日本大百科全書(ニッポニカ) 「タンジール事件」の意味・わかりやすい解説 タンジール事件たんじーるじけん 第一次モロッコ事件ともいう。モロッコは列強によるアフリカ分割が進むなかで、1880年マドリード条約で独立が認められていたが、1904年に成立したイギリス・フランス協商でフランスの勢力圏と認められた。ドイツはこれに異議を唱え、05年3月、ヨット旅行中のウィルヘルム1世がモロッコの港タンジールを訪問、フランスのモロッコ保護国化を否認したので、独仏関係は険悪になった。これをドイツのイギリス・フランス協商への攻撃とみなしたイギリスはフランスを支持、翌年この問題を討議するためアルヘシラスに開かれた国際会議でドイツは孤立した。[木谷 勤][参照項目] | アルヘシラス会議 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タンジール事件」の意味・わかりやすい解説 タンジール事件タンジールじけんTangier Incident 第1次モロッコ事件ともいう。 1905年3月ドイツ皇帝ウィルヘルム2世がタンジール港を軍艦で訪問,フランスの T.デルカッセ外相がこの威圧行動を承服せず,結局辞任を強いられた事件。 04年フランスは英仏協商によりモロッコの権益を承認されたが,ドイツはこれに反対し,ウィルヘルム2世のタンジール上陸となったもので,モロッコ王国の独立と門戸開放を要求した。このためフランスはドイツとの戦争か外相の辞任かの選択を迫られ,後者を選び,06年アルヘシラス会議で一応の収拾をみた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報