コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

白鳥庫吉 しらとりくらきち

7件 の用語解説(白鳥庫吉の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

白鳥庫吉
しらとりくらきち

[生]慶応1(1865).2.4. 上総,長谷
[没]1942.3.30. 茅ヶ崎
東洋史学者。東京大学史学科で,ドイツの L.リースから西洋史を学んでヨーロッパの近代的史学研究法を身につけ,1890年に卒業。学習院大学教授 (1890~1921) ,東京大学教授 (04~25) ,東宮御用掛 (14~20) を歴任,帝国学士院会員となる (19~42) 。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

しらとり‐くらきち【白鳥庫吉】

[1865~1942]東洋史学者。千葉の生まれ。東大教授。近代的東洋史学を確立。北アジア中央アジア諸民族の歴史を研究。東洋文庫の創設に尽力。著「西域史研究」「日本語の系統」。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

白鳥庫吉【しらとりくらきち】

東洋史学者。上総(かずさ)国長柄(ながら)郡出身。帝大卒。学習院・東大教授を歴任。西域史研究の開拓者,東洋文庫の設立運営など東洋学研究事業に貢献。日本古代史では邪馬台(やまたい)国北九州説の先駆者であった。
→関連項目津田左右吉羽田亨

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

白鳥庫吉 しらとり-くらきち

1865-1942 明治-昭和時代前期の東洋史学者。
元治(げんじ)2年2月4日生まれ。学習院教授,母校東京帝大の教授などを歴任。研究はアジア全域の歴史,民俗,言語,宗教など広範囲にわたる。「東洋学報」の刊行,東洋文庫の設立と運営など,東洋学の発展と後進の指導につとめた。昭和17年4月1日死去。78歳。上総(かずさ)(千葉県)出身。本名は倉吉。著作に「西域史研究」「卑弥呼(ひみこ)問題の解決」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

しらとりくらきち【白鳥庫吉】

1865‐1942(慶応1‐昭和17)
東洋史学者。千葉県長生郡茂原町(現,茂原市)に生まれる。1890年帝国大学文科大学史学科卒。同年学習院教授(1921まで)。1900年文学博士。04年東京帝国大学教授(1925まで)を兼ね,もっぱら漢・魏・六朝の西域史,塞外民族文化史,満鮮上代史等を講じた。11年から東京帝国大学教授を本官とし,兼ねて学習院教授に任ぜられた。14年東宮御学問所御用掛(1920まで)を拝命。19年帝国学士院会員に列せられた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

しらとりくらきち【白鳥庫吉】

1865~1942) 東洋史学者。千葉県生まれ。東大教授。日本における中央アジア史・北アジア史を中心とする近代東洋史学の確立者。東洋文庫の創立に尽力。主著「西域史研究」「満州歴史地理」

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

白鳥庫吉
しらとりくらきち
(1865―1942)

東洋史学者。文学博士。千葉県出身。東京帝国大学文科大学史学科を卒業後、学習院教授、文科大学教授、および東宮御用掛などを歴任。初めは朝鮮古代史の研究に専念していたが、しだいに北アジア史中央アジア史へと、その対象を西に向けて拡大させる一方、中国や日本の古代史にも関心をもち、その研究はほとんどアジアの全域に及んでいる。その学風は、大学在学中にドイツ人リースから指導された実証主義的な手法を特徴としているが、歴史はもとより、言語、民族、神話、宗教、および考古など実に多岐にわたる問題を取り上げており、とくに近代以前の漢学者が史実としていた堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)の実在を否定したことや、邪馬台国(やまたいこく)の場所を九州に求めたことなどが有名である。またこのほか、東洋協会学術調査部、満鉄歴史調査部、および東洋文庫などの東洋史研究のための機関や組織の設立、運営にも尽力した。著書に『西域史研究』『神代史の新研究』『卑弥呼(ひみこ)問題の解決』などがある。[關尾史郎]
『石田幹之助・山本達郎監修『白鳥庫吉全集』全10巻(1969~71・岩波書店)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の白鳥庫吉の言及

【東洋史学】より

…この経過が示すように東大では漢学から脱皮してゆきつつ,欧米の史学方法をとりこんで,近代歴史学としての東洋史学が成立した。創立期の東大東洋史学を代表する白鳥庫吉は,欧米風の方法に立って日本・中国の古典の信憑性を強く批判し,また西域・満鮮の諸民族の研究に先鞭をつけた。 一方1907年に開設された京都帝国大学東洋史学講座には在野の内藤湖南,ついで東大漢文学出身の桑原が招聘された。…

【邪馬台国論争】より

…これを受けて,久米邦武は,邪馬台国山門郡説を支持し,〈邪馬台の考証時代は既に通過したり,今は其地を探験すべき時期に移れり〉と喝破した。 邪馬台国論争の火ぶたは,1910年に白鳥庫吉の邪馬台国九州説,内藤湖南の大和説によって切られた。白鳥は〈邪馬台国への道〉,すなわち里程論や日程論を精緻に展開して,邪馬台国の領域を北九州全域に求め,その都を肥後国内に求めた。…

※「白鳥庫吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

白鳥庫吉の関連キーワード千葉県長生郡長生村驚千葉県長生郡長生村金田千葉県茂原市上茂原千葉県長生郡長生村小泉千葉県長生郡長生村曽根千葉県茂原市高師千葉県茂原市東茂原千葉県長生郡長生村本郷千葉県長生郡長生村水口千葉県茂原市茂原

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone

白鳥庫吉の関連情報