日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレイブズ」の意味・わかりやすい解説
グレイブズ
ぐれいぶず
Michael Graves
(1934―2015)
アメリカの建築家。インディアナポリス生まれ。1958年シンシナティ大学建築学科卒業、1960年ハーバード大学GSD(大学院大学デザイン・コース)を修了し、ローマでアメリカン・アカデミーの研究者として働いた後、1962年よりプリンストン大学で教鞭をとり、1964年には事務所をプリンストンに開設した。1972年、プリンストン大学建築学科教授。1982年、シンシナティ大学より名誉博士号を授与される。2001年、AIA(アメリカ建築家協会)ゴールド・メダルを受賞する。
グレイブズは、アメリカの近代建築の伝統をもつ東海岸の建築家ピーター・アイゼンマンやジョン・ヘイダックら、まだ住宅規模の仕事しかない若手世代の作品を集めたMoMA(ニューヨーク近代美術館)における「ホワイト・アンド・グレー展」(1974)で注目を集めた。当時グレイブズは建築を純粋な形式のなかでデザインする「ホワイト派」のなかにあって複雑な形態をコラージュして建築を構成した。グレイブズは、さまざまな要素やエレメントを包含してよいのだとする立場「グレー派」とは異なった建築のスタイルを追求していたが、ポートランド市庁舎(1982、オレゴン州)で一転して直截的な古典的装飾を単純なボリュームに貼り付けて用い、同作はポスト・モダニズムの記念碑的作品となる。クラッシックな装飾を変形、処理し、建物表面にまんべんなく貼り付けることで、グレイブズは、ポスト・モダニズム建築の旗手として躍り出たのである。ヒューマナビル(1982、ケンタッキー州)をはじめとするその後の作品にみられる変型されたクラシシズムはまさにポスト・モダンのアメリカ的解答、つまりポピュリズム建築として抵抗なく受け入れられた。
ディズニー・ワールドのスワンホテル、ドルフィンホテル(いずれも1988、フロリダ州)などもその延長にある。すなわち、装飾的要素を誇張したり、マンガ化すると同時に、パステルカラーでポピュラリティを獲得する。これはウォルト・ディズニーの手法を建築に導入した、もっともアメリカ・コマーシャリズム的な建築である。しかし、内部空間は折衷主義的な古典主義、あるいはリバイバルの保守的、伝統的なクオリティをもち、クライアントの企業層の心と需要をつかんでいる。
同じ手法を用いてグレイブズはシンシナティ大学(1995、オハイオ州)、バージニア大学(1995)などの大学のキャンパスにはじまり集合住宅、ネクサス百道(ももち)アパートメント(1997、福岡県)など、企業ビル、公共建築から商業施設にいたるまで、日本をはじめ世界中の都市においてプロジェクトを進めている。
エジプト、タバ(イスラエルとの国境付近)でリゾート施設、ハイアット・リージェンシー・ホテル(1999)を手がけるが、ここでは伝統的なボールト屋根(アーチ状屋根)が基本的な構造として用いられている。グレイブズのリバイバリズム的なデザインは古典的な建築様式だけでなく、伝統的なボールト屋根のようなバナキュラー(土着的)建築のスタイルを取り入れる余裕もあることを証明している。
そのほかの建築作品には、オランダ福祉スポーツ省庁舎(1999)、ライス大学(2003、テキサス州)、ワシントン・モニュメント修復計画(2000、ワシントン市)などがある。
グレイブズは家具、什器、照明器具から時計までさまざまなプロダクト・デザインを手がけている。手がけたプロダクトのなかで、デザイナーのコレクションで有名なアレッシ社のケトル(ヤカン)はミッキー・マウスを彷佛させるアニメのようなデフォルメされたデザインであり、もっともポピュラーである。
[鈴木 明]
『Museum of Modern Art ed.Five Architects; Eisenman, Graves, Gwathmy, Hejduk, Meier (1972, Wittenborr & Co., New York)』▽『Michael Graves, Stephen Dobney ed.Michael Graves; Selected and Current Works (1999, Images Publishing, Mulgrave)』▽『Marisa Bartolucci et al.Michael Graves; Compact Design Portfolio (2002, Chronicle Books, San Francisco)』