翻訳|gaucho
アルゼンチンとウルグアイにまたがるパンパの牧童(カウボーイ)。ベネズエラやコロンビア東部ではリャネロllanero,ブラジルではガウショgaucho,チリではワッソhuasoという。パンパには16世紀半ばにスペイン人により牛馬が移入され,なかでも牛はパンパの生態条件によく適合し,野生化してその数が急増した。16~18世紀にはこの野生牛を捕らえてその皮を輸出することがパンパの主要産業となり,原野で牛を捕らえる,いわゆるバケリアvaqueríaが盛んに行われた。バケリアは隊伍を組んで原野に入り込み,馬で牛を追いつめ,ボレアドール(投げ玉)でしとめる作業だったが危険も多く,そこから乗馬術にたけた勇敢なガウチョが生まれたとされる。こうしたガウチョの特質は,バケリアが18世紀半ばころから野生牛の減少に伴って放牧にとって代わられたのちも維持された。人種的にはガウチョの多くは白人もしくはメスティソで,黒人,ムラートはごくわずかであった。ガウチョの語源は不詳で,一説によれば放浪者,無法者を意味する土着語のウアチョに由来するともいう。現存する記録では18世紀末葉にバンダ・オリエンタル(現在のウルグアイ)で初めて使用され,当初は牛皮の密輸出業者を指したが,19世紀初めにアルゼンチンに入ったときは,牧畜業に従事する農村の無産者を意味した。アルゼンチンでは独立戦争の際にガウチョの多くは独立軍に加わって王党派の打倒に一役買った。
しかしその後カウディーリョと呼ばれる独裁者を支援したことから,後進性と野蛮のシンボルとして,西欧的近代国家の樹立を目ざす欧化主義者から敵視された。その急先鋒であったサルミエントはガウチョの絶滅を願ったほどだった。19世紀後半欧化主義者が政権に就くと,ガウチョは厳しく弾圧され,ヨーロッパ系移民の流入に伴うパンパの農業の発展は,彼らの生活の場をしだいに奪っていった。さらに追打ちをかけたのが有刺鉄線の普及だった。これにより牧場(エスタンシア)の境界が確定され,牛の移動範囲が狭まったため,ガウチョが数週間もエスタンシアの牛群を率いてパンパ内を放浪することは不可能となってしまった。
こうして19世紀後半ガウチョは政治的にも社会的にも締め出されていったわけだが,こうしたガウチョの悲哀を切々とうたい上げたのがエルナンデスJosé Hernándezの《マルティン・フィエロ》(1872)であり,ガウチョ文学の最高傑作とされている。20世紀に入ると行き過ぎた欧化主義への反省から民族主義が高揚し,それに伴ってガウチョをその勇敢さ,男らしさのゆえに国民性のシンボルとして再評価しようとする動きが起こった。この動きは文学の世界ではガウチョ文学を再興させ,グイラルデスの《ドン・セグンド・ソンブラ》(1926)などの名作を生んだ。またガウチョの好んだマテ茶やアサド(焼肉)の習慣は今日なおアルゼンチンとウルグアイの生活の中に伝統として生き続けている。なお今日の農村で牧畜業の労働者はガウチョと呼ばれているが,原野を自由に彷徨するのではなく,エスタンシアに緊縛された賃金労働者(ペオン)にすぎない点で,かつてのガウチョとは区別されねばならない。
執筆者:松下 洋
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南アメリカ南部、アルゼンチンやパラグアイの草原地帯(パンパ)でウシの放牧に従事する人々。ブラジル南部ではガウショという。牧場主(エスタンシエロ)に雇われてウシの世話、食肉および皮革の調整にあたる人々で、多くは白人開拓者と先住民の混血である。幅広の帽子にシャツ、ズボン、革のブーツ、場所によってはポンチョといった簡素な服装で、都市から遠く離れた牧場に住む。乗馬技術は秀逸で、固い粘土玉を皮でくるんだものを3個皮紐(ひも)の先に取り付けた、ウシの足元に投げ付けて絡ませる道具(ボーラ)や、鞭(むち)を用いる。北アメリカのカウボーイと同様、さっぱりとして荒っぽいが社交的な気質をもち、物質的な利益を追い求めるよりは、荒野での孤独に耐える力や、何にも束縛されない自由を愛する心を誇りとする。アルゼンチンの経済を支えてきた牧畜の担い手であった彼らは、数多くの民謡や文学作品のなかで追憶に満ちた一つの理想像としてうたわれてきた。たとえばアルゼンチンのグイラルデスの小説『ドン・セグンド・ソンブラ』(1926)がある。
[木村秀雄]
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アルゼンチン,ウルグアイのパンパ(大平原)に住む牛飼いの牧童。ブラジル南部ではガウショという。アルゼンチンのホセ・エルナンデス(1834~86)の二部作の詩『マルティン・フィエロ』(1872,79年)は,ガウチョ文学の代表作として有名。
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…スペイン語で焼肉一般を指すが,南アメリカのアルゼンチン,ウルグアイではとくに牛肉の焼肉を意味することが多い。パンパでは16世紀末からガウチョが野生牛を捕獲して牛皮を売ることを生業としたが,彼らは屠殺した牛の肉を野原で焼き,食用としたことからアサドの習慣が生まれた。今日でも休日になると郊外でアサドを楽しむ家族づれが多く見受けられ,両国の名物料理となっている。…
…40年チリに再び亡命し,ジャーナリストとして健筆を振るうかたわら,19世紀のラテン・アメリカにおけるロマン主義文学の最高傑作といわれる《ファクンド――文明と野蛮》(1845)を発表した。同書はカウディーリョのファクンド・キロガの伝記という形を採りつつ,当時の独裁者ロサスを批判したものであり,国の後進性の原因をスペイン的伝統や粗野なガウチョの存在に求め,西欧移民の誘致や教育の拡充による文明化=西欧化を提唱していた。52年ロサス政権の崩壊後はこうした理念の実践に努め,57年にブエノス・アイレス市の参事官,さらに教育局長,州議会の上院議員に選出され,62年にはサン・フアン州知事となった。…
…わずかに植民者の持ち込んだ牛がパンパで自然増殖した野生牛を捕獲してその皮を輸出することが細々と行われたにすぎなかった。この野生牛の捕獲という困難な仕事がガウチョという勇敢な牛童を生むことになったのである。18世紀に入り,スペイン王室が農業に力を入れはじめるとパンパもようやく注目を集めるが,パンパが本格的に開発されるのは19世紀後半以降だった。…
…アルゼンチンの作家エルナンデスJosé Hernández(1834‐86)によるガウチョ文学の傑作叙事詩《マルティン・フィエロ》(1872,79)の架空の主人公。19世紀後半のパンパを舞台に波乱の一生を送ったガウチョ(牧童)のパジャドールpayador(吟遊即興詩人)が,近代化によって大土地所有制度が進む過程でガウチョたちの自由を奪う文明社会の不正に反逆するパンパの英雄,ガウチョの典型として描かれている。…
※「ガウチョ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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