マルクグラーフ(読み)まるくぐらーふ(その他表記)Andreas Sigismund Marggraf

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルクグラーフ」の意味・わかりやすい解説

マルクグラーフ
まるくぐらーふ
Andreas Sigismund Marggraf
(1709―1782)

ドイツの化学者。薬剤師の子に生まれる。ドイツ各地で当時の最高水準の化学、薬学冶金(やきん)学を学び、1738年王立プロイセン科学アカデミーの会員、1753年にアカデミーの化学研究所の所長、1760年にアカデミーの物理数学部長となる。フロギストン説に忠実であったが、優れた実験方法を考案して、燃焼によるリンの重量増加の発見など、分析化学の面で多くの業績を残した。また、1747年、甜菜(てんさい)の糖分を抽出し、それがサトウキビ砂糖と同一であることを立証して甜菜糖工業の可能性を示した。

[加藤邦興]

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改訂新版 世界大百科事典 「マルクグラーフ」の意味・わかりやすい解説

マルクグラーフ
Andreas Sigismund Marggraf
生没年:1709-82

ドイツの化学者。巧みな分析技術をもって多くの実験的研究を残し,産業技術面にも貢献した。ベルリンの宮廷薬剤師の家に生まれ,ベルリン,ストラスブールハレフライベルクで化学と医学を学んだ。1738年ベルリン科学アカデミー会員,のち化学実験室主任,物理学部門の長となった。47年結晶形の顕微鏡観察によってテンサイから砂糖を発見し,のちのテンサイ糖工業の基礎を築いた。また,異極鉱から亜鉛を単離した。58年炎色反応などによってナトリウム塩とカリウム塩を区別したほか,アルミナ石灰から区別した。リンの製法リン酸の性質を研究し,リンが燃焼によって重さを増すことを認めたが,フロギストン説を信奉していた彼はそれに疑問をいだくことはなかった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マルクグラーフ」の意味・わかりやすい解説

マルクグラーフ
Marggraf, Andreas Sigismund

[生]1709.3.3. ベルリン
[没]1782.8.7. ベルリン
ドイツの化学者。ベルリン科学アカデミー化学実験所主任 (1754) ,同物理学部長 (60) 。フロギストン説末期の化学者の1人。 1747年に彼のなした甜菜糖の発見,工業化は,その後の砂糖産業に大きな寄与をした。また彼は化学研究における顕微鏡の意義を認め,多くの成果を残した。なかでも粘土の成分分析,アルミナ (アルミニウム酸化物) と石灰 (カルシウム酸化物) の識別,尿からのリンの精製などが知られる。

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デジタル大辞泉プラス 「マルクグラーフ」の解説

マルクグラーフ

《Markgraf》ドイツ海軍の戦艦。ケーニヒ級。1913年進水、1914年就役の弩級戦艦。艦名はドイツ貴族の称号「辺境伯」を意味する。第一次世界大戦中はユトランド沖海戦などに参加。1919年、スカパ・フロー沖にて自沈。

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世界大百科事典(旧版)内のマルクグラーフの言及

【爵位】より

…封建制度の発達にともなって,両者はいずれも官職的性格を失って,封建諸侯の称号となり,公は国王の直属封臣のうち最高の位を占めた。公と伯の中間に位置する侯は,もともとフランク王国時代に,異民族との辺境地域の統治をゆだねられた辺境伯(ドイツ語はマルクグラーフMarkgraf)に由来し,その軍事的重要性のゆえに,しばしば公の名を帯びたが,のちにはこうした歴史的起源とは無関係な,封建貴族の称号となる。スペインやポルトガルでは,14~15世紀以降,有力貴族にこの称号(マルケスmarqés)がさかんに与えられた。…

【辺境伯】より

…フランク帝国および神聖ローマ帝国の重要な地方高官マルクグラーフの訳語。主として辺境防衛の任にあたる。…

※「マルクグラーフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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