ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルフォンソ1世」の意味・わかりやすい解説
アルフォンソ1世(戦闘王)
アルフォンソいっせい[せんとうおう]
Alfonso I, el Batallador
[没]1134.9.8. フラガ
アラゴン=ナバラ王 (在位 1104~34) 。サンチョ5世 (サンチョ・ラミレス) の子。兄ペドロ1世の跡を継いで即位。カスティリア=レオン女王ウラッカと結婚,4つのキリスト教王国は一つにまとまったが,カスティリア=レオンはアラゴン人の王に対して反感をもち紛争が絶えず,聖職者も介入し,中央では内乱がたびたび起っていた。しかしウラッカの死によってカスティリア=レオンの領有を放棄した。その治世の後半は国土回復運動に注がれ,エブロ渓谷での戦いに大勝利を収めてムーア王国の重要な都市サラゴサを攻め落し,これを首都とした (18) 。また南アンダルシア方面にも出征し,多くの移民を新領土に配置した。これらの勝利でアラゴンはイベリア半島における強国となった。またこれらの一連の戦いに,ピレネー北部の諸王国から多くの援助を得たうえ,1116年にはツールーズ伯がアルフォンソの臣下となり,アラゴンの南フランスへの政治的介入の端緒となった。
アルフォンソ1世[エステ家]
アルフォンソいっせい[エステけ]
Alfonso I, d'Este
[没]1534.10.31. フェララ
フェララ公 (在位 1505~34) 。エルコレ1世の子。文芸家を保護して芸術振興に努め,また機械の知識と大砲の設計者として全ヨーロッパに知られた。イタリア戦争の渦中でフランスと同盟し,教皇庁の勢力拡大を防いだ。 1501年にルクレツィア・ボルジアと結婚し,7人の子をもうけた。
アルフォンソ1世[アストゥリアス王]
アルフォンソいっせい[アストゥリアスおう]
Alfonso I
[没]757
アストゥリアス王 (在位 739~757) 。初代アストゥリアス王ペラヨの女婿。イスラム教徒の内乱を利用して国土回復運動を進め,ガリシアを合併,アストゥリアス山脈南方まで遠征した。
アルフォンソ1世[ナポリ王]
アルフォンソいっせい[ナポリおう]
「アルフォンソ5世(度量王)」のページをご覧ください。
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