日本大百科全書(ニッポニカ) 「イノニュ」の意味・わかりやすい解説
イノニュ
いのにゅ
smet nönü
(1884―1973)
トルコの軍人、政治家。スミルナ(現イズミル)生まれ。1903年砲兵士官学校、1906年陸軍大学卒業。イタリア・トルコ戦争(1911~1912)、第一次バルカン戦争(1912~1913)、アラブの反乱(1916)などに従軍。1918年国防次官となり、ケマル・パシャ(ケマル・アタチュルク)の祖国防衛・独立戦争に参加、その右腕として活躍する。1921年、ギリシア軍の侵略をイノニュおよびサカリヤの合戦で阻止、その戦勝を記念してイノニュ姓を名のった。1922年外務大臣に就任。翌1923年のローザンヌ会議に首席全権として列席、領土の保全と独立の承認という顕著な外交成果を収める。1923年10月29日、トルコ共和国が成立すると、大統領ケマル・アタチュルクのもとで二度首相を務める(1923年10月~1924年11月、1925年3月~1937年11月)。1938年11月ケマル・アタチュルクの死去に伴い第2代大統領に選出され(在任1938年11月11日~1950年5月14日)、同時に共和人民党の総裁に就任する。第二次世界大戦中は中立政策を堅持して祖国を戦禍から守った。戦後の1946年に複数政党制の導入に踏み切り、トルコ政治の民主化への道を拓(ひら)いた。1960年軍事クーデター後、1961年11月から1965年2月まで首相を務める。1972年5月共和人民党臨時大会で書記長エジェビトに敗れて総裁を辞任、1972年11月離党して政界から退いた。1973年12月25日、心臓発作のためアンカラの自宅で死去。近代的なトルコ国家建設に果たした功績は高く評価される。
[長場 紘]