ハリリ(その他表記)Hariri, Saad al-

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハリリ」の意味・わかりやすい解説

ハリリ
Hariri, Saad al-

[生]1970.4.18. リヤード
サウジアラビア生まれのレバノン人実業家,政治家。首相在任 2009~ )。フルネーム Sa'd al-Dīn Rafīq al-Harīrī。ラフィク・アル・ハリリ元首相の息子。1992年アメリカ合衆国のジョージタウン大学で国際経営の学位を取得後,父がサウジアラビアに所有する大企業サウジ・オゲールに勤務。2005年2月14日ベイルートで父が自動車爆弾で暗殺されると,遺族の間で父の後継者に選ばれ,父が党首だった未来運動を指揮するようになった。イスラム教スンニー派勢力として強力な未来運動は,レバノンへのシリアの影響力拡大に反対する「3月14日連合」の最大政党だった。「3月14日連合」は 2005年の国民議会選挙で優に過半数を制したが,ハリリは政界入りしてまもない自身が首相となるのは時期尚早と考え,フアド・シニオラ元財務大臣を首相に推挙した。その後政界で功績を重ね,2007年1月アメリカからレバノン復興のための巨額の支援をとりつけた。同 2007年5月には父の暗殺事件の容疑者らを裁く特別法廷の設置が国際連合の安全保障理事会で承認された。2007年11月にエミール・ラフード大統領が任期を終えて以来,政治的膠着状態が続いていたが,ハリリは 2008年5月に挙国一致内閣樹立にこぎつけ対立を回避した。2009年6月の選挙でも「3月14日連合」を勝利導き,まもなく首相に指名された。

ハリリ
Hariri, Rafiq al-

[生]1944.11.1. サイダ
[没]2005.2.14. ベイルート
レバノンの実業家,政治家,慈善家。首相(在任 1992~98,2000~04)。アラビア語フルネーム Rafīq Bahā' al-Dīn al-Harīrī。個人資産と国際的な人脈,みずからのカリスマ性をいかしてレバノン内戦終結に貢献した。イスラム教スンニー派の貧しい農家に生まれ,ベイルートのアラブ大学で経済学を学んだ。サウジアラビアに移住し,教師として働いたのち建設会社を設立。次々と事業を広げ,1999年『フォーブズ』誌に純資産 40億ドルの富豪と紹介された。その一方で,ハリリ基金を設立し,教育や医療のために資金を提供。1992年選挙で当選,同年首相に就任した。1998年シリアの内政干渉に反発して首相を辞任。2000年に再選されたが親シリア派のエミール・ラフード大統領と対立し,2004年再び首相の座を退いた。首相在任中は経済とインフラストラクチャーの再建に尽力したが,政争に巻き込まれ,自動車爆弾で暗殺された。2009年,息子のサード・アル・ハリリが首相に指名された。

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