分収制林業(読み)ぶんしゅうせいりんぎょう

改訂新版 世界大百科事典 「分収制林業」の意味・わかりやすい解説

分収制林業 (ぶんしゅうせいりんぎょう)

林地所有者と植林者とが異なり,収益両者で分け合う方式林業をいう。18世紀ころから全国各地に生まれ,取分林(とりわけばやし)(津軽藩),植立林(うえたてばやし)(秋田藩),二部一山(にぶいちやま)(福岡藩)などと呼ばれたものがそれで,東北地方と九州地方南部に比較的多くみられた。これらの分収制林業は,藩の管理する山に主として農民などが植林し,収益を藩と植主とが7対3とか2対1とかの割合で分け合った。初期のころは藩の取り分が多く,後期では植主の取り分が多かった例(秋田藩)もみられ,おおむね植林奨励策として推進された。明治維新後,藩の管理していた山の多くは官林(後の国有林)となり,藩と植主との関係は国と植主との関係に変わり,呼称も〈部分林〉と統一された。1878年の〈部分林仕付条例〉は,これら分収林に対する最初の管理規則である。99年には〈部分林規則〉が定められた。部分林の新設はできるだけ制限するのが国有林の方針であったが,後には逆に部分林設定が積極的に進められている。とくに国有林の解放運動が盛んとなった第2次大戦後は国有林の活用が推進されるようになった。1978年以降進められている国有林経営改善対策でも部分林の活用はよりいっそう推進されている。スギヒノキなどの針葉樹用材樹種を主とした部分林のほかに,ウルシ部分林,キリ部分林などが生まれているのも最近の特徴である。分収制林業は部分林として展開していっただけでなく,県行造林市町村や個人等の所有地に県が植林),市町村行造林(個人や団体等の所有地に市町村が植林)として全国的に行われている。とくに県行造林は公有林野に対する造林政策の一環として明治30年代の後半から広く行われた。森林開発公団(2003年より緑資源機構)による造林(公団造林)や各府県の造林公社,林業公社による造林(公社造林)など,最近では水源林地域の森林造成が分収制によって推進されているのが特徴である。水源林地域は奥地山村地帯にあり,人口が過疎状態で造林投資する者も少ないため,森林開発公団や造林公社が植主となって,市町村有林や個人有林に植林し,水源林の造成が図られている(〈水源涵養林〉の項参照)。公団造林は国の造林資金,公社造林は県や市町村の造林資金による造林であり,個人の資金による私営造林が急減した1970年代以降は造林推進の主役となっている。最近では国民が広く造林事業に参加できる道も開かれてきた。特定分収林のように,村有林の一部をその村の出身者で村外に住む人を対象として出資を求め,村と出資者との分収制により森林の保護,管理,育成を図る方式もこの一つである。国有林野事業の一つとして84年度から始まった緑のオーナー制度のように,一般都市住民が出資して森林造成に参加する方式もこの例である。
林業
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