日本大百科全書(ニッポニカ) 「アロエ」の意味・わかりやすい解説
アロエ
あろえ / 蘆薈
[学] Aloe
ユリ科(APG分類:ススキノキ科)の多年生多肉植物。アフリカ東部、南部に特産し約180種あり、うち数種が世界各地で栽培されている。外形はリュウゼツランの仲間によく似るが、花をつけると明瞭(めいりょう)に区別できる。茎はほとんど伸長しない種類と、低木状に伸長する種類がある。花は総状花序をなして花茎につき、筒状で長さ約2センチメートル、花筒の先端は6裂し、中から6個の雄しべが外に出る。雌しべは1個。葉は長披針(ちょうひしん)形で先端はとがり、葉縁にやや鋭い刺(とげ)のあるものが多く、著しく多肉で、葉柄はなく、茎に互生する。
[長沢元夫 2019年1月21日]
利用
葉を横に切り、断面を下に向けると黄色の液汁を滴下するものが多い。この液汁を集めて天日または火を用いて濃縮して得た黄褐色または赤褐色、黒色の乾燥エキスをアロエと称して薬用に供する。これにはアントロン配糖体であるアロイン、アントラキノンに属するアロエエモジンの配糖体、樹脂などが含まれており、下剤として便秘に用い、また通経剤にも配合される。少量用いると苦味強壮剤となる。
市場で取引される種類はソコトラアロエ(イエメン沖のソコトラ島産)、キュラソーアロエ(西インド諸島産)、ケープアロエ(アフリカ南部産)、ザンジバルアロエ(アフリカ東部産)、バルバドスアロエ(西インド諸島産)などで、これらの原植物はA. vera、A. perryi、A. feroxなどである。日本で広く栽培され、民間薬として用いられているのはキダチアロエ(キダチロカイとも称するが、ロカイは蘆薈(ろえ)の誤読から生じたものである)A. arborescensで、葉の液汁を胃腸病、喘息(ぜんそく)に内服したり、切り傷、やけど、ひび、あかぎれに外用する。効果がよいので「医者いらず」の名が生まれた。
[長沢元夫 2019年1月21日]
花が咲かないものと思われがちだが、それは、冬咲きのため暖地でないと開花しないのと、古株にならないと花をつけない性質による。シンロカイ(真蘆薈)A. vera (L.) Burm.f.(A. barbadensis Mill.)はヨーロッパでは古くから利用されていた。エジプト、ギリシア、ローマでは紀元前から栽培していたといわれる。繁殖は実生(みしょう)または挿木による。小形種は鉢栽培される。
[高林成年 2019年1月21日]
文化史
アロエはアラビア語のアロッホAllochに由来する。古くから下剤として利用され、古代ギリシアでは重要な輸入品であったため、アリストテレスはアレクサンドロス大王にその産地(ソコトラ島)の占拠を勧めたという。また紀元前のインドでも、葉汁を乾燥させた黒色の固い塊は商品として取引された。仏典に出てくる「婆奢迦(ばしゃが)」をアロエだとする説がある。また中国では宋(そう)代の『開宝本草』に「奴(ど)薈」「蘆薈」の名があり、さらに明代の『本草綱目(ほんぞうこうもく)』には蘆薈で皮膚病を治したという話を伝えている。しかし性状は正しく記されていても、付図には広葉樹のような姿が描かれており、薬用のアロエの塊は伝わっても植物自体が伝わっていなかったことがわかる。日本への渡来時期は明らかではないが、江戸時代に蘆薈の塊がもたらされている。南アフリカでは古くから先住民のサン人が傷の手当てにアロエを使用していたが、16世紀以降に進出してきたオランダ人がその効用を認めて生産に乗り出し、ケープアロエが世界に広がった。バルバドスアロエ、キュラソーアロエも原産はアフリカである。
[湯浅浩史 2019年1月21日]