単には説明ができない。

 拍子合の各ノリ型の用途は,次のとおりである。大ノリは霊体の人物の登場の直後や,舞事(まいごと)(舞のための囃子事)の前後に多く用いる。中ノリは霊体の人物が修羅道,地獄道の苦しみを見せたり,恨みを述べて相手を責め立てたりするところに用い,また現在体の人物どうしの戦闘場面にも用いる。平ノリは大ノリ,中ノリ以外の拍子合謡の全部に用い,下歌(さげうた),上歌(あげうた),クセ,クルイ,ロンギなど能の中心となる重要な小段のほとんどを占める。

能には,小鼓(こつづみ),大鼓(おおつづみ),太鼓(たいこ)の4楽器を用いる。笛は,他種目用の管楽器と区別して呼ぶときには能管と称する。笛,小鼓,大鼓はすべての能に用いられ,演目によってはこれに太鼓を加える。演奏者はつねに1楽器1人である。太鼓を用いるのは非人間の霊体・準霊体をシテとする能,すなわち神,天仙,物の精,畜類,鬼などの能で,これを太鼓物と称する。霊体のシテの能でも,それが人間の霊であるものは,現在能とともに原則として打楽器は大鼓と小鼓で,これを大小物(だいしようもの)と称する。もっとも特定の小部分だけに太鼓を加える例がある。その部分とは,皇帝の登玉座(例《咸陽宮(かんにようきゆう)》),音楽的な仏事(例《実盛(さねもり)》),祭礼の行列(例《藤永(とうえい)》),唐人の奏舞(例《唐船(とうせん)》)などである。なお,太鼓物の能でも,シテが化身体でいる間の前場には太鼓を用いない。
大鼓 →小鼓 →太鼓 →能管
 打楽器の楽型には,並拍子(なみびようし),ノリ拍子,サシ拍子の3種の拍子型がある。並拍子は伸縮性の大きいリズムの拍子型で,同じく伸縮性の大きい平ノリ謡に合ワセ打チされるが,中ノリ謡にもこの拍子型を用いる。ノリ拍子は等拍性の強いリズムの拍子型で,同じく等拍性の強い大ノリ謡に合ワセ打チされるが,ほかに拍子不合謡のアシライ打チ(アシライ)にも用いる。後者の場合,無拍の謡と,拍の明瞭な打楽器のノリ拍子とが重なって進行するので著しい複リズム効果が生じ,そこに能に独特の音楽空間が見られる。サシ拍子は拍の感覚をわざと不明確にぼやかすリズムの拍子型で,謡の伴奏としてはつねに拍子不合謡のアシライ打チとされる。以上を謡の側から見て整理すると,平ノリ謡・中ノリ謡には並拍子,大ノリ謡にはノリ拍子の合ワセ打チがかならず行われるが,拍子不合謡には,ノリ拍子のアシライ打チがある場合,サシ拍子のアシライ打チがある場合,無伴奏の場合と,三つの形式が見られるのである。器楽のみの演奏である囃子事の小段は,打楽器がノリ拍子を奏するものが大部分で,ほかにサシ拍子を奏するものが少数あるが,並拍子のものはまったくない。なお,以上3種の拍子型のほかに,来序(らいじよ),乱序(らんじよ),乱拍子(らんびようし)など,その囃子事独自の特殊な拍子型を用いるものが数例ある。

 笛の楽型は,拍子型と調型(ちようがた)の2面から考えられる。拍子型には,合ワセ吹キ用のノリ拍子,渡り拍子,アシライ吹キ用のアシライ拍子の3種がある。前2者は囃子事にのみ用い,この場合打楽器の拍子型はノリ拍子である。アシライ拍子は,謡の伴奏にも囃子事にも用いられる。謡の伴奏の笛は,謡が拍子合であるか拍子不合であるかに関係なく,つねにアシライ吹キで,謡の拍に合わせて拍を刻んで吹くということがまったくない。笛のもう一つの楽型である調型は,各句の旋律がどの指使いの音に帰結するかによって定まる楽型で,これに黄鐘基調(おうしききちよう)と盤渉(ばんしき)基調がある。前者が広く用いられる基本的な調型で,後者は変化をもたせて音高を高くとる調型である。盤渉基調は,囃子事の盤渉序ノ舞,盤渉楽(ばんしきがく),乱レ,早笛(はやふえ),大ベシなどに用いられる。以上2種の調型のほかに,双調(そうぢよう)基調などの特殊な調型が存在する。なお,調型の名称には黄鐘盤渉といった雅楽の音名が用いられているが,能の場合は絶対音高を示すものではなく,笛の流派ごとの指使いの名で,同じ名称でも流派によってその指使いが違っていたりする。

能の演技様式を他の演劇と比較してみると,顕著な特色をいくつも数えることができる。大きくとらえれば,せりふと歌が一体となって謡を形成していること,劇技と舞踊技が一体となって所作を形成していることがその基本的な特色である。さらに仮面役と直面役(ひためんやく)が同時に舞台に立つために,顔で演技をしないとか,いっさいの履物を排して白足袋摺り足の歩行で演技を統一することなども,能のいちじるしい特色といえよう。謡については別項で述べたので所作についていうと,たとえば泣く演技は,手で涙を抑える〈シオリ〉と称する所作で表現するか,顔をうつむける〈面(おもて)ヲ伏セル〉と称する所作で表現する。天を仰いで涙をこらえるとか,こぶしで目をこするとかいう演技は能にはまったく存在しない。これは,演技を舞踊的統一のもとに行うために,おのずから所作が定型化し,様式化した結果である。このように定型化された所作の単位,つまり所作単元を組み合わせることによって,能の劇技と舞踊技が成り立っているのである。所作単元の種類は数え方にもよるが,細かく見ると約250種に及ぶ。その中にはシオリのように意味が特定された所作も多いが,基本的な所作単元である〈シカケ〉〈ヒラキ〉〈スミトリ〉(〈角トリ〉)などは,それ自身特定の意味を備えてはいない。たとえばヒラキという所作は,足を3足引きながら両腕を左右へ張る動きなのだが,それによって怒り,喜び,勇躍,落胆などさまざまな表現ができる。《江口》でシテの遊女が菩薩に変身するというところでヒラキを行う流派では,とくに〈仏体ノヒラキ〉と名付けているほど表現力に富む所作単元である。むろん,舞踊的な動きの中で意味づけなしにヒラキを用いることはきわめて多いし,一連の動きのつなぎにヒラキをはさむ例も多い。このような無定義的所作単元,言い換えれば多義的所作単元が基礎となっているので,能の劇的表現は豊かなのである。表2は所作単元の例であるが,この分類も絶対的なものではない。

 このような所作のさらに基礎となるのが,〈カマエ〉と〈ハコビ〉である。まず,なにごともなく直立したときの身の構えかたが,能を演ずる姿勢の基本で,これをカマエと称する。このとき,一般にやや前に傾いた姿勢をとる。ただし腰を折って前屈するのではない。背筋を伸ばしたまま重心を前にかけるのだから,そのままでは安定しない。そこで,腰を焦点にして後ろへ引き付ける力を加えて安定をとる。外見上静止しているように見えるその体には,前へかかる力と,後ろへ引き付ける力のプラス・マイナスの均衡があり,そこに能の美のもっとも大きな要素である充実感と安定感が生まれる。すべての所作はこのカマエから出発し,このカマエに帰結するのである。カマエの均衡は各演者の自得の結果であり,普遍的な規範では律しきれないが,しっかりしたカマエなしには所作が生きてこないことはまちがいない。

 ハコビは歩行の基礎で,能の演技の根本といえる。ハコビは床に足の裏をぴたりと付け,摺り足で運歩する。どんなに早く動き回るときでも,この原則は変わらない。運びは基本的には滑らかでなければならない。左足が止まったときにはもう右足を踏み出すというようにして,体全体を腰でまとめ,1枚の重い板を車で押し進めるように移動して行く。そのハコビの歩幅・速さ・加速度・強弱などによって,舞踊的リズムが生まれ,役の性格が描かれ,劇技表現も行われる。一足前へ出ることで決意を示すとか,後退することで落胆をあらわすとかいう例も多い。悲しみの表現として,シオリと面ヲ伏セル所作単元を先に挙げたが,もっとも能的な表現は1,2足退くその足に感情を盛り込むことである。極端にいえば,顔や手などの上半身は動かさないでも能一番を舞いとおすことができる。能は本質的には歩行の芸術であり,足袋以外の履物を用いないのもまったくそのためである。

能には,首尾完全な奏演方式のほかに,多くの省略方式があり,以下に示す。(1)袴能(はかまのう) 装束をつけずに紋服で演ずる。(2)半能(はんのう) 一曲の後場だけを演ずる。(3)番囃子(ばんばやし) 紋服等で座したまま全曲を奏する。(4)居囃子(いばやし) 同じく座したまま主要部分(主としてクセや舞事を中心にした部分)を奏する。(5)舞囃子(まいばやし) 居囃子とほぼ同じ部分を奏し,シテ1人だけが紋服等で舞う。その部分にワキ,ツレなどの謡があるときは,地謡の1人が代わって謡う。(6)素囃子(すばやし) 囃子方だけで囃子事を奏する。(7)素謡(すうたい) 座したまま,囃子なしに全曲を謡う。(8)独吟,連吟 座してクセ,ノリ地などの謡いどころを謡う。1人のときは独吟,2人以上だと連吟という。連吟ではロンギなどの部分を役を分けて謡うこともある。(9)小謡(こうたい) 上歌などの短い部分を,儀礼的な意味で謡う。(10)仕舞 クセ,クルイ,ノリ地などの舞いどころを,囃子なしに紋服等で舞う。(11)一管(いつかん) 笛1人で囃子事を変奏する。(12)一調(いつちよう) 打楽器1人と謡1人で打楽器の聞かせどころを変奏する。(13)一調一声(いつちよういつせい) 特殊な一調である。(14)無謡一調(むよういつちよう) 打楽器1人だけで囃子事を変奏する。特殊な場合のほか行われない。(15)一調一管 笛,打楽器,謡各1人で,囃子事を中心に変奏する。なお,謡なしに囃子事だけを演奏する一調一管もある。

能の上演は多くの場合シテ方の主催で行われる。主催者自身が能楽堂を所有している場合もあるが,そうでないときは,しかるべき能楽堂を借り受け,予定の番組にしたがって三役(ワキ方,狂言方,囃子方をいう)と契約するなど,諸般の準備をして開演の運びとなる。能楽堂が能役者の邸内の稽古舞台から出発したことはすでに述べたが,演能会の始まりもそれと同様である。江戸時代の能役者は,一門のための稽古能を定期的に行っていたようだが,それが有料公開の催しとなったのが現在の定期能の始まりである。こうしてうちわの集りから出発した会であるために,現在でも観客の大部分が出演者のしろうと弟子である演能会が多く,そうした会では番組に新鮮さを欠くうらみがある。しかし事情は刻々と変わりつつあり,観客層を広げて,謡愛好者以外の一般の人々に見てもらおうという会も年々増えてきている。主催者も,家元たちやそれに準ずる有力シテ方というのではなしに,能役者個人が,自己の芸の魅力を世に問う目的で年1,2回の会を催すという形がかなり目だつようになり,またそうした会に佳作が多い。さらに観客側の立場で主催する会も,数は少ないが長く続くようになった。1983年秋,東京に国立能楽堂が開場したのも,演能会のあり方に刺激を与えたといってよいであろう。国立能楽堂は特殊法人である国立劇場が運営する能楽堂で,流派を超えた番組づくりによる自主公演を月数回定期的に開催している。

 こうして徐々に高まってきた新しい機運を受けて,新演出による演能,新作能の試み,廃絶演目の復活上演などが毎年数回かならず見られるようになり,現代演劇や現代音楽,現代舞踊との交流・共演もそれほど珍しいことではなくなってきた。南北朝時代以来,650年の伝統をもつ能も,ひとつの節目を迎えようとしているのかもしれない。
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百科事典マイペディア 「能」の意味・わかりやすい解説

能【のう】

日本の伝統演劇の一つ。狂言を含めて能楽と呼ばれる。斉唱団(地謡)と囃子(はやし)(能管,小鼓,大鼓各1と曲によって太鼓)を用い,謡いつつ舞う一種の歌舞劇。装置はほとんど用いず,精巧な能面と豪華な能装束による内面的・象徴的演技を特徴とする。かつて猿楽の能と呼ばれ,猿楽に鎌倉時代の歌謡・舞曲の要素が加わったものとされる。南北朝から室町時代にかけて多くの猿楽の座が活躍,観阿弥世阿弥父子が出て先行諸芸能の長所を吸収し,将軍足利義満の保護のもとに能を芸術的に大成した。興福寺に属した大和猿楽の4座(観世流金春(こんぱる)流金剛流宝生(ほうしょう)流)は優勢で,江戸時代には新たに興った喜多流を加えて幕府の式楽として保護され,技術面に洗練を重ねた。能の脚本は現行約250曲あり,おもな作者は観阿弥,世阿弥,観世元雅金春禅竹観世信光ら5世代にわたる能役者自身である。上演時間は30〜160分。内容的には,幽霊などの現れる夢幻能と,現実の人間の世界に取材した現在能とに大別され,回想形式による主役(シテ)中心主義の傾向が強い。1日の演目の取合せによって,初番目物(脇能物),二番目物(修羅(しゅら)物),三番目物(鬘(かつら)物),四番目物(初,二,三,五番目以外の能),切能物(鬼や猛将や畜類を描いた能)に分類され,構成や演出には様式性が強い。明治以降には新作能,新演出も現れたが主流とはなっていない。能楽師は家元制度による専門職で,現在シテ方5流,ワキ方3流,狂言方2流,囃子方14流がある。2001年ユネスコの〈人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言〉リストに登録された。
→関連項目演劇歌舞伎観世寿夫観世栄夫戯曲京劇序破急能勢朝次無形文化遺産保護条約大和猿楽横道万里雄

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知恵蔵 「能」の解説

伝統芸能である歌舞劇の1つ。源流は、上古時代に大陸からもたらされた曲技やものまねを中心にした散楽で、平安時代には猿楽といわれた。能の古い形を残す「翁」を上演する座が鎌倉時代に結成され、猿楽者が務めた。室町時代に観阿弥・世阿弥の天才親子が演劇的な現在の能を完成させたことから、この時代を「能楽元年」ともいう。演技はシテと呼ばれる主役中心主義で、人間や幽霊、神、草花の精などを演じる。シテ方には金春、金剛、宝生、観世の4座と喜多の1流がある。シテの相手をするのがワキで、面をつけずに生きている男を演じて物語を進行させる。シテとワキの従者をそれぞれツレ、ワキツレという。狂言の役者が能に出演するときにはアイと呼ばれる。能舞台は3間(約6m)四方の正方形の本舞台に橋掛かりがつく。霊が登場して過去を物語る夢幻能では橋掛かりがあの世と現世をつなぐ役割を果たす。今でも上演される現行曲は約240曲。近年は復活や新作の試みが盛ん。今の上演スタイルは能と狂言を簡略にした組み合わせだが、伝統的には「翁」を先頭にして5番立てにした。主人公は順番に神・男・女・狂・鬼。別名は「脇能物」「修羅物」「鬘物」「雑能物」「切能物」。3番目の「鬘物」が女中心の美の世界で最大の見せ場。音楽の比重が高く、8人のコーラスによる地謡(じうたい)がドラマの情景描写やせりふを謡う。楽器は笛、小鼓、大鼓、太鼓の4種類だけで四拍子と総称される。2001年5月、狂言と共にユネスコの「人類の口承および無形遺産の傑作」と宣言された。

(山本健一 演劇評論家 / 2007年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「能」の意味・わかりやすい解説


のう

日本の古典芸能。橋懸りという独特な構造の舞台で,地謡の合唱と囃子方の伴奏で舞う歌舞劇。平安時代に発生した猿楽が,鎌倉時代に猿楽の能と呼ばれるようになり,室町時代に足利義満の庇護のもとに観阿弥世阿弥父子によって大成された。主演者をシテ,助演者をワキといい,曲目によっては数人の出演者(シテヅレ,ワキヅレ)が登場する。シテは面(→能面)をつけることが多い。夢幻能現在物に大別される。また神,男,女,狂,鬼の五つに分類され,上演順位が定められている。江戸時代以来,このような五番立の番組を正式とし,能と能との間には狂言を上演したが,今日では狂言 1番,能 1番でも上演される。現行曲は約 240曲。1957年国の重要無形文化財に指定。2008年狂言とともに世界無形遺産に登録された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「能」の解説


のう

能楽とも。鎌倉末期頃にうまれ現在も演じられている劇形態の芸能。平安時代以来の即興的な滑稽芸である猿楽を母体にうまれた。江戸時代までは能を猿楽ともよんでいた。成立の過程は不明だが,猿楽本来の性格は狂言に継承されている。能は畿内の座を中心に演じられていたが,大和猿楽観世座の世阿弥(ぜあみ)が足利将軍の愛顧をうけてから,大和猿楽とくに観世座が能界の主動的存在となる。室町末期には丹波や近江の猿楽座は大和猿楽四座に吸収されて消滅し,江戸時代には大和四座(のち喜多流が加わり5座)が幕府お抱えとなる。上方をはじめ全国に幕府お抱えではない役者も数多くいて,庶民が能に接する機会はかなり多かった。能が新作されていたのは室町後期頃までで,およそ500番ほどが作られた。能の作者は役者自身で,能柄も多様だが,夢幻能という形式で佳作を多く作った世阿弥の業績が傑出している。

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旺文社日本史事典 三訂版 「能」の解説


のう

室町時代に大成された演劇
謡・舞・囃子から構成される総合芸術で,日本最初の演劇形態。雑芸 (ぞうげい) を含んだ平安時代の猿楽から,鎌倉時代に猿楽の能が,田楽 (でんがく) から田楽の能がおこる。室町時代初めごろ,春日神社奉仕の大和猿楽の四座の一つ結崎 (ゆうさき) 座の観阿弥が田楽師一忠・女曲舞 (おんなくせまい) 師乙鶴から学び総合し,子世阿弥がそれに「幽玄」を加え大成した。足利・徳川将軍家が式楽として保護。出し物は脇能(神物)・修羅物など5種350番。現在,観世・宝生 (ほうしよう) ・金剛・喜多・金春 (こんぱる) の各流がある。

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日本文化いろは事典 「能」の解説

日本芸能の一種目。 通常は猿楽能〔さるがくのう〕を指します。能専用の屋根のある舞台上で、シテと呼ばれる俳優が歌い舞う音楽劇です。伴奏は地謡〔じうたい〕と囃子〔はやし〕で構成されています。能面と呼ばれる仮面を使用する点が一番の特徴で、歌舞伎に次いで、世界的に知られている日本の舞台芸術です。

出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【演劇】より

…《西国立志編》の〈演劇〉が小説や詩に対比して舞台芸術全般を指すのに対し,式亭三馬の〈演劇〉は歌舞伎であり,教部省布達を受けた〈演劇改良運動〉の対象も歌舞伎であった。つまり演劇ということばは,日本の舞台芸術の近代化=西洋化の内部では,西洋近代型演劇をモデルに歌舞伎を改良する企てと結びついて用いられたために,たとえばは演劇ではないとする主張が能の側からなされたりもした。そのうえで,〈劇〉という漢字が虎と豕(いのしし)が闘う表意から〈はげしい〉の意をもつため,日本語の言語感覚としては〈激しい対立・葛藤を演ずること〉という読みかえが暗黙のうちに行われていて,それがおそらく,多数の人々の語感のなかで,西洋演劇のある種のものに照応する結果にもなったのである。…

【芸能】より

…音楽,舞踊,演劇,演芸などの類がそれである。これらは時と場所を限定した瞬時の演技演奏によって表され,それがただちに消滅するので瞬間芸術ともよばれるが,近代には録画,録音の機械技術が発達し,映画,テレビ,ラジオ,レコードなどの媒体を通しての作品をも芸能とよぶようになった。
[芸能の意味の変遷]
 芸能は元来,芸と能の熟語であった。…

【詩劇】より

…演劇の母体が祈禱(朗誦)や舞踊を伴った宗教的祭儀,つまりリズミカルな音声言語の語られる場にあったことを思えば,これは当然といえよう。ディオニュソス祭儀に由来するギリシア悲劇(ギリシア演劇)も,中世キリスト教会の神事の展開としての聖史劇,秘跡劇も,そして寺社に所属して祭礼のおりに芸を演じた猿楽師たちの後身である観阿弥,世阿弥の能も,すべて詩劇である。散文が演劇の主たる言語になるのは,西欧近代以後のことである。…

【日本音楽】より

…つまり,洋楽系の日本人の音楽は,〈日本の音楽〉というが,〈日本音楽〉とはいわないという考え方である。 この〈日本音楽〉には,いわゆる邦楽のほかに,民謡,童歌(わらべうた),民俗芸能の音楽などの民俗音楽や唱歌(しようか),軍歌,童謡,歌謡曲なども含まれることがある。このうち,民俗音楽は広義の〈邦楽〉に入れることもあるが,唱歌,軍歌,歌謡曲などは〈邦楽〉には入れないのが普通であるだけではなく,後述のように洋楽に扱うこともある。…

【能面】より

…能楽に用いられる仮面(面(おもて))をいうが,その先行芸能である猿楽田楽に用いられた仮面をも含むのが普通である。たとえば翁舞に用いられた翁(おきな)面,三番叟(さんばそう),父尉(ちちのじよう),延命冠者(えんめいかじや)は鎌倉時代にその形制を確立して,そのまま能面に継承された。…

【発声】より

…(2)支え これはオルガンのふいごのような働きをするもので,呼吸筋全体を随意に使って呼気圧を調節する。さらに呼気圧を正常より上げて頭声の共鳴にかかりやすい高周波成分の多い声帯の振動モードをつくること,喉の開きを助けることも,支えの重要な機能である。(3)共鳴 声帯の振動によって得られた声音そのものは小さいため,共鳴によってよく通る美しい音色を形成しなければならない。…

【舞】より

…沖縄県島尻郡の久高(くだか)島で12年に一度,午の年に,5日間にわたって行われる入巫式イザイホーは,今もなお,舞の原形態をとどめており,また,小児遊戯の〈かごめかごめ〉は,神がかりの舞がぼやけて残った姿だといわれている。舞はこのような性格のものであったから,それが芸能化されてからも,声聞師(しようもじ)などの呪術芸能者が担当した。 舞は踊りと違って,かなり早い時期に芸能化され,古代,中世を通じて,日本舞踊史の主流をなした。…

【民俗芸能】より

…民族それぞれの社会生活の中で,住民みずからが演者となって伝承してきたきわめて地域性の濃い演劇,舞踊,音楽の類をいう。いずれも,地域の生活・風土と結びついて伝承されるものだけに郷土色が濃く,そのため日本では郷土芸能,郷土芸術などと呼ばれる。この種の芸能は世界のどの民族にも存在するが,欧米のような,墨守よりも創造に情熱をかける国々では,いわゆるフォークダンスのようなものも自由に編作・創作の手が加えられて,昔ながらの伝統を残すものが少なくなっている。…

※「能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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