翻訳|Quaker
17世紀イングランド,ピューリタン革命の中で発生したピューリタン的プロテスタントの一派。クエーカーという名前は,1650年治安判事ベネットが,この派の開祖G.フォックスの説く神の言(ことば)に震えさせられたことから,ベネットによってつけられたあだ名といわれる。しかしクエーカーたちは彼らの集会で霊的経験をしたとき震えることからこの名を認めている。今日(1800年ごろ以降),この派の人々はむしろ自己を〈友会Society of Friends〉と呼んでいる。また〈基督友会〉〈フレンド派〉との呼称も使われる。
フォックスは,1643年以後4年間の求道と5年間の伝道(その間2回投獄)のあと,イングランド西北部に行きそこでクエーカー運動を開始した(1652)。それは当時政治運動と化していったピューリタン主流と異なり,静寂の中で神を待ちのぞみ深く内面的な体験によって〈内なる光〉を感受し,そこに救済を見いだすことを目ざすものであった。いっさいの伝統的外枠をとり除き,霊的な境地において真理をとらえる,というスピリチュアリズムは,革命とそれに対する反動の嵐をのりこえて広まり,アメリカにも多くの帰依者をもつようになった。ペンシルベニア州の設立者W.ペンもクエーカーである。日本でも新渡戸稲造がこの流れにつらなることによって,たとえば前田多聞など少数ではあるがすぐれた人物がこの派に属している。なお学校としては普連土(フレンド)学園がある。クエーカーは今日では平和主義者として知られ,また内面的宗教的経験と社会的関心との独特な結合は,奴隷制反対や精神障害者保護や刑務所改善などにあらわれている。
執筆者:大木 英夫
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プロテスタントの一派。別名フレンド派。一般に日本では「キリスト友会」とよばれる。17世紀のイギリスの急進的ピューリタンの神秘主義に端を発する。信者たちが、自己の信仰を肉体の震動によって表現したため、この名がある。創始者ジョージ・フォックスは、既成の宗教に満足できず、さまよい、ついに1647年神の声を聞く。以後、布教活動に専念。おもにバプティストや独立派から信者を獲得した。彼は、魂の新しい時代について説教し、人々に「内なる光」に基づく宗教生活を勧めた。同派は、聖霊に関する教義に注目し、神と人間の魂との密接な関係によってもたらされる回心を、なによりも重視する。以前より、この教義を主張する者は、聖霊主義者として異端のレッテルを貼(は)られた。マサチューセッツのアン・ハッチンソンの場合は、その一例である。静かに聖霊を待つ彼らにとって、聖書は、聖霊ほど重要性をもたず、同様に、秘蹟(ひせき)も捨て去るべきものであった。
クェーカーの教義は危険思想とみなされ、彼らは長い迫害の歴史をたどった。国家転覆、不敬、税金滞納、徴兵拒否など、彼らの行動は反社会的であるとして、罰金、入牢(にゅうろう)、外国追放を科せられた。アメリカでも迫害されたが、しだいにロード・アイランド、ペンシルベニアが彼らの避難地となる。クェーカーは、社会改革のための原動力となり、奴隷制反対運動などに影響を与えた。わが国には1885年(明治18)初めて伝えられた。
[野村文子]
17世紀イングランドでジョージ・フォックスを創始者として発足したキリスト教徒たち「フレンド派」の俗称。正式な日本語名は基督友会。イエス・キリストを信じることで救いを得られるのは人のなかで神の「内なる力」が働いているからだと考え,牧師を置かず礼拝集会も無形式である。異端者としてイギリスで迫害されたが,ウィリアム・ペンがイギリス王に願い出てクエーカーが信仰の自由を保持できる植民地を建設する特許状を与えられたので,ペンシルヴェニアには多くのクエーカーが移住した。クエーカーは社会問題に関心が強く,平和主義に徹することで知られる。
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「クェーカー教徒」のページをご覧ください。
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…しかし教派が自由に発達したアメリカでは,逆に世俗社会の多様な要求に従って立てられる分派なり非歴史的集団としてのデノミネーションも多数生じた。 近代の重要な教派としては,すでにあげた長老派と会衆派のほか,バプティスト,クエーカー(基督(キリスト)友会),メソディストがあげられる。バプティストとクエーカーはそれぞれに内的神秘的生命を重んじ(再洗礼派とバプティストとの連関は否めない),制度をきらって教会の外に出て,積極的に伝道を行うほか,良心の自由と平和を社会的にも実現しようと努めた。…
…しかし,労働者の朝食にも紅茶が定着しはじめて砂糖の消費が増加すると,賃金の切下げを望む産業資本家層は,国際的にみて高価なイギリス領西インド諸島産砂糖による市場の独占を打破すべく,奴隷貿易の廃止を訴えはじめる。また,クエーカー教徒などによる宗教的理由による反対論も強まる。結局,T.クラークソンとW.ウィルバーフォースの活動が実って奴隷貿易が廃止されたのは,1807年のことであった。…
…しかし以上のうち,とくに第1と第3の用語の区別は厳密ではなく,日本では3者の総称として,非国教徒の語が一般に用いられる。16~17世紀に誕生した非国教徒には,長老派教会,会衆派教会(組合教会ともいう),バプティスト,クエーカー(基督友会)などがあり,そのうち長老派は非遵奉派,バプティストとクエーカーは分離派のタイプに属し,会衆派は二つのタイプの中間的な存在であった。18世紀以降には,あらたにメソディストやユニテリアンが加わった。…
…基督友会(フレンド派),いわゆるクエーカー派の創始者。イギリスに生まれ,高い教育は受けなかったが深い宗教的感受性の持主で,当時の制度的な教会にあきたらず,苦悩と放浪の生活を送った。…
…本来は,信仰にもとづいて戦争に反対し,兵役に就くこと,あるいは兵役に服しても戦闘業務に就くことなどを拒む行為を指し,その人をconscientious objector(略してC.O.)という。アメリカには古くからあり,クエーカーのように信仰上の理由によると確認されたものは重労働による国家への奉仕を兵役に代えることが認められていた。しかし近年では,広く個人の良心に発する兵役拒否や戦闘業務拒否をも指すようになっている。…
※「クエーカー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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