アランダ伯(読み)あらんだはく(その他表記)Conde de Aranda, Pedro Pablo Abarca de Bolea

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アランダ伯」の意味・わかりやすい解説

アランダ伯
あらんだはく
Conde de Aranda, Pedro Pablo Abarca de Bolea
(1719―1798)

スペインの政治家。アラゴン生まれ。初めフェリペ5世のもとで軍務についていたが、のちにフェルナンド6世に外交官として重用され、カルロス3世によって1766年、行政の最高機関であるカスティーリャ顧問会議の議長に任命された。以後1773年にパリ駐在大使に降格されるまで、イエズス会士のスペインおよびスペイン領アメリカからの追放、異端審問所の権限縮小、聖職者の特権制限、地方行政の整備などに努め、経済発展を図るため「経済協会」を各地につくり、大学の改革も行った。また、カディスが独占していた新大陸貿易の特権を他の地方の港にも与え、輸出の拡大に成功したが、農業の振興を目的として行った開拓農民の入植事業は十分な成果があがらなかった。こうした一連の改革は、貴族や聖職者を抑えて王権を強化し、経済発展を基にして国家財政の安定化を図り、中央集権的国家をつくるという啓蒙(けいもう)改革政策に沿うものであった。それゆえアランダ伯は、スペイン啓蒙派官僚を代表する一人と評価される。1792年カルロス4世により事実上首相にあたる外務大臣に任命されたが、フランス革命展開とヨーロッパ戦争の戦局に対応できず、その年のうちに罷免され、ゴドイManuel de Godoy y Alvarez de Faria(1767―1851)にその地位を奪われた。1798年1月9日エピラ(サラゴサ)で死去。一時期フランスの啓蒙思想家ボルテールらと交流があった。

[中塚次郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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