英国が1922年、支配下に置いていたアイルランド島のうち、北部6州を除く南部26州を自治領に。南部は37年にアイルランドとして独立、共和国となった。カトリック系が多数を占めるアイルランドと異なり、プロテスタント系が多数の北アイルランドでは英統治が継続。北部では60年代からアイルランドへの併合を求めるカトリック系と英統治継続を訴えるプロテスタント系の過激派組織による紛争が激化、3500人以上が死亡した。98年の包括和平に双方が合意、紛争は終結した。(ニューリー共同)
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イギリス連合王国を構成する地方で,アイルランド島北東部を占める。ノース海峡をはさんでスコットランドに対し,西と南はアイルランド共和国と国境を接する。面積1万4146km2(全島の約1/6),人口169万(2001)。アントリム高原やモーン山脈,スペリン山脈が周辺部に位置するが,中央部にはイギリス最大のネイ湖とその流出河川であるバン川を中心に平野が展開する。気候は温和であるが,偏西風の風下にあたるため,年降水量は700~1250mm程度である。資源に乏しく,主要産業は農牧業が占めている。低地では,ベルファスト周辺と南西部のアーン川中流に酪農が,北西部のフォイル川流域と中部のバン川流域に大麦,ジャガイモおよび肉牛,豚による混合農業がそれぞれ卓越するほか,ネイ湖南岸では園芸農業も発達するが,特産品であった亜麻の栽培は衰退した。これに対し高地は,肉牛,肉用羊の放牧・肥育地帯となっている。工業は中心都市のベルファストと第2の都市ロンドンデリーに集中しており,前者はリンネル,造船業に,後者は衣料工業に特色を有している。全域がアルスター地方に属し,行政的には6県とベルファスト,ロンドンデリーの2自治都市に区分される。総人口の約60%がスコットランドから植民してきたプロテスタント系住民で,特にアントリム,ダウンの東部2県に多い。このため南部から西部にかけて居住するカトリック系住民との紛争が絶えない。
執筆者:長谷川 孝治
アイルランドの,イギリスからの自治・独立を要求する運動は第1次大戦後激化し,1922年にはアイルランド自由国(現,アイルランド共和国)が成立する。しかしこの間,イギリスとの利害が一致し,かつプロテスタント系人口が多いアイルランド島北東部は,アイルランド統治法(1920)によって北アイルランドとしてイギリス連合王国にとどまり,独自の議会をもつことを認められた。北アイルランド議会はイギリス国王と上院,下院からなり,1921年6月に国王ジョージ5世の臨席の下で発足した。しかしこの議会の主権は限定されており,外交権,交戦権,関税や国税に関する諸権限などは持たず,またロンドンのウェストミンスター議会の定める法に反する決定はいっさい許されなかった。第1回総選挙は21年5月にイギリス諸島内最初の比例代表制方式で行われ(1929年に通常の票数方式に変更),以後72年まで,ユニオニスト党(イギリス領にとどまることを絶対の方針とするプロテスタントの政治組織)が政府を独占した。そして,プロテスタントの支配を維持するために,政治的・経済的にカトリック系住民を差別する政策が徹底してとられた。
北アイルランド政府は発足当初からIRA(アイアールエー)の存在という難題をかかえていた。カトリック系住民を背景にもつIRAは,北アイルランドの存在自体を否定し,アイルランド全島のイギリスからの分離,独立共和国化を進めようとする。これに対し政府は1922年特別権限法を制定し,IRA容疑者の予防拘禁などの権限を内相に与えた。さらに,選挙区の徹底したゲリマンダリング(ゲリマンダー)と地方税納付額による選挙資格の制限,会社への投票権付与(実際には社長の二重投票権)などによりプロテスタント系の地方議員の当選を確実にし,政策面でも公営住宅への入居などでプロテスタント系を優遇した。歴代首相,閣僚,ユニオニスト党議員のほとんどをオレンジ結社会員で固めるなど,徹底したプロテスタント優位体制がしかれてきた。また,イギリスでは珍しく警察は武装しており,そのほとんどがプロテスタント系である。国防軍を持たない北アイルランド政府は,〈治安維持〉をおもにこの武装警察で行っていた。
第2次大戦中アイルランド共和国が中立であったため,北アイルランドはヨーロッパ反攻の基地として重要な役割を果たし,これを機に経済は著しく好転した。しかし,戦後は再び停滞し,特にカトリック系の失業率が高くなった。現在の北アイルランド紛争は,当初〈1人1票〉〈カトリックにも平等な市民権を〉といった要求をかかげた68年の市民運動に端を発する。IRAを主とするカトリック系住民の民族独立運動が再燃し,これに対するプロテスタント側の武力抵抗を生んだ。北アイルランド政府に解決能力なしと見たイギリス政府は,イギリス軍を派遣し,72年北アイルランド議会を停止し,ロンドンからの直接統治を行った。以後,カトリック,プロテスタント双方の住民を代表する政府の樹立を試みたが,成功せず,今日にいたっている。68年以降のテロによる死者は一般市民を含め約3000人,3万人以上の負傷者が出ている。81年からは,カトリック系とプロテスタント系の子弟を同じ学校で学ばせることにより,幼少時からの相互理解を促す工夫が一部でなされている。85年,イギリス,アイルランドの両首相が閣僚委員会,議員評議会の設置などを骨子とする合意文書に調印した。
1994年8月末にIRAは停戦を宣言するが,問題解決の糸口すらつかめぬまま17ヵ月がすぎて,96年2月にはIRAのテロが再開された。同年5月和平会議代議員の選挙が北アイルランドで行われ,6月から代議員,イギリス政府,アイルランド共和国政府からなる和平会議が開始された。しかし,IRAの再停戦をシン・フェーンの出席の条件としたことから,実質的討議には入れぬまま1年が過ぎ,97年7月IRAの再停戦の後,話合いが進みはじめていた。平和回復によりその後,北アイルランドへのアメリカの投資も増加し,経済再建が急テンポで進んでいる。その後,97年イギリスで労働党のブレア政権が成立して以後,アメリカの仲介による和平交渉が98年4月合意に達し,北アイルランド自治政府の設置を軸として,自治政府とアイルランド政府の対話機関やイギリス・アイルランド両政府を交えた調停機関の新設に向かうこととなった。
→アイルランド →アイルランド問題
執筆者:上野 格
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イングランド、ウェールズ、スコットランドとともに、イギリス(連合王国)を構成する一地域。アイルランド島の北東部を占める。面積1万3576平方キロメートル、人口168万5267(2001)。首都は東岸のベルファストで、北アイルランド人口の約4分の1が集中する。アイルランド島の四大地域区分の一つアルスターとほぼ重なるが、アルスターは北アイルランド全域のほかに、アイルランド共和国のキャバン、ドニゴール、モナハン3県を含むより広い地域をさす。北アイルランドはアントリム、アーマ、ロンドンデリー、ダウン、ファーマナ、タイロン(ティローン)の6県と、ベルファスト、ロンドンデリーの2特別市(カウンティ・バラ)からなっていたが、地方制度改革が行われ、1996年以降は26の行政地区に再編された。17世紀の初頭以降、グレート・ブリテン島からプロテスタントによるいわゆる「アルスター植民」が行われ、アイルランドのカトリック系住民と対立した。アルスターのうち、現在アイルランド共和国に所属する前記の3県は1922年に分離して共和国に編入された。政治形態は1999年12月に北アイルランド自治政府が設立され、10人からなる初内閣が発足したが、2002年10月に起きたアイルランド共和軍(IRA)の政治組織、シン・フェイン党のスパイ活動疑惑を発端とする自治政府内の混乱を受け、イギリス政府の直接統治が復活した。以降、北アイルランドにおける自治は停止していたが、2005年7月IRAが武装闘争終結を宣言したため、2006年5月イギリス政府は自治政府再開を協議するための議会を招集。2007年3月には自治議会選挙が行われた。その結果、長年にわたる紛争で対立を続けたプロテスタント強硬派の民主統一党(DUP)とカトリック過激派IRAのシン・フェイン党により連立政権が行われることとなり、2007年5月北アイルランドの自治政府が4年7か月ぶりに復活した。自治政府首相には民主統一党のペイズリーIan Paisley(1926―2014)、副首相にはシン・フェイン党のマクギネスMartin McGuinness(1950―2017)が就任した。北アイルランド議会は定数が108人。イギリス下院に18名の議席を確保している。
北東部には緻密(ちみつ)な玄武岩からなるアントリム台地があるほか、台地、丘陵と低地が交互に入り組む。イギリス最大のネー湖からバン川が北流する。河川水運が行われ、マスなどの淡水魚を中心とする漁業が盛んである。気候はメキシコ湾流と偏西風の影響を受け、内陸部でも最寒月5~6℃、年降水量は西部で1000~1500ミリメートル、高緯度にありながら比較的温暖かつ湿潤である。低地は北アイルランドでもっとも肥沃(ひよく)な土地で、気候は温和、年降水量は890ミリメートルである。おもな農業形態は混合農業で、農地の85%は改良草地である。ベルファスト近郊では果樹園芸、生乳生産が卓越し、ネー湖の周辺、旧ファーマナ、タイロン2県では酪農とブタや家禽(かきん)の集約的飼育が行われる。アントリム高原、モーン山地、スペリン山地は天然の放牧地に恵まれ、牧羊に専門化している。伝統産業のリンネル製造地域はほとんどベルファストのレーガン谷、コールレーン、ロンドンデリーに集中する。ロンドンデリーは衣料産業でも知られる。工業人口の約2分の1はベルファストに集中する。ここでは造船、機械、電子工業、たばこ製造、食品加工などが発達し、原料、市場ともイギリス本国とアイルランド共和国を中心とした貿易依存型の工業が多い。最大の貿易港はリバプールへ315キロメートルのベルファストで、ロンドンデリーがこれに次ぐ。アントリム台地北西部の「巨人の土手」とよばれる景勝地では、スコットランド西岸マル海岸沖にあるスタファ島のフィンガル洞窟(どうくつ)とともに、柱状節理の発達した玄武岩がみられる。
[米田 巌]
『堀越智著『北アイルランド紛争の歴史』(1996・論創社)』▽『ダン・フィルビン著、松原恭子訳『目で見る世界の国々48 北アイルランド』(1997・国土社)』▽『イアン・ミニス著、宮崎真紀訳『世界の紛争を考える5 北アイルランド紛争』(2003・文溪堂)』▽『ポール・アーサー、キース・ジェフェリー著、門倉俊雄訳『北アイルランド現代史――紛争から和平へ』(2004・彩流社)』▽『尹慧瑛著『暴力と和解のあいだ――北アイルランド紛争を生きる人びと』(2007・法政大学出版局)』▽『一木久生著『ピースライン――北アイルランドは、今』(2007・作品社)』
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…正式名称=アイルランドÉire(エール=アイルランド語)∥Ireland(英語)面積=7万0285km2人口(1996)=359万人首都=ダブリンDublin(日本との時差=-9時間)主要言語=アイルランド語,英語通貨=アイルランド・ポンドIrish Poundヨーロッパ北西部,アイルランド島にある共和国。アイルランド共和国は憲法で全島を国土と規定しているが,現実にはイギリスに属する北アイルランドを除く島の約8割を統治している。なお,〈北アイルランド〉の項も参照されたい。…
…正式名称=グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland面積=24万4792km2人口(1996)=5848万9975人首都=ロンドンLondon(日本との時差=-9時間)主要言語=英語通貨=ポンドPoundヨーロッパ大陸の西方に位置する立憲王国。正式の国名は〈グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国〉で,〈英国〉とも呼ばれる。…
…1919年1月に始まったアイルランド独立戦争を終結させ(1921年7月休戦),アイルランドがカナダ,オーストラリア,ニュージーランドと同じ自治領の地位をイギリス帝国の中で保持し,アイルランド自由国と称すことなどを定めた。ただし,20年12月に成立したアイルランド統治法に基づきすでに21年6月より発足していた北アイルランド議会はそのまま存続し,北と南の境界は南北各1名の代表とイギリス政府の任命する議長の3者からなる国境委員会で改めて定めることとした。北アイルランドの分離を認めるか否かなど,この条約をめぐってアイルランドでは賛成派と反対派の間で内戦がおこるが,賛成派が勝利をおさめて,22年12月にアイルランド自由国が発足した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...
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