アシャール(読み)あしゃーる(その他表記)Marcel Achard

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アシャール」の意味・わかりやすい解説

アシャール
あしゃーる
Marcel Achard
(1900―1974)

フランス劇作家リヨン郊外の町に生まれる。新聞記者などを経て、ジャック・コポーらと演劇革新の運動に参加、1923年初演の『あたいといっしょに遊ばない』でデビューした。以来作品の数は多く、第一次、第二次世界大戦間に演出家シャルル・デュランやルイ・ジューベと結んで、楽しくて、かならずしも浅くはないフレッシュなブールバール劇の書き手として、劇壇に重きをなした。『マルボローは戦争に行く』『あなたは好きじゃない』『海賊』などがあるが、とくに『お月様のジャン』(1929初演)は大ヒットした。

 一見愚かにみえる善人と俗悪な社会との葛藤(かっとう)を通じて、純粋に生きることのむずかしさを描く筆致は、第二次大戦後もますます円熟味を増し、『じゃがいも』(1957)、『馬鹿(ばか)娘』(1960)でも健在ぶりを示し、1959年にはアカデミー会員に選ばれた。

[渡辺 淳]

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改訂新版 世界大百科事典 「アシャール」の意味・わかりやすい解説

アシャール
Marcel Achard
生没年:1899-1974

フランスの劇作家。リヨン市の近郊に生まれ,20歳のときパリに出て雑多な仕事をしながら念願の劇作にはげんだ。処女作は失敗したが,1923年に初演された《あたいと遊んでくれない》は大当りとなり,以後《お月さまのジャン》(1929),《海賊》(1938)などの秀作を次々に発表,パリ劇界の寵児となった。主人公に天成のお人好しや悪意に徹しようとして徹しきれない人物を選び,人間の本質的な善良さが実人生の汚れのなかに光をもたらすことを描く。後期の《じゃがいも》(1957),《愚かな女》(1960)もそうした作風典型である。59年アカデミー・フランセーズの会員に選出される。70年に来日し,風俗劇における前衛性を弁護する発言が注目された。
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アシャール
Franz Karl Achard
生没年:1753-1821

ドイツの物理学者,化学者。テンサイ糖の工業的製法の開発者。ベルリンのフランス系の家の出。A.S.マルクグラーフに師事し,彼の死後ベルリン・アカデミー物理部門会長に就任。熱物理学,電気現象,応用化学等に関する多数の論文があるが,歴史的に重要なのは,マルクグラーフの先駆的研究をひきついで開発に成功した,テンサイの栽培および煮沸・圧縮・抽出・結晶化の工程からなる糖の工業的抽出法である。ウィルヘルム3世の援助を得て,ブレスラウ(現,ブロツワフ)近郊に工場を建設(1802稼働)。この製法を基本とした工場がヨーロッパ中に続出し,西インド諸島からの砂糖輸入の減少をみるようになった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アシャール」の意味・わかりやすい解説

アシャール
Achard, Marcel

[生]1899.7.5. リヨン
[没]1974.9.4. パリ
フランスの劇作家。さまざまな職業に従事したのち,1923年『ミサは唱えられた』 La Messe est dite,『わたしと遊んでくれませんか』 Voulez-vous jouer avec moi?の2作品でファルス作家としてデビュー,特に後者は大成功を収めた。以後は,極度に純真な人物を主人公とする詩情豊かな恋愛劇を発表したが,『月世界のジャン』 Jean de la Lune (1929) で作家として地位を確立。『じゃがいも』 Patate (57) は7年間のロングランとなった。ほかに『ドミノ』 Domino (31) ,『海賊』 Le Corsaire (38) ,『愚かな女』L'Idiote (60) などがある。 59年アカデミー・フランセーズ会員となった。

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