加藤万治(読み)かとう・かずはる

朝日日本歴史人物事典 「加藤万治」の解説

加藤万治

没年:昭和7.7.9(1932)
生年:安政2.6.14(1855.7.27)
フレンド(クエーカー)派伝道者,平和運動家。越中(富山県)黒部の酒造家に生まれる。東京赤坂のW.N.ホイットニーから医学を学ぶうちメソジスト教会キリスト教入信,のちフレンド派に移る。農村医療伝道を志し,明治29(1896)年以降水戸に定住,禁酒運動などを展開し,伝道と社会実践に生涯を捧げた。同25年には北村透谷と共に日本最初の平和運動雑誌『平和』の発行兼編集者となり,「日本平和会」の創設に尽力した。<参考文献>佐々木敏二「明治20年代の平和運動①―日本平和会書記加藤万治小論」(『キリスト教社会問題研究』30号)

(原誠)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤万治」の解説

加藤万治 かとう-かずはる

1855-1932 明治-大正時代のキリスト教伝道師。
安政2年6月14日生まれ。メソジスト教会で入信し,のちフレンド派(クエーカー)にうつる。W.N.ホイットニーに医学をまなぶかたわら,明治22年(1889)北村透谷らと日本平和会を設立し,雑誌「平和」を発行。農村医療伝道をめざし,29年以降水戸に定住して禁酒運動などを展開した。昭和7年7月9日死去。78歳。越中(富山県)出身

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