日本大百科全書(ニッポニカ) 「アバダーン」の意味・わかりやすい解説
アバダーン
あばだーん
Abadān
イラン南西部、フーゼスターン州南部の都市。ペルシア湾口からシャッタル・アラブ川を約50キロメートルさかのぼった東岸の同名の島にあり、シャッタル・アラブ川を挟んでイラクと国境を接する。人口20万6073(1996)、23万1476(2016センサス)。トルコとの間で長く領有権が争われたが、1847年ペルシアに帰した。8~9世紀の町の建設者の名に由来するアッバーダーンが古名であるが、1935年レザー・シャーによるアラビア名のペルシア語化運動によって現在名(肥沃(ひよく)な地の意)となった。土地は塩分が多く、アラブ系住民が土地改良によってナツメヤシを栽培してきたが、19世紀末までは粗末な藁(わら)小屋の並ぶ農村にすぎなかった。
20世紀初頭にアングロ・ペルシア石油会社によってフーゼスターン油田の開発が進められ、1912年世界的規模のアバダーン製油所が建設されて以来、製油基地、石油積出し港として急速な発展をみた。1951年のイラン政府による石油国有化政策をめぐる紛争以後は、その機能はイラン国営石油会社に受け継がれた。1980年9月に始まったイラン・イラク戦争では、約1年間イラク軍に包囲され、アバダーン製油所はイラク軍の爆撃、砲撃により、一時壊滅状況となった。テヘランとの間にはパイプライン、鉄道が通じ、国際空港もある。
[香川優子]