改訂新版 世界大百科事典 「テオドロス」の意味・わかりやすい解説
テオドロス(モプスエスティアの)
Theodōros
生没年:350ころ-428
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
エチオピアの皇帝(在位1855~68)。国内の群雄割拠の時代に終止符を打った、近代統一国家建設の先駆者として知られる。ソロモンの血を引くと自称する北部の名家に生まれ、幼名をカッサといった。1855年ごろまでに北部を平定、エチオピア教会大主教からネグス(皇帝)の称号を与えられ、テオドロスと改名した。その後、南部の豪族も押さえエチオピアの再統一を果たした。しかし、税制改革、軍隊の統一、奴隷売買の禁止など、激しい近代化政策を実施したため各地に反乱が生じた。同じころイギリス女王に出した親書がイギリス外務省に無視され、回答がなかったことに激怒した皇帝は、イギリス領事を監禁した。しかし、1868年ネイピア将軍の率いるイギリス軍にマグダラで敗れ、自害した。
[青木澄夫]
…この建物は,古代エジプトにおいてもすでに不滅の傑作と見なされていたようで,イムヘテプはやがて神格化され,建築家の守護神と見なされた。古代ギリシアでは,サモスのヘラ神殿を建て,それについて最古の建築書を書いた前6世紀の建築家サモスのテオドロスTheodōros,前5世紀にアテナイのアクロポリスの再建計画で活躍したイクティノス,カリクラテス,ムネシクレス,疑似二重周柱式イオニア神殿の考案者である前2世紀のプリエネの建築家ヘルモゲネスが著名である。ヘルモゲネスの建築書は,建造物のつくり方に数学的法則性を与えたものとして知られ,ローマの建築家たちに大きな影響を与えた。…
…〈三章Tria Kephalaia〉(英語ではThree Chapters)とは,6世紀の単性論派論争においてネストリウス的異端の疑いをかけられた3人の神学者の人物と著作を指す。すなわちモプスエスティアのテオドロスの人と著作,テオドレトスがアレクサンドリアのキュリロスに反駁した著作,エデッサの主教イバスIbas(在位435‐457)がペルシアの一主教マリスMarisにあてた書簡である。これはユスティニアヌス帝の勅令(543‐544)およびコンスタンティノープルの第5回公会議(553)で異端とされたが,現在では一方的な断罪であったと考えられている。…
…もちろん〈ユスティニアヌス法典〉の〈新勅令(ノウェラエ)〉の関係条文もビザンティン帝国の修道院を性格づけるのに大きな役割を果たした。しかし東方で修道院が最も精彩ある姿を示すのはイコノクラスムの時代であったといわれるから,8世紀後半期における修道院への迫害とそれに対する修道士の抵抗,特にこの抵抗運動で主役を演ずるコンスタンティノープルのストゥディオス修道院の院長テオドロスTheodōros(759‐826)の活動と彼が行った修道院改革とは東方修道制の再生の泉となった。もっとも,東方の修道士の仕事が多く修道院内でできるものに限定された点は西欧の修道院との大きな違いであるが,そのなかでは絵画,装飾挿画,写字が重要な地位を占めた。…
…伝承によれば,コンスルを務めたストゥディオスStoudiosによって463年に開かれたという。イコノクラスムの時代に迫害で閉鎖されたが,799年に修道院長になったテオドロスTheodōros(759‐826)が再興,イコン擁護派の拠点となった。テオドロスはカッパドキア教父大バシレイオスの修道規則を新たに導入して修道院改革をはかり,この修道院を東方における修道生活の理念を体現するものにしたてた。…
※「テオドロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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