アサーニャ
Manuel Azaña y Díaz
生没年:1880-1940
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アサーニャ
Azaña y Díaz, Manuel
[生]1880.1.10. アルカラデエナレス
[没]1940.11.4. モントーバン
スペイン第2共和政下の政治家。パリで法律を学んだが当初は文筆活動に専念。 1930年革命委員会委員。 31年制憲議会の共和党議員。革命後臨時政府の陸相として軍の粛清にあたった。 31~33年首相となり,内政改革を実施。 36年人民戦線の勝利とともに同年5月大統領に就任したが,内乱勃発後の 39年,F.フランコら軍部による勝利が決定的になるとフランスに亡命,翌年同地で客死。
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アサーニャ
スペインの政治家。自由主義左派の指導者で,第二共和制前半に首相となり,一時失脚したが,1936年人民戦線の勝利により首相,次いで共和国第2代大統領に就任した。スペイン内乱で敗れて辞任,フランスに亡命,客死。
→関連項目スペイン内乱
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アサーニャ
Manuel Azaña y Díaz
1880〜1940
スペインの政治家・文学者
自由主義共和派として,1931年のスペイン革命でブルボン朝を打倒し,共和国首相から36年人民戦線内閣大統領となる。しかしフランコ派との内戦に敗れ,フランスに亡命,死去した。
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世界大百科事典(旧版)内のアサーニャの言及
【スペイン】より
…つまり,18世紀以降の〈画一的なスペイン〉を排して,第二共和国は〈多様なスペイン〉を選択した。 新憲法制定後,初代大統領にアルカラ・サモラ,首相には[M.アサーニャ]が就任し,一般に〈ジャコバンの2年間(革新の2年間)〉(‐1933年11月)といわれる時代が始まった。アサーニャ内閣の基本政策は,第1に,大土地所有者ならびに教会,軍部の影響力の排除にあった。…
【フランコ】より
…25年スペイン領モロッコの反乱を鎮圧し少将に昇進。31年サラゴサ陸軍士官学校長の時の演説が[M.アサーニャ]陸相の反感を買った。34年10月アストゥリアス革命鎮圧の作戦を指揮。…
※「アサーニャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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