源雅兼(読み)みなもとのまさかね

朝日日本歴史人物事典 「源雅兼」の解説

源雅兼

没年康治2.11.8(1143.12.15)
生年承暦3(1079)
平安末期の公卿,歌人村上源氏。右大臣源顕房と因幡守藤原惟綱の娘(惟子)の子。大治5(1130)年参議。治部卿を兼ね,従三位権中納言に至る。薄雲中納言と号した。保延1(1135)年病により出家。有能な官僚として白河・鳥羽両院より絶大な信頼を得,源師時,藤原忠宗などと共に天下を支える臣と称えられた。堀河天皇に近侍して堀河院歌壇に接し,藤原忠通の歌壇にも参加。『金葉集』以下の勅撰集に9首入集。また漢詩が『和漢兼作集』に残る。<著作>『雅兼卿記』

(渡辺晴美)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源雅兼」の解説

源雅兼 みなもとの-まさかね

1079-1143 平安時代後期の公卿(くぎょう),歌人。
承暦(じょうりゃく)3年生まれ。源顕房(あきふさ)の8男。母は藤原惟綱の娘惟子。従三位,権(ごんの)中納言。薄雲中納言とよばれる。学才があり,白河院,鳥羽(とば)院に重用された。歌は「金葉和歌集」などにはいる。康治(こうじ)2年11月8日死去。65歳。家集に「雅兼卿集」。

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