武島羽衣(読み)タケシマハゴロモ

デジタル大辞泉 「武島羽衣」の意味・読み・例文・類語

たけしま‐はごろも【武島羽衣】

[1872~1967]歌人詩人・国文学者。東京の生まれ。本名、又次郎古典主義的な美文・韻文で知られ、唱歌」「うるわしき天然」は広く愛唱されている。共著花紅葉」など。

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20世紀日本人名事典 「武島羽衣」の解説

武島 羽衣
タケシマ ハゴロモ

明治〜昭和期の歌人,詩人,国文学者 日本女子大学名誉教授。



生年
明治5年11月2日(1872年)

没年
昭和42(1967)年2月3日

出生地
東京・日本橋

本名
武島 又次郎(タケシマ マタジロウ)

学歴〔年〕
東京帝国大学国文科〔明治29年〕卒,東京帝国大学大学院国文学専攻

経歴
一高時代新体詩を交友会誌に発表。東大在学中の明治28年「帝国文学」の創刊に参加し、編集委員となって「小夜砧」などを発表。大学院で上田万年の指導を受け、30年東京音楽学校教員、43年〜昭和36年日本女子大学教授を務める。その間、東京高師、国学院大学、聖心女子大学、実践女子大学などの講師、教授を歴任。詩人としては明治29年大町桂月との共著「花紅葉」を刊行し、以後も「霓裳微吟」などを刊行。他に「修辞学」「賀茂真淵」「国歌評釈」「文学概論」など国文学関係の著書がある。また唱歌の詩に「花」「美しき天然」があり愛唱されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武島羽衣」の意味・わかりやすい解説

武島羽衣
たけしまはごろも

[生]明治5(1872).11.2. 東京
[没]1967.2.3. 東京
歌人,詩人。本名,又次郎。 1896年東京大学国文学科卒業,大学院に進んだ。東京音楽学校で教え,1910~61年日本女子大学教授。 22~46年御歌所寄人 (よりゅうど) をつとめた。唱歌『美しき天然』 (1900) の作詞者,赤門派の詩人,美文家として知られたが,古典主義的傾向が強い。作品は『美文韻文 霓裳 (げいしょう) 微吟』 (03) ,歌集『美しき道』 (53) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武島羽衣」の解説

武島羽衣 たけしま-はごろも

1872-1967 明治-昭和時代の歌人,詩人。
明治5年11月2日生まれ。帝国大学在学中に「帝国文学」の創刊に参加。塩井雨江,大町桂月との共著「美文韻文花紅葉」などを刊行し,大学派(赤門派)とよばれる。唱歌「花」「美しき天然」などの作詞がある。ながく日本女子大教授をつとめた。昭和42年2月3日死去。94歳。東京出身。本名は又次郎。歌集に「美しき道」など。

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367日誕生日大事典 「武島羽衣」の解説

武島 羽衣 (たけしま はごろも)

生年月日:1872年11月2日
明治時代-昭和時代の詩人;国文学者。日本女子大学教授;実践女子大学教授
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の武島羽衣の言及

【美文】より

…散文の変革の過程で,文語文の遅れを逆手にとって磨き上げたと言うべきものだが,その文学的感度は,一時的な盛行を見せた文語定型詩のレベルにほぼ等しい。雑誌《帝国文学》に拠ったいわゆる赤門派(大学派)を代表する大町桂月,武島羽衣,塩井雨江の合著《美文韻文花紅葉(はなもみじ)》(1896)や桂月の《美文韻文黄菊白菊》(1898)などに,定型の新体詩と並立することで生命力を保っている姿が見られるが,文語詩の変革や口語による詩または散文詩の登場によって歴史的意義を失った。【野山 嘉正】。…

※「武島羽衣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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