さまざまな医療的活動のうち、社会的に公認された正統医学(一定の資格を与えられた専門家によって行われる)以外の医療活動のすべてを含むものといってよい。しかし、両者の内容に一般的で明確な境界線を引くことはむずかしい。公認された医学の代表は科学的医学あるいは生物医学とよばれる現代医学であるが、歴史的に長い経験のうえに築き上げられた中国医学(漢方)、インド医学(アーユルベーダ)などの「伝統医学」も、国によっては公認されている。カイロプラクティック(脊柱矯正療法)などの比較的に新しい療法もアメリカでは一定の公認の地位を与えられている。また、アフリカのいくつかの国では、呪術(じゅじゅつ)的治療を行う呪医が現代医学の病院で治療活動を行うことを公認している。そのため、社会的認知という側面から民間療法に一般的基準を設定することは非常にむずかしい。同様の理由で、治療者が社会的に公認されているか否かで基準を設定することも困難である。ある社会では民間療法とみなされる医療行為が、別の社会では公認のものとなりうるからである。そこで、正統医学の基準として出てくるのが、それが基づいている知識・理論とその適用における科学性を主張する立場である。アッカークネヒトAckerknechtがいわゆる「未開医学」の特徴を「根本的に呪術的・宗教的であり、合理的要素の利用はわずかである」といっているのは、この立場の主張でもある。この立場からすれば、現代医学を除くすべての医療は非正統的な民間療法ということになるが、一般的にはこの考え方がもっとも受け入れられていると思われる。わが国における「漢方の復権」が、漢方の科学的再評価を通じてしかなされえなかったのは、このことをよく示している。しかしこれとは逆に、医師の指示のなかにも、たとえば病後の入浴の可否などのように、科学的根拠よりはむしろ経験的根拠に基づくものが少なくないことにも留意すべきである。「伝統医学」が一貫した理論体系、経験に培われた治療体系、治療者養成制度を兼ね備え、重要な代替医療体系として認められている国もある。しかし、その理論体系は科学的検証を経たものではなく、むしろ形而上(けいじじょう)学的であり、治療法も科学的に妥当なものばかりではない。「伝統医学」はこうした点で科学的医学とも民間療法とも異なる面がある。
[武井秀夫]
民間療法を科学的裏づけをもたないものとみるにしても、それらの有効性がすべて否定されるわけではない。民間療法を構成するものとして、薬草、湿布、温・冷浴、マッサージ、副木法などの経験合理的な要素と、護符、祈祷(きとう)、悪魔払いなどの呪術的要素とを分けて考えることが多いが、長い経験に裏打ちされた、前者に分類されるさまざまな療法が、科学的説明はまだない場合でも、有効性をもちうることはよく知られており、一つの重要な歴史的文化的遺産としてその記録と有効性の科学的解明が期待されている。フォスターFosterはさまざまな民族医学の分析から、人格主義的医学体系――病気の原因を神、祖霊、悪霊、人間などのしわざ(神罰、祟(たた)り、憑依(ひょうい)、妖術(ようじゅつ)、邪術など)に求める体系――と、自然主義的医学体系――病気の原因を非人格的な要因(陰陽、元素、体液、冷熱など)の平衡の乱れに求める体系――という考え方を提案している。前者は民間療法の呪術的要素に、後者はその経験合理的要素に対応するといえる。科学的現代医学は自然主義的体系の一特殊型ということができる。
民間療法はその呪術的要素のゆえに迷信に属するものとみなされることが少なくない。しかし、病気の原因が呪術に帰されるとき、アフリカの民族集団アザンデの例にみられるように、それを通じてなぜほかならぬその人が、ほかならぬそのときに病気になったのかということの原因が考えられている(それがすべてではない場合でも)ことに注意しておく必要がある。先天性疾患を別にすれば、一般に人が病気になるかどうかは宿主(しゅくしゅ)側の要因(性、年齢、体力、体質、栄養、生活習慣、社会的心理的ストレスの有無など)と病原的要因(病原微生物、発癌(はつがん)物質、毒物、放射線、その他の自然環境要因など)の間の相互作用から決まってくると考えられる。これらの要因は社会的文化的要因と自然的生物的要因とに分け直すこともできる。科学としての医学は自然的生物的要因、とくに病原的要因を研究の焦点として発達してきたが、それとの比較において、呪術的医学は宿主側の要因、とくに社会的文化的要因に焦点を置いて発達したものとみることができる。病気における社会的文化的要因の重要性は現代医学においても再認識されつつあるが、その意味では、科学的医学が体系としての呪術的医学に学ばねばならない点も少なからず出てくると思われる。
[武井秀夫]
民間療法は、正統医学によっては解決困難な病気と健康に関する社会的ニーズを反映するという一面もある。癌やほかの生活習慣病(成人病)などの病を恐れ、若さやよりよい健康を求める昨今の民間療法、健康法、自然食などのブームや、病気治しをその重要な要素とする新興宗教の隆盛はそうしたものとして理解できる。この点で、民間療法の研究は、単に歴史的文化的遺産の記録という以上の重要性をもつものである。
民間療法の領域でも民間療法の専門家と称される人は存在するが、民間療法の最大の特徴の一つは、現代医学とは異なり、その知識が専門家だけに独占されるのではなく、各成員が比較的に均質な知識をもつ社会や、一つ一つの知識が個人的財産として他人には秘密に相続され、病人が出るとさまざまな形の交換を通じてそれらの知識が利用される社会などの違いはあれ、知識がなんらかの形で集団的に共有されている点にある。知識の独占がもたらす社会的弊害について考えるとき、民間療法的な知識のあり方は一つの有効な示唆を与えるものとなるかもしれない。
[武井秀夫]
近代になって西洋医学が採用されるようになるまでは、もっぱら漢方医学を加味した民間療法が全国的に行われていた。例として、近世の文献にみえた治療法の若干を紹介しておきたい。小山田(おやまだ)(高田)与清(ともきよ)の『松屋筆記(まつのやひっき)』(1818~45)に、中風の妙薬としてシュロの若葉を黒焼きにして用いればすぐ平癒するとある。若葉がなければ古葉でも結構とある。また同書に、およそ切り傷の妙薬は水油にしくはない。いかなる手負いでも水油をつければ即効する。温めて用いればなおよいとある。柳沢淇園(きえん)の著と伝えられている『雲萍雑志(うんぴょうざっし)』(1842)に、ソテツの葉を黒焼きにしてゴマの油に浸し、蓄えておいたものは、金創(きんそう)切り傷にはいかほどのことにても酒にて洗わずに癒(い)ゆること妙である。楠木正成(くすのきまさしげ)の家法だ、とある。自分の友人で人に切られた者が深さ四寸の傷を負ったが、この法ですぐよくなったとある。津村淙庵(そうあん)の『譚海(たんかい)』(1795)にも、眼疾にはヘチマの水を塗るとか、鳥目(とりめ)にはコイの塩辛(しおから)がよいとか記されている。
これに類似した民間療法は、現代においても行われている。家庭内でよく行われているものに、風邪(かぜ)をひいたとき卵酒をつくるとか、寝る前に梅干しを黒焼きにして熱湯に入れて飲むなどがある。また生傷(なまきず)の手当てに袂(たもと)くそをつけるというのもよく聞かれたことである。やや奇抜な処置としては、福島県南相馬(みなみそうま)市小高(おだか)区をはじめ各地で、しゃっくりが止まらぬとき、茶碗(ちゃわん)に水を入れ、その上に箸(はし)を十字に渡して四隅から水を飲むと治るという。この方法が、遠く離れた沖縄本島の山原(やんばる)地方で、食べた魚の骨がのどにつかえたとき同様に行われているのはおもしろい。
以上のような治療法は、熱したり、冷やしたり、刺激したりするいわば物理的療法ともいうべき方法で、ほかに古くから鍼(はり)、灸(きゅう)や湯治なども行われてきた。治療法のなかには、神仏に頼る信仰的療法もある。岩手県などでは歯痛のとき白山(はくさん)神社に祈願する。以前には麻幹(おがら)、カヤなど100本を供えたが、現在では既製の割箸(わりばし)にかえているという。また、いぼ地蔵、くさ地蔵(かさ地蔵)、おこり地蔵、はしか地蔵などとよばれるものがあり、それぞれ、いぼ、瘡(くさ)、おこり(マラリア)、麻疹(ましん)を病んだときに祈願する。また、合力祈願ともいうべきものもある。すなわち、村に重病人があるとき、村中の各戸ごとに1人ずつ出て大ぜいで神仏に祈願するもので、千垢離(せんごり)とか勢祈祷(せいぎとう)とかよばれる。これは、多人数の力をあわせると、それだけ効果があると信じたわけである。さらに、信仰を背景にした療法で全国各地にみられるものに、御神水を頂くというのがある。神社の境内などの特定の石のくぼみや古木の洞穴などにたまった水を、目など悪いところにつけたり、飲んだりすると治るというものである。
次に、本式の治療に及ばないで、まじないによる呪術(じゅじゅつ)的療法もある。例をあげれば、目のものもらいなどに畳の上で櫛(くし)をこすってそれを目に当てる療法がある。呪文を唱える例もある。しびれの切れたとき「しびれしびれ京へ上れ」といったり、「橋を渡れ」と唱えたりする。さらに、まじないには病気にかからないための予防的なものもあった。クワの葉や実は中風の薬といわれ、平素からクワの木の湯飲みを使っておれば中風にならないというものや、乗り物に酔わないためには、梅干しや、サンショウの実をへそにつけておけばよいといったものが知られる。
最後に、いわゆる草根木皮を使用する薬物療法がある。ごく広く用いられている薬草をあげると、ゲンノショウコ、ドクダミ、センブリ、ユキノシタなどがあり、民間薬として使用され、薬効が認められている。
[大藤時彦]
医師の資格をもたない一般人が,もっぱら伝統的な知識にもとづいて行う治療。風邪のときの卵酒,いぼとりなど,一般に家庭内で行われるものが多く,これらは素人療法,家庭医療などともいわれるが,広義には磁気や電子機器を用いた療法,断食療法など特殊な食事療法,またこれらを組み合わせたものなどをも含めたものをいう。また,日本では明治以後,西洋医学が主流となり,漢方医学は医療類似行為として,医療行政や医学教育から排除され,その結果,民間で細々と実施されるにすぎなくなったことから,鍼灸(しんきゆう)やあんま(按摩)など漢方医学的治療も民間療法とされてきた。しかし,近年では,他の民間療法とは異なり,独自の体系をもつことから,伝統医学の名で,民間療法とは別の扱いをされることが多くなってきた。
人類はその誕生以来,外傷や病気に対して,これを治療し,健康を維持するための種々のくふうを行ってきた。これらのくふうや知識が集積され,体系化されて現代の医学が成立したわけであるが,なかには,その時代の医学の体系外にあって,もっぱら民間で伝承された治療法も少なくなかった。これらのなかには呪術的なものも含まれ,また現代の医学知識からみれば,無意味なものや有害なものもしばしばみられる。とくに,強い願望であった〈不老不死〉や〈強精・回春〉のための療法が目だつことが特徴といえる。しかし一方で,長年にわたって,多くの人々のくふうが積み重ねられて,実効性をもち,そのなかから医薬や治療法が開発されるものや,正式の体系的医学のなかから,簡便でしかも効果の確かなものが民間に流布され,あたかも自然発生的に生まれたようにみえるものもある。このように,民間療法の内容はいかがわしいものから,効果的ですぐれたものまでが含まれていることから,一律に軽蔑し,否定すべきではない。
執筆者:松山 正
日本の民間には,多種多様な医療手段が伝承されてきた。発熱を感じて患部を冷やしたり,傷口からの出血を押さえ,すりむいた皮膚を舌でなめるなどは,きわめて初期の人類共通の治療法であろうが,これに若干の知識,解釈を加えたものが現在の民間療法の内容となっている。これらを大別して薬物療法,物理的治療,呪術的治療,信仰的療法の4種とすることができよう。
第1の薬物による方法はいわゆる草根木皮の類を使用するもので,その成分や薬効の原理は解明されなくとも現実に効果のある場合が少なくない。胃痛に熊の胆(くまのい)やセンブリの煎じたものを用いるのはこの例であり,蜂にさされて小便をつけ,またはサトイモの葉をもんだ汁を塗るなどがこれに属する。アロエをすり傷に塗ったり,ドクダミの葉をすりつぶしてはれものにはって膿を出す。漆かぶれにサワガニをすりつぶして汁を塗るなども同じ例である。あせもに桃の葉を入れた湯に浴し,夏やせにウナギを食うなども理論的にうなずかれることであり,とくに後者は《万葉集》にも詠まれ,現に多くの人々が行っている。一般的にみて薬物療法がとくに効果の大きいのは外傷および皮膚病の類で,内科については効力の明確でない場合もまれではないようである。これには他の療法と併用されること,食物との関係などがあるからであろう。
第2の物理的療法には摩擦,圧迫,刺激,加熱,加湿,冷却など,主として力を加えるものと熱によるものとがある。冷却には神仏をまつってある場所の湧水で眼を洗う,息をしないで冷水を椀1杯のむとしゃっくりが止まるなどがあげられる。火傷にへちまの水をつけ,豆腐をつぶしてはるなどもこれに近く,ヒルムシロの葉を充血したまぶたにはるのも同じことであろう。刺激には,咳や咽喉のはれに古ショウガをおろし布にのばしてのどにあてるなど,肩こり,足のだるいときに鍼(はり)を用いたり,歯痛に塩を虫歯の穴や歯茎にすりこむのと同じく,神経を麻痺または刺激して痛みを転換させることに主眼があるようである。内科的には暑気当りにタデ,桃,キュウリなどの葉と塩とをまぜてもみ,その汁を背中や手足の裏に塗るのも刺激剤と思われる。鼻血が止まらぬとき襟(えり)の毛を数本引き抜くなどもこれに属するらしい。神経痛や寝ちがえたとき温湯で湿布し,石風呂に入って蒸したり,エンシキといって石塊を火で熱し海岸の砂穴の中に敷き,藻葉をその上に敷いてその上に寝転がるなどの方法も,温泉療法に近いもので,内臓や皮膚病にも有効とされる。しかしながら注意すべき点は,これら物理的療法も決して単独に行われるのでなく,灸治が特定の日に行われ,または社寺で施されるものがよく効くといわれるように,呪法や信仰と併用して行われることである。これらは一種の精神療法を加味しているといってよいであろう。
第3の呪術的治療には接触または類似のものを用いることで傷病を治そうとするもので,最も単純なものは脳病を治すために猿の脳の黒焼きを飲んだり,石にうがたれた穴にたまった水をいぼにつけるといぼがとれる(くぼんだものに身体の突出部のいぼをつけることで,平均させようとする)などである。いぼの民間療法は多く,いぼとなにか他のものとの間に箸を1本渡し,〈いぼいぼこの橋渡れ〉というと,いぼは橋を渡って他に移るので治るなどという呪法もある。これは病気にかからぬまじないとして紙の人形(にんぎよう)/(ひとがた)で身をなで,これを川に流す厄払いと同じく病気を穢れ(けがれ)の一種とみて,これを他に移動させて自分の病を治そうとする接触療法の一つである。この系統の考えは現在まで,風邪をひいたとき他人にうつせば全快するなどという思考法として尾をひいている。しかしながら,この裏がえしの思考は病人に接触しなければ病気にかからぬ,という考えとして初期の衛生思想となったものであった。呪法の迷信化は,きわめてまれな貴重なものを服用することで,重い病気に効力ありという思考法である。かつて肺結核に石油を飲用するとよいなどといわれたのがこれであった。
第4の信仰的療法は神仏に祈願し,または加持祈禱を行うものであるが,これらは通常の病気治療の効果がない場合に行うもので,どのような軽症にも行うという方法ではない。多くは精神異常をきたした者に滝の水にうたれて仏名を唱えさせる,といった冷却と精神統一を兼ねた方式をとり,または加持祈禱とともに陀羅尼助(だらにすけ)のような苦味のある薬をのませたり,巫女による暗示療法を施したりといった複合的治療がなされるのであって,多くの場合にはいわゆる心の病に応用されるのである。このほか小児の夜泣き,ひきつけに孫太郎虫(ヘビトンボの幼虫)やサンショウウオ,マムシなどの干したもの,アカガエルのあぶったものなどを食べさせるのは,動物タンパクのような栄養素の補給の意味があるらしい。
以上は積極的な病気になった場合の治療であるが,平常からの保健衛生手段として,さきにふれた病人に接触しないといった方法に類した次のような形式のあることに注意しておく。鯉,亀などの生血を飲む。梅干しを毎食食べる。桑の椀や桑の箸を常用すると中風を防ぐ。梅干しの肉をへそにはりつけておくと船酔い車酔いにならぬ。これらは正確な根拠はないが若干の予防保健思想の萌芽といってよいであろう。
執筆者:千葉 徳爾
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