本来は言語学上のことばであったが、人種概念として広く用いられるようになったもの。元来は「高貴な」を意味するサンスクリット語のāryaからきたことば。かつてカスピ海とヒンドゥー・クシ山脈との間のイラン高原に住む民族が話した言語から、それらの人々をアーリアンとよぶようになった。もともと遊牧民であった彼らは紀元前15世紀ごろインダス川上流域に侵入し、当時すでに高度に発達した文明をもっていた先住の民族を征服し、しだいに定住、拡大していった。ヒンドゥー教のカースト制度における最高階位のバラモンは、このとき侵入したアーリア語族のペルシア人侵略者の子孫であるとされ、彼らはその後現在に至るまでインドの政治、宗教、社会の主導権を握り続けてきた。また、彼らの話すサンスクリットが、アーリア語のもっとも古い形となっている。中央アジアから移住したアーリアンの一部は近東からヨーロッパに及び、フィン、サーミなどを除く現在のヨーロッパ言語の源流となった。一説によれば、世界中に分散するロマ(いわゆるジプシー)たちの遠い祖先は、西北インドの先住民であったが、インドに侵入してきたアーリアンたちによって自分たちの土地を追われ、放浪生活を余儀なくされた人々であるという。
19世紀のヨーロッパでは、しばしば言語と人種を混同して、アーリアン人種をめぐる論争が盛んに行われたが、それを政治的に利用したのがナチス・ドイツであった。彼らはアーリアンを人種概念に限定し、ドイツを構成するゲルマン民族こそ優秀な「アーリアン人種」であるとし、その形質的特性を長身、長頭、ブロンドなどに求めた。そしてアーリアンのみを正当なドイツ市民と認め、ユダヤ人を中心としたセム人排斥の理論的支柱にしたのである。今日ではアーリアンを人種集団に用いるのはあくまでも世俗的用法であって、学問的にはインド・ヨーロッパ語族あるいはより限定してインド・イラン語族を表すものである。
[片多 順]
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