アイルランド国民党(読み)あいるらんどこくみんとう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイルランド国民党」の意味・わかりやすい解説

アイルランド国民党
あいるらんどこくみんとう

アイルランド議会党Irish Parliamentary Partyとも自治党Home Rule Partyともよばれる。1873年に設立されたホーム・ルール・リーグを継承する議員集団で、イギリス議会のなかでアイルランド自治を主張し続けた。翌1874年の総選挙で56議席を獲得してその基礎を固め、パーネルリーダーになると激しい議事妨害戦術で政府を苦しめた。グラッドストーン首相にアイルランドの自治を決意させたのは国民党の力によるところが大きい。パーネルの死(1891)後、党は分裂したが、1900年にレドモンドJohn Edward Redmond(1856―1918)によって再統一され、1912年アスキス首相に迫って第三次自治法案を提出させた。しかしイースター蜂起(ほうき)(1916)以降のアイルランド独立運動の高まりは、自治と議会主義の枠内にとどまろうとする国民党の役割を終わらせることになった。

[堀越 智]

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改訂新版 世界大百科事典 「アイルランド国民党」の意味・わかりやすい解説

アイルランド国民党 (アイルランドこくみんとう)
Irish Nationalist Party

アイルランドの自治を求めて19世紀末から活躍した政党。アイルランド議会党,または自治党とも呼ばれた。バットIsaac Butt(1813-79)が1873年に創設した自治同盟がその前身で,バットの死後,パーネル指導の下でロンドンのウェストミンスター議会に多数の議員を送り(1885年には85議席),グラッドストンを支持して自治法推進に大きな役割を果たした。パーネル失脚(1890)後弱体化したが,レドモンドJohn Redmond(1856-1918)の指導の下で再生し,アスキスを支持して1914年の第3次自治法成立に力を尽くした。18年の総選挙でシン・フェーン党に敗れ,以後消滅した(ただし,北アイルランドの同党は1925年までロンドンに議員を送っていた)。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アイルランド国民党」の解説

アイルランド国民党(アイルランドこくみんとう)
Irish Nationalist/Parliamentary Party

アイルランドの民族主義政党。アイルランドの自治権獲得を目標に,パーネルらの指導のもとで,イギリス議会に議席を占め,一時は第3党としてキャスティング・ボートを握り,1914年のアイルランド自治法の成立に寄与したが,18年の総選挙でシン・フェイン党に敗れて勢力を失った。

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世界大百科事典(旧版)内のアイルランド国民党の言及

【パーネル】より

…パーネルは地主制度廃止をイギリス支配を終わらせる第一歩と考えたのである。80年にアイルランド議会党(アイルランド国民党)党首に選出され組織を強化,85年の総選挙でアイルランドの103議席中85議席を確保した。グラッドストーンらイギリス自由党は,この結果から,自治要求をアイルランド人の総意と確信し,翌86年に自治法案を議会に提出した(最終的に自治法が成立したのは1914年)。…

※「アイルランド国民党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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