岸 信介(読み)キシ ノブスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「岸 信介」の解説

岸 信介
キシ ノブスケ


肩書
第56・57代首相,自主憲法制定国民会議会長

旧名・旧姓
旧姓=佐藤

生年月日
明治29年11月13日

出生地
山口県山口市八軒家

出身地
山口県熊毛郡田布施町

学歴
東京帝国大学法学部〔大正9年〕卒

経歴
農商務省に入り、工務局長を経て、昭和11年満州国産業部次長に転出、植民地経営に辣腕をふるう。帰国後、16年東条内閣の商工大臣となって戦争経済を推進し、翌17年衆院議員に当選。敗戦後、A級戦犯として逮捕されたが、起訴されずに23年釈放。追放解除後、28年自由党に入って衆院議員に復帰。翌29年には反吉田を掲げて民主党結成に参画、幹事長として鳩山内閣を実現させた。保守合同では自民党幹事長となり、31年の自民党総裁選石橋湛山に敗れたが、外相に就任。32年石橋首相の病気退任後、岸内閣を組織、戦前の治安体制の復活を企図し、対米従属的な強硬政策を続けたが、60年安保闘争の高揚窮地に追い込まれ、条約成立後首相辞任。37年には派閥解散、54年には政界を引退したものの、後継者福田赳夫などを通じ、自民党右派の象徴的存在として影響力を行使しつづけた。晩年は“昭和の妖怪”ともいわれながら、自主憲法やスパイ防止法の成立を目ざし、また女婿安倍晋太郎の首相就任に尽力していた。戦後衆院当選10回(山口2区)。

受賞
勲一等旭日桐花大綬章〔昭和42年〕 国連平和賞〔昭和54年〕

没年月日
昭和62年8月7日

家族
兄=佐藤 市郎(海軍中将) 弟=佐藤 栄作(首相) 長男=岸 信和(西部石油会長) 孫=安倍 晋三(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「岸 信介」の解説

岸 信介
キシ ノブスケ

昭和期の政治家 首相;自主憲法制定国民会議会長。



生年
明治29(1896)年11月13日

没年
昭和62(1987)年8月7日

出生地
山口県山口市八軒家

出身地
山口県熊毛郡田布施町

旧姓(旧名)
佐藤

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部〔大正9年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日桐花大綬章〔昭和42年〕,国連平和賞〔昭和54年〕

経歴
農商務省に入り、工務局長を経て、昭和11年満州国産業部次長に転出、植民地経営に辣腕をふるう。帰国後、16年東条内閣の商工大臣となって戦争経済を推進し、翌17年衆院議員に当選。敗戦後、A級戦犯として逮捕されたが、起訴されずに23年釈放。追放解除後、28年自由党に入って衆院議員に復帰。翌29年には反吉田を掲げて民主党結成に参画、幹事長として鳩山内閣を実現させた。保守合同では自民党幹事長となり、31年の自民党総裁選で石橋湛山に敗れたが、外相に就任。32年石橋首相の病気退任後、岸内閣を組織、戦前の治安体制の復活を企図した強硬な政策を続けたが、60年安保闘争の高揚で窮地に追い込まれ、条約成立後首相辞任。37年には派閥を解散、54年には政界を引退したものの、後継者福田赳夫などを通じ、自民党右派の象徴的存在として影響力を行使しつづけた。晩年は“昭和の妖怪”ともいわれながら、自主憲法やスパイ防止法の成立を目ざし、また女婿の安倍晋太郎の首相就任に尽力した。戦後衆院当選10回(山口2区)。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「岸 信介」の解説

岸 信介 (きし のぶすけ)

生年月日:1896年11月13日
昭和時代の政治家。首相;自主憲法制定国民会議会長
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報