中国,南宋時代の詩人。字は務観,号は放翁。浙江省紹興の出身。85年の生涯にほぼ1万首の詩をのこし,南宋第一の詩人といわれる。当時中国の北半分を女真族の国家金が占領,地方官をつとめていた父陸宰は官界では少数派の徹底抗戦をとなえる憂国の士で,陸游はその影響下に育った。30歳のとき,科挙の試験で宰相秦檜(しんかい)(金との和睦派のリーダー)の孫と首位を争ったが,秦檜のさしがねで落第のうき目にあう。のち進士の資格は得たが,抗戦派として政界で疎外され,最終官も名誉職に近い秘書監にとどまった。しかしそのことをばねにして社会批判と愛国の詩編に多くの佳作を生む。はじめ17,18歳のころから曾幾(1084-1166,号は茶山)に詩を学んだが,当時の詩壇は盛唐の詩を範として修辞と典故を重んずる江西派が主流を占め,陸游も修辞主義の鍛錬によって律詩(とくに対句構成)に能力を示す詩人に成長した。のち46歳から10年近く,敵と直接対峙する蜀(四川省)の地方官となり,気宇広大な作風に変化したが,領土回復の望みは絶たれて帰郷。その後は夢と追憶に託した憂国の詩編とともに,身辺の瑣事や農村生活の哀歓をうたう作品がふえた。日課のように作った詩群は,大部な農村歳時記にも似,范成大(はんせいだい)らとともに中国の代表的田園詩人として評価が高い。また詩以外にも詞,随筆,論文,史書など,多くの分野で才能と見識を示した。たとえば紀行文《入蜀記》,随筆集《老学庵筆記》,史書《南唐書》など。その全詩文は明の汲古閣版《陸放翁全集》が収め,伝は《宋史》巻395に見える。日本では山本北山(1752-1812)刊《放翁先生詩鈔》が版を重ね,天明から幕末にかけて晩年の俳句風抒情詩がよく読まれた。明治以後も読みつがれ,いくつかの注釈書が出ているが,たとえばマルクス経済学者河上肇なども熱心な読者の一人で,大部な評釈書《陸放翁鑑賞》をのこしている。
執筆者:一海 知義
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中国、宋(そう)代の詩人。字(あざな)は務観(むかん)、号は放翁(ほうおう)。越(えつ)州山陰(さんいん)(浙江(せっこう)省紹興(しょうこう)市)の人。29歳のとき進士の試験に第一位をとったが、宰相秦檜(しんかい)に妨害されて殿試で落第させられた。秦檜の死後、34歳で初めて官界に入ったが、中央の微官と地方官を転々として終わった。しかも要路の人を批判しては幾度も免職にあい、官職にあったのは通算しても20年ほどでしかない。このように官界において孤立し、挫折(ざせつ)を重ねて不遇であったが、彼はつねに国を憂い、侵略者金への徹底抗戦を主張し、それを詩に歌い続ける剛直激情の愛国詩人であった。「千年の史策に名無きを恥じ、一片の丹心もて天子に報ぜん」と抱負を歌い、「朱門沈沈とし歌舞を按(あん)じ、厩馬肥死(きゅうばひし)して弓は弦を断つ」と権門の腐敗に憤り、「王師北のかた中原を定むる日、家祭忘るるなかれ乃翁(ちち)に告ぐるを」と臨終の詩にまで国土回復の希望を歌うように、それは生涯を貫くものであった。
こうした激情の詩をつくる一方では、「小楼一夜春雨を聴く、深巷(しんこう)明朝杏花(きょうか)を売らん」のように、平静な心境で日常の生を楽しみつつ、生きていることの幸福感を身辺の日常的な事物に投影させて、細やかに歌い上げた。約1万首の彼の詩は、この憤激と閑適(かんてき)の二面を基調とするが、その底にあるものは童心にも似た純粋な精神であり、十全な本性の追求の姿勢であった。
なお四川(しせん)省(蜀(しょく))へ赴任の46歳のときの日記『入蜀記』は、紀行文中の圧巻とされている。著に『渭南(いなん)文集』50巻と『剣南詩稿(けんなんしこう)』85巻がある。
[横山伊勢雄]
『前野直彬著『漢詩大系19 陸游』(1964・集英社)』▽『小川環樹著『中国詩文選20 陸游』(1974・筑摩書房)』
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…点鉄成金,換骨奪胎と称して,古人の詩句を自在に活用する手法を駆使して,宋詩の主知主義を極限まですすめ,多くの模倣者を出し,江西派という詩派を作りだす。 南北宋過渡期の陳与義(1090‐1138)は,激動の中で唐詩の抒情性への回帰が見られ,この傾向は南宋の三大家と呼ばれる陸游,范成大,楊万里に引き継がれた。3家の詩はいずれも金に北方領土を奪われた国家の状況に対する憂慮という当時最大の歴史的課題を主題としつつ,社会と自己の身辺の現実を凝視する。…
…杜甫の地位を決定的にしたのが王安石と黄庭堅であったのに似ている。南宋の傑出した詩人陸游(陸放翁)は,王安石の学問の忠実な弟子であった人の孫だが,彼の詩風は王安石よりも蘇軾に似ている。北方からの侵略者に対する徹底的抗戦の主張を終生もちつづけ,その熱情を詩に表現したが,官をやめて長く住んだ農村の景物の描写にもすぐれていたことを見のがすべきではない。…
… 牡丹の栽培観賞は五代以後四川でも盛行し,とくに天彭と呼ばれる彭城が中心となった。南宋時代,6年を四川ですごした詩人陸游は《天彭牡丹譜》にその詳細を記す。宋代には牡丹植栽の中心は洛陽にうつる。…
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