アカデミア

大学事典 「アカデミア」の解説

アカデミア[羅]

アカデミー(academy; académie[仏]; Academie[独])などの語源となったアカデミアは,多様な意味を持つ。起源としては,紀元前4世紀にプラトンアテナイの郊外,アカデメイア(Akade¯meia)の地に学校をつくったことに由来する。この学校は法人格と土地建物などの不動産を持ち,学頭を中心に対話や討論による哲学の教育と探求をおこなった。古代地中海世界の高等教育の学校の模範となったが,同時にピタゴラス教団の影響で宗教的な知識人集団の性格を持ったとも言われる。この性格や理念が,のちに至るまで教育研究機関や学術団体への根源的な範例となり,それらがアカデミアの名称を採ることになった。古代から中世にかけて,プラトンのアカデメイアを模範とした学校としては,教育の内容と方法は異なっていたがアリストテレスのリュケイオン,プトレマイオス1世がアレクサンドリアにつくったムセイオン,シャルル・マーニュの宮廷学校などがあげられるが,これらはいずれも高等教育機関ではあるが,中世後期に出現する大学に繫がるものではない。

[組織としてのアカデミア]

大学成立以降近代に至るまでに,研究と知識の普及活動を中心とした組織としてのアカデミアが出現する。この種のアカデミアは,おおむね人文主義言語,科学の3種類に分かれる。人文主義アカデミアは15世紀頃にイタリアを中心に出現し,アカデミア・プラトニカ(プラトン・アカデミー)が代表的なものである。フィレンツェのコジモ・デ・メディチ,C.déによってつくられ,プラトン哲学を中心としたギリシア文献の探求と知識の普及を目的とした一種のサロン的な組織であった。同世紀末には,ヴェネツィアの人文主義の出版者であったマヌティウスA.P.の周りに人文主義者が集って,アカデミア・アルディーナが形成され,人文主義著作を出版した。これらのアカデミアに集った人文主義者の多くは,大学とは無関係に知識の探求と普及に努めた。14世紀末にギリシア人の人文主義者クリュソロラスがフィレンツェ大学のギリシア語講座を担当した例や,15世紀前半にグアリーノ・ダ・ヴェローナがフェラーラ大学の修辞学教授となった例などがあり,人文主義者は徐々に大学に地位を占めていったが,大学はまだ彼らに十分に門戸を開いていなかった。

 16世紀以降にこの種のアカデミアは変容を遂げる。従来のサロン的性格が弱まって,個人だけでなく国家が設立するか国家機関化して明確な組織形態をとり,教育機能を果たすものも現れる。その典型がストラスブールのアカデミーである。これは,1538年に人文主義者シュトルム,J.von(Johannes von Sturm, J.von)によって設立されたギムナジウム(中等学校)が1566年にアカデミーに昇格し,皇帝から大学と同等の学位授与権を認められたもので,人文主義教育で著名となった。1621年には上級学部への進学権が認められて大学へと昇格した。他方で,人文主義者の文献学や言語批評の関心が,古典語のみならず母国語に向けられて,言語アカデミアが誕生する。その代表が1582年にフィレンツェに創設されたアカデミア・デラ・クルスカ(イタリア)(Accademia della Crusca)で,イタリア語の検討と純化を目的とした。この影響はパリに及び,17世紀前半には枢機卿リシュリュー(1585-1642)によるアカデミー・フランセーズ(フランス)が生まれた。

[近代以降の多様な展開]

次いで,近代科学の勃興とともに科学アカデミアが多数隆盛する。とりわけ,ガリレオ・ガリレイがメンバーであったことで著名なローマのアカデミア・デイ・リンチェイ(イタリア)(Accademia dei Lincei,1603年設立)は現在まで存続し,国立の研究機関となっている。これらの科学アカデミアの中には,大学の伝統的な天文学に対して,コペルニクス的天文学を研究教育するカウンター・カルチャーの牙城となったものも見られる。また,大学のスコラ的伝統を嫌ったライプニッツがその長となったプロイセンの科学アカデミーは,自然科学だけでなく人文学も組織化した。大学に制度化されていない,科学知識を研究教育するアカデミアは,イタリアからアルプス以北に影響を与えて,フランスのアカデミー・デ・シアンス(フランス)(Académie des sciences,1666年)やイギリスのロイヤル・ソサエティ(イギリス)(Royal Society,1660年)などの創設に繫がり,近代科学の発展に貢献した。大学はこれらの新しい分野では立ち遅れることとなった。

 17世紀には,純粋に教育を目的としたアカデミーも多数出現した。とりわけ,絶対主義国家における貴族層の職業訓練などの目的で,前述のリシュリューも設立に関与した貴族アカデミーや,近代科学や近代外国語を教えたドイツの騎士アカデミーなどが隆盛した。いずれも大学教育の系統とは明確に区別された,近代的な教育需要に応じる教育機関であった。

 18世紀以降,アカデミアはさらに多様化し,美術,農業,経済学のアカデミアなども各国につくられるようになる。これらは,おもに研究や啓蒙活動を中心としたアカデミアであったが,それとは別に教育を主目的としたアカデミーも多数創設されるようになった。それらの中には,鉱山や建築のアカデミーのように19世紀に工科大学に昇格したものもみられる。また自然科学や農業のアカデミーのように,大学の学部として制度化されるものが現れるようになった。これに対して,音楽や美術のアカデミーは現代に至るまで大学教育に取り込まれることなく,独自の高等教育機関として位置づけられている。またアカデミーという場合,日本の学士院(日本)(The Japan Academy)のように,各国で学識者の学術団体の意味でも使用され,国際アカデミー連盟(IUA)のような国際組織もつくられている。
著者: 児玉善仁

参考文献: 別府昭郎編『〈大学〉再考―概念の受容と展開』知泉書館,2011.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「アカデミア」の解説

アカデミア

イタリア、スティピュラ社の万年筆のブランド。高級で数が限定されたシリーズを展開。

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