市村瓚次郎(読み)イチムラサンジロウ

デジタル大辞泉 「市村瓚次郎」の意味・読み・例文・類語

いちむら‐さんじろう〔‐サンジラウ〕【市村瓚次郎】

[1864~1947]東洋史学者。茨城の生まれ。日本の東洋史学の開拓者。東大教授。著「支那史要」「東洋史統」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「市村瓚次郎」の意味・読み・例文・類語

いちむら‐さんじろう【市村瓚次郎】

東洋史学者。文博常陸国茨城県出身。号器堂、筑波山人。東洋史学を開拓、確立した。主著「支那史要」「東洋史統」など。元治元~昭和二二年(一八六四‐一九四七

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「市村瓚次郎」の意味・わかりやすい解説

市村瓚次郎
いちむらさんじろう
(1864―1947)

東洋史学者。常陸(ひたち)国北条(ほうじょう)村(茨城県つくば市北条)の出身。号は器堂(きどう)、字(あざな)は圭郷(けいきょう)、また筑波山人と称した。1887年(明治20)帝国大学古典科漢学課を卒業後、学習院教授、東京帝国大学教授を歴任。1925年(大正14)定年退官後は国学院大学、早稲田(わせだ)大学などで長く東洋史学を講じた。白鳥庫吉(くらきち)と並んで日本の東洋史学を開拓したが、白鳥がドイツ流の近代史学を応用した西域史を得意としたのに対して、漢学から出発した市村は、中国の政治、思想面の研究に優れ、また概説を得意とした。『東洋史要』『支那(しな)論集』『東洋史統』ほか多くの著作がある。

[川越泰博]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市村瓚次郎」の解説

市村瓚次郎 いちむら-さんじろう

1864-1947 明治-昭和時代前期の東洋史学者。
元治(げんじ)元年8月9日生まれ。学習院教授から明治38年東京帝大教授。早大,国学院大などでもおしえ,日本の近代的東洋史研究に道をひらいた。明治22年には森鴎外(おうがい)らと新声社を結成漢籍蔵書家としても知られた。昭和22年2月23日死去。84歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。帝国大学卒。号は器堂,筑波山人。著作に「東洋史統」「支那史」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「市村瓚次郎」の意味・わかりやすい解説

市村瓚次郎
いちむらさんじろう

[生]元治1(1864).8. 茨城,北条
[没]1947.2.23. 東京
東洋史学者,文学博士。 1887年東京大学古典科卒業。 1905年東京大学教授。中国史を専攻し,儒学にも詳しかった。主著『東洋史統』 (4巻,1939) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の市村瓚次郎の言及

【於母影】より

…1889年(明治22)8月2日《国民之友》第58号の綴込み夏季付録として発表された。訳者は〈S.S.S.〉(新声社の略),メンバーは森鷗外,小金井良精夫人で鷗外の妹喜美子,落合直文,市村瓚次郎(さんじろう),井上通泰。鷗外の翻訳作品集《水沫集(みなわしゆう)》(1892)に再録するときに2編を加えて全19編となった。…

※「市村瓚次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」