安成貞雄(読み)やすなり・さだお

朝日日本歴史人物事典 「安成貞雄」の解説

安成貞雄

没年:大正13.7.23(1924)
生年明治18.4.2(1885)
大正時代評論家。秋田県生まれ。早稲田大学英文科卒。大正三奇人のひとりとして,酒,コカイン,ヨタリストなどの言葉が連想されるが,大館中学時代は俳句頭角を現し(号路台),早稲田社会学会に属して平民社に出入りし,『火鞭』の同人であり,『近代思想』『新社会』などにかかわった犀利な批評家,翻訳家でもあった。しかし,職は各新聞社,実業之世界社などを転々とし,旺盛な読書力と優れた英語力をもって「学東西に亘り,識古今を貫き」と称したほどであったが,その才を生かしきれず終わった。主著『文壇与太話』。親友荒畑寒村の『悪友行状記』がよくその面影を伝える。

(堀切利高)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安成貞雄」の解説

安成貞雄 やすなり-さだお

1885-1924 明治-大正時代の新聞記者,評論家。
明治18年4月2日生まれ。安成二郎の兄。東京専門学校(現早大)在学中トルストイ研究会に参加,「火鞭(かべん)」同人となる。「二六新報」「万(よろず)朝報」の記者などをつとめ,大杉栄,荒畑寒村の「近代思想」などに評論を発表した。大正13年7月23日死去。40歳。秋田県出身。俳号は蕗台。著作に「文壇与太(よた)話」。

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