梅村(読み)くずうめむら

日本歴史地名大系 「梅村」の解説

梅村
くずうめむら

[現在地名]鷲宮町葛梅・中央ちゆうおう一丁目

上内うえうち村の北西にある同村枝郷。当地から応永二〇年(一四一三)銘などの板碑が発見されている。「風土記稿」によれば、正保四年(一六四七)検地帳には「上内村新田葛梅村」とあり、この頃の分村という。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳に村名がみえ、拝領高二一四石余で田方八町四反余・畑方一六町余、新田高八六石余で田方三町三反余・畑方六町四反余。元禄郷帳では高三〇三石余で、国立史料館本元禄郷帳では白井・杉浦ら旗本四家の相給となっている。寛保二年(一七四二)から上総久留里藩領になったと考えられ、延享三年(一七四六)領知目録(久留里藩制一班)に村名がみえる。

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普及版 字通 「梅村」の読み・字形・画数・意味

【梅村】ばいそん

梅のある村。宋・陸游〔梅を看て帰る馬上、戯れに作る〕詩 漸く老いてに知る、閑に味るを 一の強村に在り

字通「梅」の項目を見る

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梅村」の解説

梅村 うめむら

?-? 江戸時代後期の大奥女中
西丸大奥中臈(ちゅうろう)として徳川家斉(いえなり)の世子家慶(いえよし)につかえる。延命院住職日道と知りあって密会をかさね,享和(きょうわ)3年(1803)日道は死罪,梅村はとがめなしとなる(延命院事件)。河竹黙阿弥(もくあみ)により「日月星享和政談」として歌舞伎化された。

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