日本大百科全書(ニッポニカ) 「アサド」の意味・わかりやすい解説
アサド
あさど
āfi al-Asad
(1928―2000)
シリアの軍人、政治家。ラタキアの貧家に生まれる。アラウィー教徒。1955年ホムスの陸軍士官学校を卒業。のち当時のソ連で軍事訓練を受ける。アラブ連合共和国時代にエジプトでオムラーンMuammad Omranやジャディードa-lā Jadīdらとともに秘密結社「軍事委員会」を設立した。これはのちにバース党の核となり、1963年に同党が政権をとるや事実上の支配グループとなった。1964年空軍司令官、1966年2月のクーデター後は国防相も兼ねる。1969~1970年の権力闘争でジャディード派を追放しシリアの実権を掌握、首相兼国防相となる。1971年3月大統領に就任。1999年2月には5選を果たした。当初はバース党本来のアラブの統一を第一義とし、これを阻止するあらゆる勢力、とくにシオニズムと闘う姿勢を堅持してきた。しかし、エジプト、パレスチナ解放機構(PLO)、ヨルダンが和解・妥協へと転換したため、現実的な対応を迫られ、対イスラエル和平交渉や対米関係改善に本格的に取り組むようになった。1990年イラクによるクウェート侵攻時には、多国籍軍に参加。1998年4月エジプトの大統領ムバラクと会談、イスラエル軍のレバノン南部からの無条件撤退の要求を確認した。しかし、アメリカを仲介役とした中東和平交渉では、イスラエルに対するゴラン高原全面返還要求をゆずらず、交渉を中断したまま、2000年6月10日に死去。
それまで閉塞(へいそく)状態にあった経済を建て直し政権の基盤を確立するために、現実的な経済政策を採用し、従来の社会主義的体制から、国家の規制を緩和し、民間セクターの役割を増大させ、投資を奨励するなど、経済自由化のプロセスを段階的かつ選択的に実施した。
[木村喜博]