八街市(読み)ヤチマタシ

デジタル大辞泉 「八街市」の意味・読み・例文・類語

やちまた‐し【八街市】

八街

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日本歴史地名大系 「八街市」の解説

八街市
やちまたし

面積:七四・八七平方キロ

県の中央部北寄りに位置し、東は山武さんぶ山武町・東金とうがね市、南は東金市、西は千葉市・佐倉市、北は印旛いんば酒々井しすい町・富里とみさと町。市域は県北部の下総台地の一角を占める洪積台地で、鹿島かしま川・高崎たかさき川・作田さくた川に注ぐ支流水源となっている。鹿島川支流は佐倉市へ、高崎川支流は酒々井町へ、作田川支流は東金市へ注ぎ、当市の位置する台地は北西側の印旛沼低地と南東側の九十九里平野の分水界でもある。おもな道路は市域東部を北から南に貫通する国道四〇九号をはじめ、主要地方道の千葉―八街―横芝よこしぱ線、千葉―川上かわかみ―八街線、八街―三里塚さんりづか線、八街―八日市場ようかいちば線、成東なるとう―酒々井線などがある。南端を国道一二六号が通るが、市域を通過する距離はわずか一・三キロである。鉄道はJR総武本線が北西から南東に通過し、榎戸えのきど駅・八街駅が設けられている。市域の村は近世に印旛郡に属した。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡は二ヵ所あり、その一つ住野すみの遺跡からは切出形石器と掻器が出土している。縄文時代になると鹿島川支流と高崎川支流の両岸に遺跡が点在し、なかでも早期(二四ヵ所)と中期(三〇ヵ所)のものが多く、大関大曲おおせきおおまがり遺跡・鴫山しぎやま遺跡などがある。弥生時代は当地が水稲に適さない自然環境のためか遺跡はごく少なく、わずかに後期の藤株ふじかぶ遺跡がわかっている程度である。古墳時代の遺跡も少なく、うちだい古墳群・新地台あらちだい古墳群が規模としては大きいほうである。奈良時代・平安時代になると遺跡数は増加していく傾向がみられ、特筆すべきものには昭和四二年(一九六七)滝台たきだいから出土した「山辺郡印」と刻んだ奈良時代の銅印(文化庁保管)があり、国の重要文化財に指定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八街市」の意味・わかりやすい解説

八街〔市〕
やちまた

千葉県中部,下総台地上にある市。 1992年市制。台地の中央部にあって開発が遅れ,江戸時代は幕府の野馬放牧地,佐倉七牧の一部。明治以後は士族救済のための開墾事業が進み,集落が成立したが,その後,開拓者の大部分は転職し,埼玉,東京など近在からの新移住者によって発展。県の代表的畑作地帯で,ラッカセイをはじめ,野菜栽培,畜産が盛ん。日本有数のラッカセイ生産の中心地で,中心地区の八街にはラッカセイの加工工場のほか各種工場も立地している。近年,JR総武本線の沿線に住宅団地が建設されて京葉方面への通勤者がふえ,さらに宅地化が進んでいる。面積 74.94km2。人口 6万7455(2020)。

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