アイゼンマン(読み)あいぜんまん(その他表記)Peter Eisenman

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイゼンマン」の意味・わかりやすい解説

アイゼンマン
あいぜんまん
Peter Eisenman
(1932― )

アメリカの建築家。ニュー・ジャージー州ニューアークに生まれる。1955年コーネル大学建築科卒業。1960年コロンビア大学大学院修了。1963年同大学でPh.D.取得。その後、ケンブリッジ大学でPh.D.取得。1986年イリノイ大学シカゴ校より名誉博士号(美術)取得。その間、1957年から1958年にかけてパーシバル・グッドマン事務所、1959年ジ・アーキテクツ・コラボレーツ・アーバンデザイン勤務。

 多くの大学において教壇に立つ一方で、1967年、ニューヨークにIAUS(建築都市研究所)を設立し、1982年までディレクターを務める。同研究所で、雑誌オポジションズ』Oppositionsを出版(1973~1984)。そのほかの著書として、『住宅第10号』House Ⅹ(1982)、『Fin d'Ou T Hou S』(1985)、『不在の建築』An Architecture of Absence(1986)、『カードの家』House of Cards(1987)などがあり建築理論家としても活躍。

 アイゼンマンは、1972年にM・グレイブズ、C・グワスミイCharles Gwathmey(1938―2009)、J・ヘイダック、R・マイヤーとともに、ニューヨークで出版された『ファイブ・アーキテクツ』Five Architectsというタイトルの作品集で紹介された。これに対し雑誌『アーキテクチュラル・フォーラム』Architectural Forumの1973年5月号に、R・スターンRobert A. M. Stern(1939― )ら5人の建築家により、『ファイブ・アーキテクツ』の書評が掲載された。アイゼンマンたちは、白や単一色を基調とした建築物をつくったり純粋幾何学による建築形態を重んじるため理想主義であるとされ、スターンらのグループはそれとは異なった建築物をつくるため現実主義であるとしてそれぞれ「ホワイト」「グレー」と呼ばれた。1974年5月2日から5日までカリフォルニア大学ロサンゼルス校UCLA)でホワイト・アンド・グレーに関する公開会議が開かれ、アイゼンマンは「ホワイト」の一員として参加した。

 また、アイゼンマンは言語学哲学を参照するかたち論文や建築作品を発表し、参照する対象はN・チョムスキー、J・デリダと変えていく。そうしたなかで、1985年に建築家ベルナール・チュミの引き合わせにより、チュミによるパリのラ・ビレット公園計画の一区画に、デリダと共同し、「コーラル・ワーク」計画(公園の一角を占めるオブジェクトの設計を、数年にわたり両者のテキストや議論を重ねて進めた。しかし両者の意見の食い違いから計画は放棄された。そこで出されたテキスト、ドローイングは『コーラ・ル・ワークス』Chora L Works(1997)として刊行された)を行った。この計画は、建築と哲学の遭遇地点とその問題点を露呈させた例として歴史的に位置づけられる。その後、アイゼンマンは1988年3月にロンドンのテート・ギャラリーにおいて開催されたディコンストラクション(脱構築)に関する国際シンポジウムに参加し、建築におけるディコンストラクションに関して重要な発言を続けた。同年6~8月にMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催されたディコンストラクティビスト・アーキテクチャー展にも参加。

 その後、建築家磯崎新(あらた)らとエニィワン・コーポレーションを組織し、1990年代の10年間、毎年建築家や他領域の専門家、評論家を集め、ロサンゼルスをはじめとして世界各地で会議を開催し、その記録を出版した。

 1985年ロメオ・アンド・ジュリエット計画(物語の舞台とされるイタリア、ベローナにある二つの城を敷地に計画された。物語、建築、敷地の構造を異なるスケールで描き、それらを重ね合わせて表現した)によりベネチア・ビエンナーレ国際建築展で第一席金獅子賞受賞、1993年オハイオ州立大学ウェクスナー視覚芸術センター(1989)によりAIA(アメリカ建築家協会)国内名誉賞を受賞。

 そのほかの建築作品としては、M・グレイブズと共同のマンハッタン・ウォーターフロント計画(1966)、住宅第1号(1968)以降の住宅シリーズ、カナレッジョ・タウン・スクエア計画(1978、ベネチア)、ベルリン集合住宅(1986)、コロンバス・コンベンション・センター(1993、オハイオ州)などがある。

 また、日本における建築作品としては小泉産業ビル(1990、東京都)、布谷(ふたに)東京ビル(1992)がある。

[入江 徹]

『House Ⅹ (1982, Rizzoli, New York)』『Fin d'Ou T Hou S (1985, The Architectural Association, London)』『An Architecture of Absence; Moving Arrows, Eros, and Other Errors (1986, The Architectural Association, London)』『House of Cards (1987, Oxford University Press, New York)』『『Peter Eisenman』(『a+u』1988年8月臨時増刊号・エー・アンド・ユー)』『磯崎新・浅田彰監修『Anyone』(1997・NTT出版)』『「特集:70年代を読む」(『a+u』2001年2月号・エー・アンド・ユー)』『Museum of Modern Art ed.Five Architects; Eisenman, Graves, Gwathmy, Hejduk, Meier (1972, Wittenborr & Co., New York)』『Jeffrey Kipnis and Thomas Leeser ed.Chora L Works; Jacques Derrida and Peter Eisenman ( 1997, Monacelli Press, New York)』『K. Michael Hays ed.Oppositions Reader (1998, Princeton Architectural Press, New York)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「アイゼンマン」の意味・わかりやすい解説

アイゼンマン

米国の建築家。ニュージャージー州生れ。コーネル,コロンビア,ケンブリッジの各大学で学ぶ。その後教職につく一方,雑誌《オポジション》の編集にも携わる。N.チョムスキーやJ.デリダの言語学・哲学を参照した論文などによって,建築界随一の論客として知られる。実作に〈住宅第1号〉(ニュージャージー州,1968年)に始まる住宅シリーズ,オハイオ州立大学ウェクスナー視覚芸術センター(1983年―1989年)などのほか,日本では布谷ビル(東京,1992年)がある。
→関連項目ディコンストラクティビズム

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android