20世紀エジプトで生まれたイスラム宗教社会運動の団体。ハサン・アルバンナーを中心に秘密結社として1929年4月イスマーイーリーヤで結成,33年,本部はカイロに移った。30~40年代を通じてしだいに都市の労働者,職人,小商人,学生の間に拡大し,公然たる運動となった。現代生活の全局面でのイスラムの徹底化を主張し,コーランを憲法とするイスラム国家の建設と社会的正義(アダーラ)の実現とを要求し,ウンマの内側に生じた腐敗・堕落を排撃して,巨大な大衆動員力をもつ政治・社会団体となった。核→細胞→家族→軍団と積み上げられるピラミッド型の集権的組織をもち,各レベルにナキーブ(指導者)が置かれ,頂点に立つハサン・アルバンナーがムルシド(導師,団長)として統轄した。イルティハーム(結び)の儀式を伴う秘密の入団式があり,団員の昇級には身体検査を含む試験と,各レベルごとの特定の訓練および宣誓とが要求された。クラブ,成人学校,モスクをもち,労働組合と婦人運動に積極的に進出し,青少年組織とスポーツ団体を掌握,商事・紡織・出版等の企業を運営し,宣伝(パンフレットの大量印刷,拡声器による街頭扇動,ラジオ放送)を重視した。38年,第5回総会は自らを〈サラフィーヤ(イスラム純化運動),正しき道,タサッウフの実現,政治団体,体育グループ,科学文化協会,企業体,社会的理想〉と規定した。公然活動のほかに秘密機関をもち,地下軍事組織をも建設した。
第2次世界大戦後,首相,蔵相,警視総監ら要人の暗殺や爆破事件などテロ活動を組織し,反イスラエル・反英のジハード運動に大衆を動員し,52年の自由将校団のクーデタに至る革命情勢を醸成した。しかしこの間,49年ハサン・アルバンナーを継いで団長となったハサン・イスマーイール・アルフダイビーのもとで,指導部に分裂が進行した。ムハンマド・アルガッザーリーMuḥammad al-Ghazzalīやサイイド・クトゥブSayyid Quṭb(1906-66)らの著作活動はむしろこの時期の理論的統一の希求を示す。同胞団と密接な関係にあったサーダートらを擁する自由将校団は,権力掌握直後は微妙な対同胞団政策をとったが,54年1月解散令を発し,同年10月ナーセル狙撃事件を機に弾圧に踏み切り,これを解体した。しかし大衆意識の中にその思想的影響力は強く残り,内外(解体後,活動の本拠はサウジアラビアに移る)で再組織の企てが持続した。こうして脱ナーセル化の過程を経た76年6月,その機関誌《ダーワal-Da`wa(呼びかけ)》が復刊され,活動の再開が事実上公認されるに至った。シャリーアの実施要求やイスラエルとの平和条約への反対などについては政府に対して批判的に振る舞うことが容認された。この段階では,タクフィール・ワルヒジュラal-Takfīr wal-Hijra,ジハード団al-Jihād,イスラム集団al-Jamā`a al-Islāmīyaなど新世代の諸地下運動が生じてきて,それらからの批判と突き上げにさらされるようになったが,一方81年秋サーダート大統領暗殺事件前後の広範囲な政治弾圧のもとでは,その対象の一つともされた。しかし同胞団は企業活動・金融・教育・医療・福祉など多方面の社会活動を展開し,法律家,医師,エンジニアなどの諸職能組織に浸透して指導権を握るほどになっただけでなく,87年には議会にも進出した。地下の急進的イスラム運動に武力弾圧を加えてきたムバーラク政権は,93年以降は同胞団に対しても社会的規制と政治的抑圧を強化するようになった。利子を生む経済活動や酒類販売の禁止を要求するなどイスラム法の実施を目指すムスリム同胞団は,大衆のイスラム化と体制批判の包括的基盤となっているからである。
1937年ダマスクス支部設立をはじめとして,同胞団はパレスティナ,ヨルダン,スーダン等,他のアラブ諸国にも拡大していったが,第2次世界大戦を通じて自立的組織となったシリアの同胞団は,そこでの一政治勢力としての位置を占め,シリア北部,ことにアレッポを中心に,エジプトとの統合への,次いでバース党体制への批判者となった。パレスティナ人の間では,ムスリム同胞団は,87年末からのインティファーダのもとでアフマド・ヤシーンを精神的指導者とするハマース(〈イスラム抵抗運動〉の略称)の運動へと展開した。
執筆者:板垣 雄三
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アラブ諸国で、イスラム教の宗教的価値観に沿って社会を改革し、西洋支配から脱することを目標に活動している組織。イギリスの間接支配下にあったエジプトのイスマイリアで、1928年に教育者ハサン・アルバンナーasan al-Bannā(1906―1949)によって結成された。当初は労働者や学生らが参加した政治結社で、病院設立、教育提供、貧困層援助などの慈善活動に力を入れ、草の根の支持を広げた。1940年代以降、周辺イスラム諸国に支部を設け、中東全体に影響を及ぼすようになった。しかし、1954年にエジプトのナセル大統領に弾圧されて以来、歴代政権から弾圧され、長く非合法・野党勢力であった。このため、団員数などは秘密にされているが、幹部は学者、医師、企業経営者らが多い。2010年末から広がったアラブ世界の民主化運動(「アラブの春」)では、反政府デモに参加するなど大きな役割を果たした。エジプトではムバラク政権が倒れた後、合法組織となり、2012年、ムスリム同胞団が擁立したムハンマド・ムルシMu
ammad Mursi(1951―2019)がエジプトの大統領に就任した(2013年失脚)。
エジプト以外の国々では、トルコで2002年にムスリム同胞団に似た穏健派の公正発展党が政権につき、モロッコでも2011年にトルコを手本とする穏健派の公正と発展党が第一党になった。チュニジアでは2011年末、ムスリム同胞団の流れをくむイスラム政党エンナハダ中心の政権が生まれている。一方、ムスリム同胞団を母体とするパレスチナのハマスはイスラエルに対して武闘路線をとっており、またシリアのムスリム同胞団はアサド政権に対抗する反政府勢力の中心である。このためムスリム同胞団は国によって穏健派から強硬派までさまざまな側面をもっている。
[編集部]
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エジプトで生まれた史上初のイスラーム大衆運動。1928年にハサン・アルバンナーが創設し,40年代にはエジプト最大の大衆的政治組織へと成長した。その後はエジプト政府と対立してバンナー自身が暗殺され,54年以降ナセル政権の大弾圧にあうなど苦難の道を歩んだが,70年代サダト政権のもとで復活。現在もイスラーム運動としてアラブ世界最大の勢力を誇っている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…その代表は,宗教と国家を分離しシリア主義を唱えファシズムに影響されたサアーダの率いるシリア民族主義党(PPS)と,アラブの統一を基本命題としミシェル・アフラク,サラーフ・ビタールの率いるバース党である。また,イスラム教徒のムスリム同胞団や,クルドやキリスト教徒などに支持を得た共産党も活動を展開していた。 46年の独立以後は,フランス委任統治時代に導入された議会民主制のもとで政党政治が行われ,ナショナル・ブロックから分裂した人民党や国民党が政権を掌握し,伝統的支配者や商・工業ブルジョアジーによる門閥支配,金権政治が展開された。…
…72年3月ヌメイリーは,南部の反政府勢力アニャニャAnya Nyaとの間にアジス・アベバ協定を結んで,独立以来続いてきた内戦に終止符を打ち,南部自治政府を認めた。また74年には,イスラム諸勢力の結集した反政府国民戦線とも和解,ムスリム同胞団勢力をヌメイリー政府に入閣させた。83年9月,同胞団の主導でイスラム法(シャリーア)が導入された。…
※「ムスリム同胞団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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