戦後恐慌(読み)せんごきょうこう

山川 日本史小辞典 改訂新版 「戦後恐慌」の解説

戦後恐慌
せんごきょうこう

戦後反動恐慌とも。1920年(大正9)春に発生した恐慌。第1次大戦後の恐慌は世界的現象であったが,日本で最も早く発生した。同年3月15日の東京・大阪両株式取引所での株価暴落に始まり,4月には増田ビルブローカー銀行が破綻,5月には横浜の生糸輸出商茂木商店と第七十四銀行が破綻し,恐慌は全面化した。生糸・綿関係品・銅などの貿易関連商品価格の暴落,企業の倒産,銀行取付けが発生し,これらの事態に対し,政府日本銀行大蔵省預金部による大規模な救済融資を行った。こうした対策もあって,恐慌は約半年で沈静したが,のちの震災恐慌金融恐慌などにおける日本銀行の救済機関化の引金となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「戦後恐慌」の解説

戦後恐慌
せんごきょうこう

第一次世界大戦後の経済恐慌
戦後反動恐慌ともいう。1920年3月東京・大阪の株式市場の大暴落で始まった恐慌。繊維・米の他に各種商品価格も暴落を続け,成金多くは没落した。政府は日本銀行・大蔵省による大規模な救済融資を行い,約半年で沈静化した。

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世界大百科事典(旧版)内の戦後恐慌の言及

【恐慌】より

…だが,この恐慌期における糸価の低落は紡績会社に新技術(リング精紡機)の導入を促す契機となり,そのことによって日本紡績業は輸入綿糸との角逐をとおして国内市場を制覇する方向を決定づけられたのであり,その意味で,この恐慌は日本資本主義確立のための必要な通過点であった。
[日清戦後恐慌]
 1890年恐慌後の不況は93年下期から回復するが,日清戦争によってその動きは中断される。この戦争の勝利によって日本は巨額の賠償金と中国への経済的進出のための諸権益を手に入れ,それらを基礎に95年下期以降の好況局面を通じて日本資本主義は綿糸紡績業を基軸に確立期を迎える。…

※「戦後恐慌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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