保津村清蔵(読み)ほづむら・せいぞう

朝日日本歴史人物事典 「保津村清蔵」の解説

保津村清蔵

生年生没年不詳
天明1(1781)年から7年にかけて丹波国で起きた村方騒動と百姓一揆首謀者のひとり。南桑田郡(京都府亀岡市)南保津村の小百姓。天明1年,賃上げと待遇改善を求める女子奉公人に集会の場を提供し,翌2年2月には五苗と呼ばれる特権的な地侍集団との間の争論総代を務め,8月には保津川筏流しにたずさわる差子の代表のひとりとして,新問屋の設置と運賃値上げを求める交渉の先頭に立った。さらに7年11月,酒造制限令遵守を求めて口丹波一帯の酒屋を襲った一揆にも加わり,入牢の処分を受けた。<参考文献>井ケ田良治『近世村落の身分構造』

(藪田貫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「保津村清蔵」の解説

保津村清蔵 ほづむら-せいぞう

?-? 江戸時代中期の農民
丹波桑田郡南保津村(京都府亀岡市)の人。天明元年(1781)女子奉公人の給米引き上げ・待遇改善要求に協力し,翌年保津川筏(いかだ)流しの差子の運賃引き上げ要求の交渉代表をつとめた。7年には口丹波の酒屋をおそった百姓一揆(いっき)にくわわり,入獄。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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